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第二章・第二話 「学生」

 メールを読み終えて、誠は溜息と共に背もたれに体を預けた。 塩田綾は、不倫を清算した。驚いたのが半分と、納得したのが半分だった。

 学校の事務員が言っていた、「ちょっと影があるかな」という印象は、独身だったせいだけではなかった。

 なるほど辛い思いをしたに違いない。まして保守的で強い性格の父親の元では、毎日が針の筵だったのではないか。

 不倫の相手だという医者に病院を辞めろと言うのではなく、自分の娘に勤めを辞めさせる所に、父親の性格が見えるようだ。

 前回のメールでも思った事だが、塩田文美は父親に対して批判的な目を向けている。しかし父親の望むべく「結婚しても塩田姓で」いる所などは、批判的ではあっても反抗はしていないという所だろうか。

 どんな人物であれ、姉の捜索を依頼している相手に連絡を取ろうとする点では、常識的だと誠は思った。

 さて返事を書く段になると、誠はかなりもたついた。散々書いては消し、を繰り返した後、前回返事を書かなかった非礼を詫び、今後も彼女の姉について思い出した事があったら知らせて欲しい旨を申し入れた。

 その短いメールを作成するだけで、気が付くと十一時半を廻っていて、自分は一生オフィスワークは出来ないかもしれないと、誠は将来を悲観した。


 数えるほどしか足を運んだことがない、UHまでは車で十分程度だった。

 浅井友子に教えられた通り、外来者も停められる立体駐車場にたどり着いたのは良かったが、空きを探して駐車場内を走り回っている内に、時間を食ってしまった。 

 ようやく陽の当たる最上階に車を停めて、約束のアッパーキャンパスへ向かった。指定されたカフェテリアは図書館の前にあり、図書館の入り口付近にはすでにトレイシーと浅井友子が立っていた。

「遅いよ、あんたの奢りね。彼女、お昼はまだだって言うから」

 トレイシーがむくれて見せた。誠を待つ間に、自己紹介は終えたようだ。

 浅井友子が、紺のバックパックで水色のTシャツを着て来ると言った目印を、トレイシーに伝えておいて良かった。

「何でも食ってくれ」と英語でトレイシーに言い放って、誠は浅井友子の方を向き、日本語で挨拶した。

「遅れてすみません。桜井誠です。お時間取って頂いてすみません」

 内気そうに笑ったその顔は、塩田綾のコンドミニアムで見付けた写真の顔に間違いなかった。

 冷房の効いたカフェテリアに移動して、それぞれランチを買った。遠慮する浅井友子を制し、誠のポケットから財布を取って、トレイシーが支払いを済ませてくれた。

 広いカフェテリア内の窓の近くに腰を下ろすと、誠は改めて礼と、予めトレイシーという同席者がいる事を知らせなかった事を詫びた。ついでに持参していた委任状等も見せた。

「いえ、いいんです。女の人がいる方が安心します。あの、実は今、ファイナルの前で、それで電話では失礼しちゃったんですけど、よく考えたら、綾さんが困っているかもしれないのにって反省したんです」

 浅井友子はぺこりと頭を下げた。写真ではセミロングの髪を縛っていたが、今はもっと短くなっている。化粧はしていないようだ。

 彼女の言うファイナルとは、期末試験だ。五月は学年末で卒業式も行われる。学生にしてみれば、一年の内で最も大切な時期という訳だ。

 誠は恐縮したが、双方で詫びてばかりでは話が進まない。食事をしながら、質問に入った。

「学校の事務の方は、浅井さんが塩田さんと一番仲が良かったと仰ってましたけど、クラスが一緒だったんですか?」

「いいえ、クラスは全然違ってました」

 浅井友子は即座に首を振り、誠は首を傾げた。クラスが一緒でなくて、それでどうして親しくなったのだろう。年齢的にも塩田綾が三十一歳、浅井友子は二十歳前後に見える。

 もっともクラスが一緒だったとしたら、UHに入学出来た浅井友子と、同レベルの英語力を塩田綾は持っている事になる。その件に関しては、誰にも質問した事がなかった。

 誠の疑問を察したのか、浅井友子は続けた。

「仲良くなったきっかけは、学校の紹介で、不動産屋さんにアパートを探してもらった事なんです。私と綾さんは全く同時期に入学して、手続きなんかも重なって。来たばかりって心細いでしょう? 話をするようになって、一緒に不動産屋さんにも行ったんです。私は学校の近くの安い所で、綾さんは、知ってますよね? 私が『いいなぁ』って言ったら、すぐに『遊びにおいでよ』ってことになったんです」

