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第二章・第五話 「遭遇」

「ありがとう、ローランド。夕方になったら行ってみるよ」

 黒く大きな瞳を二、三度まばたきさせて、ローランドは「五時まで待ちな」と言った。

「一緒に行ってやっからよ。ああいう所は気の荒いのも多い」

 何も知らない日本人が、常連客の多いバーに入って行って、誰かの事を聞き回る。アロハ・スピリットに溢れる街でも、そう親切な人間ばかりとは限らない。

 因縁でも吹っかけられたら、誠としては走って逃げるしかないだろう。

 ローランドはそれを心配しているのに違いなかったが、言葉の終わりに少し伏せ目勝ちになった事で、心配の理由が日本人だけでない事も伝わった。

 何かの拍子に誠がゲイだと分かったら、即座に袋叩きに遭うかもしれないと考えているのだろう。

 ローランドは、ジェームスと誠の関係を知っている。彼自身は敬虔なクリスチャンで、彼の宗派では同性愛は罪だと教えられている。けれども彼はジェームスや誠を、決して邪険に扱わない。

 いつだったか言った事がある。

「俺にゃ、絶対理解出来ねぇ。神様が下さったおめぇの体は、女の子を好きになるよう出来てる筈だよ。けど、おめぇはいい子だから、俺は嫌いじゃねぇよ。もしもおめぇが同性愛嫌悪症(ホモ・フォビア)の奴らに、どうかされるような事になっちまったら、俺ぁ泣くだろうなぁ」

 頼むから自分の前でキスしたりはしないでくれと付け足して、苦笑していた。

 誠は彼のような人間に出会うとほっとする。

 理解出来なくとも、頭ごなしに否定せずに、受け入れようと努力してくれる、そういう人間が増えれば、もっと住み易い世の中になる事だろう。

 しかし誠がゲイだと知ると、途端に唾を吐いたりする人間が多い事は、動かし難い事実で、ローランドはそれを心配しているのだ。

 素直に好意に甘える事にして、誠は五時までビーチでひたすらごろごろして過ごした。

 ローランドの勤務時間の終わる五時には、別のライフガードがトラックで、ライフガード専用のサーフボードを回収しに来た。監視台に入り込まれないよう、蓋のようなものをして鍵を掛ける。

 誠がTシャツとショートパンツの格好を気にすると、ローランドは顔の皺を増やして笑った。

「地元の子らしくていいさ」

 一軒目のバーは、誠とトレイシーがよく行くバーの近くにあったが、雰囲気は少々違った。こちらの方が、より男性的なエネルギーに溢れている。

 まだ日が暮れてもいないのに、二十人以上の男達がいた。多少は期待していたのだが、ナナウエという男は見当たらなかった。

 それにしてもローランドの顔の広さに、誠は改めて舌を巻いた。店にいる全ての男達が、彼に敬意と親しみを込めた挨拶をした。

 彼らは、ローランドの連れが誠だと知ると怪訝な顔をしたが、「甥っ子みてぇなもんだから」との説明にそれ以上追求しなかったし、尋ね人の事も取り合ってくれた。

「あいつかな? 背中にでっけぇ鮫の口の刺青がある奴」

「ああ、確かそんな名前だったかなぁ」

 誠はナナウエの背中に、刺青があるかどうかまでは分からない。

「あの、右腕のこの辺に女の人の顔の刺青がある筈なんだけど」

 恐る恐る口を挟むと、彼らは頷いた。

「そうだよ、あいつだ」

 しかし、ナナウエがどこに住んでいるか、又は何の仕事をしているか知っている者はいなかった。

 一軒目の店の近くに誠の車を停めたまま、ローランドのピックアップトラックに同乗して二軒目に向かった。目指す二軒目のバーは、ワイキキの反対側、つまりダイヤモンドヘッドに近い端だった。

 ワイキキの東端はカパフル・アベニューという道路で仕切られており、その向こうに動物園とカピオラニ公園がある。

 ローランドが誠を連れて行ったバーは、細い路地を少し入った場所にあった。賑やかな音楽が外まで聞こえている。

 入り口までの三段程の石段を上ろうとした時、急に店の中から男が飛び出して来た。ローランドにはぶつからなかったものの、後に続く誠までは避けられず、軽く肩がぶつかって男は蹈鞴を踏んだ。

