第二章・第八話 「繋がり」
売春とまで露骨ではないが、金銭が繋いでいる関係の話はよく聞く。出す方も受け取る方も、納得しての関係ならば、傍から文句を言っても仕方ないのだろう。
しかしそれだけの大金を巻き上げた挙げ句、波のうねりを読むように相手の顔色を読んで逃げ出す男には、嫌味くらい言ってもよかろう。
ナナウエは顔を上げた。今、舐めたばかりの指で、付け合わせのフレンチフライを摘む。
「あのな、俺、前に日本人は嫌いだって言ったよな。俺、半分日本人なんだ」
「知ってるよ。あんたの事を話してくれた女の子に聞いた」
ふうんと呟きフレンチフライを口に放り込んで、ナナウエは誠のビールに手を伸ばした。自分のグラスはとっくに空だ。
「俺の親父は、日本のヤクザだったらしいよ」
Yakuza という言葉は、立派にアメリカで通用する。誠の嫌味から、ナナウエなりに何かを話そうとしているらしい。
「らしい、って?」
「俺は会った事がない。お袋の話だと、左手の小指が無くて、肩から背中に刺青があったんだと。そりゃあ、ヤクザだろう?」
誠としては、多分と言うしかない。昨今は日本でも、刺青を入れた若者も増えている。しかしナナウエの親に当たる世代で、となると少ないだろう。
「何だかまずい事をしてハワイに逃げて来たってお袋は言ってたな。けど、お袋と散々楽しんで、ほんの何ヶ月かで帰っちまったとさ。後に残ったのが俺だ。お袋も産むには産んだけど、俺の事が忌々しくて仕方なかったのさ。だから、ナナウエなんて名前を付けやがった」
生憎と誠はハワイ語の知識がほとんどない。意味を尋ねるとナナウエは、フライを銜えた唇を突き出して首を振った。
「俺だって意味なんか知らねぇよ。ハワイの伝説さ。シャーク・マンの伝説があるんだよ。そいつの名前がナナウエってんだ。とにかくな、そういう訳で俺は、日本から少しの間いい思いをしに来てる奴らが嫌いだし、そういう奴を食い物にしたからって、何だって言うんだ」
最後の方は得意気に言い放ったナナウエに、誠は嫌なものを感じた。刹那的な生き方はいいとして、「食い物にする」とは、たかっているのに過ぎない。
ナナウエに限った事ではなく、自分の外見や身分を利用して金銭的に施しを受ける人間を、誠は尊敬出来ない。
以前、知り合いに「くれると言う物を貰っているだけ、私といて良い思いをしているんだから当然でしょう」と誇らし気に言った女の子がいたが、彼女は裕福な男性しか相手にしていなかったし、相手の事を好きだとは聞いたこともなかった。
援助交際とどこが違うのか、さっぱり分からない。むしろ援助交際のほうが、自分を切り売りすると割り切っている分、潔いのではないか。
誠は鼻を鳴らした。
「気に入らないな。やってる事はヒモみたいなもんじゃないか」
「俺は親父に復讐してるつもりだ」
鼻に皺を寄せて、ナナウエは噛み付きそうな顔を作った。なぜかそんな顔の方が、却って彼を幼く見せる。
「そんなら日本に行って、親父さんを見付けてぶっ殺せよ。あんたいくつだい? 子供っぽい言い訳は止した方がいいぞ」
極めて平坦な口調で言ったのだが、ナナウエの癇には充分障ったようだ。彼は大きな音を立てて舌打ちした。
「説教するなよ、オカマ野郎が。いいんだよ、どうせ俺の人生なんて、最後は誰かにぶち殺される事になってんだからよ」
「何でそんな事が言える?」
「伝説だって言っただろう。俺の名前は呪いさ。そういう人生しか、生きられないんだ」
言うだけ言うと、ナナウエはそっぽを向いた。
誠は席を立った。多少は慣れたつもりでも、面と向かってオカマ野郎と吐き捨てられて、笑っていられる程ではない。
見当を付けて財布から金を引き抜き、テーブルに置いた。
「俺の分。俺はオカマ野郎かもしれねぇが、自分で稼いでる分、ヒモよりはましなんだ。あんたが日本人から巻き上げた金で、飯なんか食ってたまるもんか」
捨て科白を吐いて誠が脇を通る間、ナナウエはずっとそっぽを向いたままだった。
ころころと変わる気分といい、自分の生い立ちや名前にひどく拘泥する所は、やはり子供っぽいとしか言いようがない。何かが欠落したまま、体だけ大きくなってしまったのだろう。
