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第二章・第六話 「性格」

 見付けたのはいいが、何と言って話し掛けたものかと誠は逡巡した。

 一昨日のように逃げられては困る。良い案も浮かばないまま煙草を揉み消し、誠はゆっくりナナウエに近付いた。

ナナウエが誠に気が付いた様子はない。近付くにつれて彼らの会話も耳に入った。もう既に大分アルコールが入っているようだ。

一人の男が日本語で野卑な冗談を言い、ナナウエを除いた四、五人がどっと笑った。

「ちぇっ、英語で言えよ。ここはアメリカなんだぜ」

 ナナウエは不愉快そうに言ったが、周囲は耳を貸さない。どうも英語は得意でない観光客か、来たばかりの留学生のようだ。

 彼らは逆に、日本人の女の子に声を掛けた割には、日本語を解さないナナウエをからかい出した。

 かなり酔っている一人が、「ただのセックス・マシーンなんじゃねぇの」と大声を出し、これはさすがにナナウエも分かったようだ。発音が悪くとも、「セックス」位は伝わる。

 腕にしなだれかかっていた女の子を振り解き、ナナウエは形相を変えて男の襟首を掴んだ。悲鳴を上げる女の子と、ナナウエを止めようとする男達の怒号が一瞬入り交い、列を作っていた他の客達も注目し始めた。

 バウンサーと呼ばれるナイトクラブの屈強なドア・マンが、階段を下りて来ようとしている。

 全てはほんの二分ばかりの間に起こった。

 今だとばかりに誠は大声を出しながら、揉み合っている男達の間に腕を入れた。

「ナナウエじゃないか、こんな所で何やってんだよ、行こうぜ」

 何だ知り合いか、と男達が騒ぐのを無視して、誠はナナウエの腕を掴んで引っ張った。誠の顔を見て、ナナウエは毛虫か何かを目の前に突き出されたような顔をしたが、やって来たバウンサーに目をやり、黙ってされるがままになった。

 誠はバウンサーに「友達が騒いでごめんよ、でもこいつは帰るから」と言い置き、ナナウエの腕を掴んでビルのエントランスを出た。

 歩道へ出るまで待っていたらしい。ナナウエは誠の腕を払った。

「何だよ、お前。人のこと尾けてるのか? 言っておくが、助けて貰ったなんて思っちゃいないぞ」

 一昨日はあまり気が付かなかったが、彼の喋る英語はアクセントが少なく、聞き取り易い。外国人と付き合って、自然に相手が聞き取り易い喋り方を身に付けたのだろう。

 ナナウエはカラカウア・アベニューと平行して山側を走っている、クヒオ・アベニューに向かって大股で歩き出した。

「尾けちゃいないさ。ホノルルがどんなに狭い町か分かってないのか? アヤ・シオタの事が知りたいんだ」

 ナナウエは速度を緩めない。

「お前、綾の男かよ?」

「そうじゃない、家族に頼まれたんだ。連絡が取れなくて困ってる」

 クヒオ・アベニューの歩道は決して広くない。ナナウエのすぐ脇を歩こうと思うと、いきおい向かい側から歩いて来る歩行者を押し退ける形になる。

 暫くナナウエの斜め後ろをダウンタウン方向に付いて行くと、彼は変わりつつあった信号を悠然と渡り、大きくない道をさらに山側へ向かった。その先にはアラ・ワイ・ブールバードと運河がある。

「あのな、別れた女の事なんか、一々知るかよ。二か月前に別れてからは、一遍も会っちゃいないんだ。日本に帰ったんじゃないのか?」

 アラ・ワイ・ブールバードに出る少し手前で、ナナウエは足を止めた。細い道の左右には古いアパートが並んでいる。ここが彼の住まいだろうか。

「日本に帰ってたら、家族と連絡が取れない訳ないだろう」

 誠がむっとした口調で咎めると、ナナウエは地面に唾を飛ばした。無言で茂みの脇から、アパートの敷地に入って行く。

 誠はついて行くべきかどうか迷い、立ち止まった。もしナナウエがここに住んでいるのなら、後日出直してもよい。

 見たところセキュリティーなど無さそうな古めの建物だ。

 そう思っていた所へ、とてつもないエンジン音が響き渡った。ライトが葉の広い木の間から洩れて来る。怪物のようなバイクに跨って、ナナウエが現れた。両足を前に突き出すようにして乗るクルーザー型だ。