「あ、悪い」

 と言った相手に、自分も謝ろうとして誠は息を呑んだ。彼だった。

「あんた、ナナウエだろ?」

 いきなり見知らぬ人間から名前を呼ばれて、彼はぎょっとした顔をした。

「何だよ、おめぇ」

「ミス、アヤ・シオタを捜してるんだ。居場所を知ってるかい?」

 今度はあからさまに不愉快そうになった。誠の事など無視して立ち去りたいようだったが、背後に立つローランドを気にしている。

「付き合ってるんだろ?」

 もう一押しすると、彼は唇をねじ曲げた。そういう顔をしても、不思議とハンサムな顔は崩れない。自分の好みではないが、こういう所が塩田綾は好きなのかもしれない。

「確かに付き合ってたけどよ、たった三、四ヶ月だぜ。もうとっくに別れたし、今、どこにいるかなんて知らねぇや」

 下唇を付き出して言った仕草が、幼く見えた。

 誠が重ねて質問しようとすると、彼は路上に唾を吐き、何か呟くと身を翻して走り出した。誠は後を追うよりも、呆気に取られてしまった。今のリアクションからすると、彼は塩田綾の失踪について何か知っているのかもしれない。

 だが、反応があまりに唐突で、誠はただ後を見送ってしまった。

 恐ろしい勢いでナナウエが走り去った後、誠は我に返ってローランドに礼を言った。

 いずれナナウエとは再度接触を試みなければならないだろうが、足掛かりは出来た。このバーに時々来てみればいい。

 ローランドの勧めでバーに入り、ナナウエがこの店の常連だという事を確認して、その日は切り上げる事にした。誠を車まで送ってくれる短い間に、ローランドは危ない事には関わらないようにとアドバイスをくれた。

「ハワイはよ、本当に色んな人間がいっから、それだけ問題も起きやすいっていやぁ、起きやすいよな。普段は『アロハ・スピリット』なんて言って上手くやろうとすっけど、そんなの糞食らえって思ってる奴もいんだよ。そういう奴は、まともに相手しちゃ駄目だかんな」


 誠が塩田綾捜しのために、ナイトクラブへ行く事を再び思い立ったのは、一日置いた木曜の午後だった。

 三時に出勤して早々、何組かの客を立て続けに捌き、一息ついた所で、忙しいのはその日が木曜だからだと思い当たり、同時にナナウエを知っていると言った由美の言葉が甦った。

 彼女がナナウエを見掛けたナイトクラブは、木曜が盛り上がると聞いている。ちなみに土日に到着、出発する観光客達も、木曜か金曜に買い物をする事が多い。

 生憎、トレイシーとジョージは二人共モーニング・シフトで、付き合わせても良さそうな同僚は働いていなかったし、ナイトクラブへ行く着替えも持って来ていなかったが、誠は覗いてみるだけのつもりで、仕事の後に足を向けた。

 そのナイトクラブがワイキキ内にあり、店からわずかしか離れていない事も理由だった。

 以前トレイシーと一緒にナイトクラブを回った際、そこには入らなかった。一応近くまで行ったのだが、入店待ちの行列を見た途端に、入る気を失くしてしまった。

 それだけ人気のあるクラブなら、塩田綾も行っているかもしれないとは思ったのだが、待ち時間の間に何軒のナイトクラブを回れるかと考え、敬遠した。

 ナイトクラブはビジネス・ビルの二階にあった。入り口から吹き抜けエントランスに、瀟洒な階段が曲がりくねって一階まで延びている。階段一杯に行列が並び、一階のエントランスだけでも収まり切れずに歩道にはみ出している。

 先日よりも長い行列だ。誠は再び入る気を失くした。一本吸って帰ろうと、エントランスから少し離れた場所にある灰皿まで行き、煙草に火を点ける。

 何の気なしに並んでいる人々を眺めて、思いがけない幸運に飛び上がりそうになった。

 丁度、階段を下り切った辺りに日本人のグループがいて、頭一つ飛び出たナナウエが、端正な横顔を晒していた。

 観光客や、ハワイに来て間もないアジア人ならば、服装などから大体どこの国の人間か分かる。ナナウエの連れは、いかにも流行りの格好をした日本人の若者達だった。

 彼にぴったり寄り添うように立っている、茶髪の女の子が新しいガールフレンドなのかもしれない。ナナウエはハワイでは珍しい革のパンツを履き、Tシャツの上からベストを来ている。


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