 見知らぬ土地に来たばかりの者同士なら、そういうものだろう。事務の女性、ユウコから聞いてはいたが、誠は時期を確認した。

「それは、去年の八月の初めですね?」

 丁度ジュースのストローを口に運んでいた浅井友子は、軽く頷く。それまで黙っていたトレイシーがふいに口を開いた。流暢な日本語はネイティブ並だ。

「塩田さんはアウトゴーイングな性格の人でした? うちの店に来た時は明るい人だと思いましたけど」

 聞かれて浅井友子は少し考える様子をし、言葉を選ぶようにして話し出した。

「アウトゴーイングというか、そうしようと努めているみたいでした。自分でもそう言ってたし。日本にいた時は、小さくなって暮らしてたんですって。信じられないでしょう? 綾さんみたいに美人で、実家もいいお家で、いい大学出ていて。私、よくその事を言ってたんですけど、綾さんは私の事を『若いからいいね』って、そればっかり。でも、私の引っ込み思案を良くないって言ってくれたし、自分でも積極的に人の中に入ろうとしてたと思います」

 小さくなっていたというのは、おそらく妹のメールにあった、年齢の事と不倫の関係によるものに違いない。ハワイに来てからは、違った生き方をしようとしていたようだ。

「じゃあ塩田さんとは、ずっと仲が良かったんですね?」

 単に続きを促すつもりの質問に、浅井友子は、はいと答えそうになって取り消した。

「あれ? 私、何だか綾さんと、長い間親しかったような気がしてたんですけど、違ってたみたいです」

 自分でも今、気が付いたという表情だ。

「一時期、毎日一緒にいて、よく綾さんの家にも泊まりに行ったから、長く感じたのかもしれません。二か月ちょっとの事だったんです。十月の中頃から、私はUHに入る為の小論文なんかで忙しくなって、TOEFLの点数は取ってあったんですけど、とにかく勉強に力を入れるようになったし、綾さんは、その、ナイトクラブとかによく行き始めたみたいで。十一月になった頃には、学校の方はあんまり熱心じゃなかったと思います。でも二日か三日に一度は、顔を出すだけでも来てました」

「浅井さんは、ナイトクラブには興味がなかったんですか?」

 トレイシーの質問に誠は、どう見ても彼女はそういった方向に興味はなさそうだが、と内心呟いた。ファッショナブルな物に無縁だというのではない。

 浅井友子は確かに、塩田綾程の華はないが、整った顔をしているし、着飾れば人目を引くに違いない。ただ見るからに真面目そうで、加えて内気そうだ。

「私、その頃はまだ二十歳だったんです」

 はにかんだように浅井友子は笑った。笑顔はなかなか可愛い。

 こちらのナイトクラブでは、カレッジ・ナイトと称する特別な夜でない限り、入場は二十一歳以上と制限されている場所が多い。アメリカでの飲酒年齢は二十一歳だ。ナイトクラブの入場も、アルコールの購入も、身分証明書の提示を要求される。

「今でも好きじゃありません。その頃は特に、絶対にUHに入らなくちゃって必死でしたから。うちは普通のサラリーマンで、無理して海外に出して貰ってるので。でも、入ったら付いて行くので必死です」

 もう一度恥ずかしそうに笑うと、ジュースを一口飲んで浅井友子は黙ってしまった。黙々と目の前の皿をつついている。つついているだけで大して口に運んでいない。

「どうかしました? 何か思い出したんじゃありません?」

 トレイシーに来て貰って本当に良かった。

 誠は彼女が、何か言いにくい事に思い当たったと推測はついたが、どう聞き出してよいか見当も付かなかった。

「私、自分が薄情だなぁって思って。ずっと綾さんに電話してなかったし、行方不明って聞いて、でもファイナルの事を考えちゃったり」

 細い声で浅井友子はトレイシーに向かって言い、トレイシーはカウンセラーの様な口振りで慰めた。

「でも、こうして時間を取ってくれたわけですし、塩田さんからも電話はなかったんでしょう?」

「そうですけど、私、入学のお祝い貰ったりしたのに、すっかりそのままになっちゃって、失礼な事をしちゃいました」

 誠は首を捻った。そう言えば、浅井友子は一体いつUHに入学したのだろう。学年が始まるのは八月の下旬の筈だ。

「ちょっと聞いてもいいですか?」と誠が口を挟んで疑問を口に出すと、トレイシーは小馬鹿にした顔をした。

「あのね、大学には一月入学のシステムもあるの。浅井さんは今年の一月に入学したのよ」

 無知さ加減を浅井友子に詫びつつ、誠はトレイシーの言葉を受けて、もう一度質問した。

「入学のお祝いって事は、一月に塩田さんに会ったんですね?」

「そう、それからは会ってません。その時に、何か綾さんすごく変わったな、って思ったんですけど、行方が知れなくなってる事と、関係あるかどうかは……」

 誠とトレイシーは同時に「変わった?」と聞き返した。勢いが良すぎたせいかもしれないが、浅井友子は驚いたように目を開き、一瞬遠くを見てからゆっくり話し出した。



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