あんな男と付き合うなんて、塩田綾の気が知れない。店を出て、誠はぷりぷりしながら車へ向かった。
ダッシュボードに内側から日除けを載せるのを忘れたため、日向に停めてあった車の中はサウナのようになっていた。窓を開け、冷房を最強にして、誠はとりあえず車を発進させた。頭の中ではまだ、塩田綾の事を考え続けていた。
ナナウエは塩田綾にとって、そんなに価値のある男だったのだろうか。短期間に大金を使うような付き合いの将来に、光を見出していたとは到底思われない。
下世話な考えだが、仮にベッドの上の彼がどれほど素晴らしかったにしても、大金を注ぎ込むのは自棄的だ。塩田綾は浅井友子にナナウエは鮫だと言ったそうだが、彼のどの部分を指して言ったのだろう。
確かに彼の背中には、大きく口を開けた鮫の刺青がある。ナナウエという名はシャーク・マンの伝説によるものだとは、きっと彼女も聞いただろう。
気が付くと誠は、ワイキキのカラカウア・アベニューを東に、ダイヤモンドヘッドへ向けて走っていた。店の前を走り抜ける。今日も客足は上々のようだ。
そのまま走って、右手にワイキキ・ビーチが見えて来た頃、誠はカハラ・モールへ行こうと思った。大きな本屋が入っている。ナナウエ自身とはもう会う気もしないが、そのシャーク・マンの伝説とやらを読んでみようと思ったのだ。
ワイキキ・ビーチの脇を通り抜け、車はカピオラニ・パークへ入った。道路の両脇にすらりと高い木が並んでいる。カラカウア・アベニューが途切れる地点を右折して、ダイヤモンドヘッド・ロードに入る。
ふと塩田文美のメールを思い出した。妹から見て、塩田綾は「不器用な」人間だった。不器用だったから、ナナウエのような男に入れ上げてしまったのか、他に、好きな男を側に置く術を知らなかったのだろうか。
寂しかったのかな、と考えて、急に塩田綾への同情がこみ上げた。
ナナウエに別れを切り出されて、彼女はどう思っただろう。彼の付き合い方は、正に金の切れ目が縁の切れ目だ。ナナウエと離れて、あんな男と付き合っていても仕方がないと、割り切れたなら幸いだが。
一体部屋にも帰らずに、どこで何をしているのだろう。
急にある仮定が頭に湧いた。塩田綾はもう生きていないのではないか。ナナウエは別れたと言っていたが、実は彼に殺されてしまったのかもしれない。或いは振られた事を悲しんで、自ら命を絶ったか。
誠は頭を振った。それでは辻褄が合わない。
ナナウエは友人宅に転がり込んで、塩田綾の前から姿を消した。人一人手に掛けるよりも、遙かに簡単だ。それに四月に入ってから、塩田綾のデビットカードが使用されている。
自殺の線だとしたら、ごく最近という事になる。場合によっては身元不明の遺体として収容されている可能性もあるだろう。
今朝アパートを出る前にメールをチェックして来なかったから、兄から連絡が入っているかどうか分からない。次には必ず警察への届け出を勧めようと思った。
そんな事を考えている内に、カハラ・モールに着いた。こぢんまりとしたショッピング・モールだが、比較的大きな本屋がある。
ハワイの本屋にはどこでも、地元関係の本のコーナーが設けてある。観光案内書から写真集、歴史書、ハワイ語の辞書が並ぶ中、誠は伝説関係の本を手に取った。目次を開いてそれらしい話を探す。
一冊は小学校高学年から中学生向けの物、もう一冊は普通のハワイの伝説の本に、それと思しき話が見付かった。何冊も捲った訳ではないのに見付かったのは、ナナウエが言った通り、知られた話だからだろう。
誠はその二冊を手にして、空いた椅子を探した。ハワイの本屋にはあちこちに椅子があり、そこに腰掛けて、売り物の本を読んでもよいことになっている。
木製の椅子に腰を落ち着けたが、長くはかからなかった。
本文中、登場人物の台詞に同性愛者に対する差別発言が含まれていますが、発言者の性格を表すための手段として用いておりますので、ご理解頂ければと思います。
また、社会的交際の形、ことに「援助交際」に関しての表記がありますが、あくまで主人公の価値観である事をお断りしておきます。本作では特定の交際形態を推奨及び否定することは、意図しておりません。