第二章・第四話 「サーファー」
当たりは翌日やって来た。
誠はナイト・シフトを終えた後、昨夜決めた通りに再びナイトクラブ巡りに出て、二軒目で塩田綾とそのボーイフレンドを知る女の子に出会った。
仕事中、ジョージに塩田綾の話と、ナイトクラブ廻りの話をした所、彼は意気込んで同行を申し出てくれた。日本人の母を持つ彼は、日本人の女性にえらく優しい。
彼の母もハワイに仕事で来ていて、父と知り合って結婚したそうなので、塩田綾の話は他人事ではないと言う。
「君代も同じだって? でも彼女をクラブに付き合わせるのは、旦那に悪いだろ」
そんな事を言いながら、得々としてその晩行くべきナイトクラブの名前を挙げ始めた。
ジョージの選択が良かったのか、運の問題か、そのクラブはワイキキではなく、ダウンタウンの近くにあった。映画館やレストラン、ナイトクラブが一階、二階に入り、上の方はビジネス・ビルになっている。
綾を知っていると言った女の子は、友人らしい二人と一緒で、ジョージが声を掛けるとナンパだと思ったようだ。大分酔っていたけれど、綾という名前だけで既に「あの綾さんかな?」と思い出してくれた。最初に塩田綾だけが写っている写真を見せ、次いでボーイフレンドと一緒のものを出した。
「そう、この人。最近会ってないけど、前はしょっちゅうこういう所で会って、奢ってくれたの」
「この男はボーイフレンド? 名前知ってる?」
由美と友人から呼ばれた彼女は、セミロングの髪を揺らして頷いた。
「知ってるよ、ナナウエっていうの。ハワイアンの名前なんだって。ええっとね、ハーフ・ハワイアン、ハーフ・ジャパニーズだって言ってた。珍しいよね。でもさ」
彼女が急に言葉を切ったので、誠は先を促さなくてはならなかった。
ジョージが素早くウェイトレスに五人分の飲み物を注文し、誠が「内緒の事なら絶対言わないから」と念を押すと、ようやく続きを口にした。
「別れたか、でなければ浮気してるよ」
つい先週、彼が他の女性と実に親しげにしているのを、別のナイトクラブで見たと言うのだ。
木曜日が盛り上がるという評判の新しいナイトクラブだ。それ程重大な秘密ではないかもしれないが、由美はさも深刻そうに言った。誠は彼女に合わせて深刻そうに聞き、次いでナナウエという男の特徴を聞き出した。
身長は百八十五センチ前後、写真では分からなかったが、右上腕部に女性の顔の大きな刺青がある。長髪をいつも後ろで括っていて、顔は写真で分かる通りのハンサムという事だ。生憎、由美も彼の職業迄は知らなかった。
一緒に遊ぼうよと言う彼女達の誘いを丁重に断って、誠とジョージはナイトクラブを出た。
その時点で時計を覗くと午前二時で、誠は次の日がモーニング・シフトだった事を思い出し、慌てて帰ることにした。週末だから起きているかとも思ったが、ジェームスは例によって、眠ってしまっていた。
ナイトクラブでは、全く聞こえなかった携帯電話を確認する。兄からメールが入っていた。
塩田綾が持っていたデビットカードについての報告だった。彼女は父親の口座から引き落とされる、子カードを預けられていたのだが、以前は全く使用していなかった。それが四月に入ってから、何度か使用されている。
「院長先生は大した金額ではないと言っているが、彼の金銭感覚は我々とは少し違う」と、兄はコメントを添えていた。
塩田綾は、金銭的に困った状態にあるらしい。もっとも、彼女がハワイに引っ越した際、まとまった額を持って来たのか、それとも月々日本から一定の仕送りを受けていたのかは、聞いていない。
兄か、塩田文美に聞いてみようかとも思ったが、すぐにする気力はなかった。
明日は、いや正確には今日はモーニング・シフトなのだ。「明日、明日」と呟いて、誠はマットレスを敷いた。
翌日の日曜は疲れていてモーニング・シフトをこなすのが精一杯で、次の月曜にナイト・シフトの後で行ってみた、ナイトクラブでの収穫は皆無だった。
その間、塩田文美にメールで綾の預金等についての問い合わせをした所、軽く十万ドル以上の金を持ってハワイには行った筈だという答えが帰って来た。