「まだいたのか。とにかく綾の事は知らねぇよ。俺は日本人が嫌いなんだ。それも、少しの間、ハワイで楽しい思いだけしようって奴らには、我慢がならねぇ」

 それならほんの十分前、一目でそうと分かる日本人とナイトクラブの列に並んでいたのは何なのだ。なぜ塩田綾と付き合ったのだ。

 誠がそれらの疑問をぶつける前に、バイクは恐ろしい唸り声を上げ、アラ・ワイ・ブールバードに向かって滑り出して行った。

 店の後ろの駐車場まで歩く間、誠はナナウエの言動を考えた。

 ハーフ・ジャパニーズで、日本人と付き合いながら、日本人が嫌いだという男。短気なのも充分分かった。やはり子供染みたものを感じさせる男だし、「別れた女の事なんか」知らないと言う一語は説得力があった。

 別れたのが二月前なら、確かに四月に入ってからの塩田綾の動向は知るまい。これ以上ナナウエから得られる情報はないかもしれない。

 同時に塩田綾を捜す事自体も暗礁に乗り上げたようだ。

 コンドミニアムに学校、友人、別れた恋人と当たって、全く綾本人とは連絡が取れない。

 トレイシーが回数を決めてナイトクラブを回ってみろとアドバイスをくれた時からまだそれ程経っていないが、ナナウエはともかく綾とは接触出来ていない。

 アパートに帰ると、誠は珍しく兄に宛ててメールを書いた。微に入り細に入りとまでは行かなかったが、かなり詳しく今までの経過を書き、これ以上の捜索は不可能だと思うとまで書いた。

 要するに「ここまでやったんだし、勘弁してくれ」というメッセージだ。どの情報を「院長先生」の耳に入れるかについては宜しく選択してくれと書き添えたが、これは蛇足だろう。それを済ませると、ひどくせいせいした気分になった。

 鼻唄混じりでシャワーを使い、ついでに足を滑らせて壁でしたたか肘を打った。

 さっぱりした気分で眠りに落ちた筈なのに、夢見は良くなかった。

 会った事のない塩田綾が、店の前の路上で座り込んでいる。ここに居たんだ、皆が心配していますよ、と言う誠に、綾は首を振る。逃げなくちゃ、と何度も繰り返して今にも泣きそうだ。

 靴がないの、と言われて足元を見ると、ミニスカートから伸びた白い足の爪先が血で染まっていた。

 白い肌と真っ赤な血のコントラストに、誠は目眩がした。

 起きた時には頭の後ろに、重い痼りのようなものを感じた。塩田綾の肌と血はやけに生々しく、思い出しただけで鳥肌が立った。


 仕事に出てもその幻影は付いて来た。

 クロージング・シフトで、マークと一緒に一階の担当だったのだが、接客をしていて後ろから声を掛けられ、振り向くと真っ赤なワンピースを着た女性が立っていた。

 誠は飛び上がりそうになり、マークに不審な顔をされた。

「どうしたの? 顔色悪いよ」

 マークもゲイだが、誠とは全くタイプが違う。日本語ほど男女の話し方が違わない英語でも、はっきりそうと分かる程に、彼は女性的だ。

 誠よりも年は上だが、白人でも背は低く、細くて女の子のような顔をした彼が、そんな風に喋ってもあまり違和感はない。日本語は出来なくても、優しい話し方と丁寧な物腰で客を安心させる。

「昨夜、嫌な夢を見たんで調子が悪いんだ」

「そうなの、女の子に追いかけられる夢かしら? それって怖いよね。僕、一度、無理やり酷い目に遭わされたことあって、その女に似た人は、怖いの」

 誠が肯定も否定もしない内に、マークは自分の体験を少しばかり話し、肩を震わせた。

「他人の事に、ふざけ半分で干渉したがる人が多いと思わない? 好きなように生きてるんだから、放っておいて欲しいよね。ゲイと犯罪者を同列扱いする奴とか、地獄に堕ちりゃいいのよ」

 同じゲイだという事もあって、マークは誠相手だと饒舌になる。

 誠は自分にとって自然と感じるために、一般的な男性と変わらない言葉遣いをしているが、マークのようにはっきりしていれば、すぐにゲイだと分かる。

 例えば誠とジョージがナイトクラブへ行った時も、ゲイだとは思われなかった。しかしマークだったら、トレイシーと仲良く話していても一目瞭然だ。さぞかし嫌な目にも遭って来た事だろう。

 それでも自分の好きなスタイルを貫いているマークは、強い人間だと思う。

 その夜は、スーツと革の旅行鞄を同時に買う客に当たったお陰で、売り上げは上々だった。明日の土曜日が休みだという事を思い出して、機嫌良く接客していたせいかもしれない。反対にマークは小物ばかり売っていた。


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