文美からのメールを読んだのは、月曜の夜、正確には火曜の朝で、疲労で鈍った頭にも十万ドルという数字は響いたけれど、それ以上考える気力が無く、マットレスに倒れ込んだ。
幸いにして、火曜日は休みだった。
昼まで熟睡して頭をすっきりさせ、前夜読んだ塩田文美からのメールを思い出してみた。
十万ドルと言えば、日本円が高いとはいえ、およそ八百万にはなる。塩田文美は「どう少なく見積もっても」と書いていた。どうやら塩田綾は、その金を大分減らしてしまったようだ。
しかしなぜ彼女は、日本にその旨を連絡しないのだろう。
あれこれと頭を悩ませ、仮説を立てては打ち消すのを繰り返して、誠は考えに行き詰まった。
全ては塩田綾と連絡が取れれば解決するのだ。いっそ塩田綾の父親を焚き付けて、テレビコマーシャルでも打てばどうだろう。いや、警察や興信所を頼むのも嫌がる人間が、逆立ちしたってそんな事はしない。
誠はふと、我が身を振り返ってみた。もし自分が失踪したらどうだろう。両親や兄は仕事を放り出してハワイまで来るだろうか。また日本へ行ってしまったとしたら、日本語を全く解さないジェームスは、自分を捜しに日本まで来るだろうか。
気分がくさくさしてしまったので、誠は安価な気分転換をする事にした。
素早く着替え、バックパックに必要な物を突っ込んだ。ビーチに行くのだ。今日も天気がいい。
アラモアナ・ビーチパークへ行く途中、スーパーに寄ってサンドウィッチと出始めたばかりのサクランボを買った。サンドウィッチは自分用だが、サクランボはライフガードへの差し入れだ。
以前何度か、差し入れのお裾分けに与って以来、誠も時々何か持って行くようになった。顔見知りのライフガードでなくとも構わない。
見知らぬ同士が物を与え合うのは珍しいことではないのだ、この土地では。
定位置とも呼べる辺りに車を停めて、誠は膝の高さの堤防を乗り越えた。ビーチサンダルを履いた足の裏にも、焼けた砂の熱が伝わって来る。
今日のライフガードは誰かと監視台を覗く前に、声が降って来た。
「ほぅい、誠じゃねぇか」
梯子をガタガタ言わせながら降りて来たのは、ローランドだった。ハワイアンとフィリピーノのハーフの彼は、もう六十歳近くだが、サーフィンで鍛えた体はとてもそうは見えない。
「久し振りだぁな、兄弟。こないだジェームスには、アラモアナ・ボウルで会ったっけが」
彼はジェームスの事もよく知っている。アラモアナ・ボウルはサーフィンのポイントだ。
その名前を聞いて、誠は閃くものがあった。ローランドは生まれも育ちもオアフ島で、サーフィン歴は五十年以上だ。当然サーファーの知り合いも多い。
彼ならサーファーだという塩田綾のボーイフレンド、ナナウエを知っているのではないか。
水道で洗ったサクランボを勧めながら尋ねると、ローランドは十粒ほど食べた所で、首を振った。
「知らねぇね。腕に刺青のある男なんざ、掃いて捨てるほどいるよ。それに顔見知りでも、名前は知らねぇのも多いしよ」
続けて話好きのローランドは、一くさり最近のサーファーについて批評を述べた。
「始末に負えねぇのが、始めたばっかのと他所から来た連中でよ。人が乗ってる波に平気で後乗りしゃぁがったりすんのよ。順番もわきまえねぇしよ」
「喧嘩になったりしないのかい?」
「たまーにはあるわな。けど、大抵は土地のもんが、黙って辛抱すんのよ」
彼が古き良きホノルルと、当時の、気は優しくて力持ちのビーチボーイ達の話を気が済むまで話し終えた頃には、1パウンドのサクランボは種しか残っていなかった。誠も大分食べたのだが。
ローランドはサーファーを捜すなら、彼らが集うバーに行ってみるとよいと助言をくれ、三軒ほどの場所と名前を教えてくれた。
「今の時期は皆、島の南側に来てらぁ。その男がいなくとも、知ってる奴はいんだろう」
一瞬、またそういう所を回るのかと、誠はうんざりした気分にもなったが、とりあえずは覗くだけでも行ってみようと思った。