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第一章・第十話 「写真」

 誠が玄関の収納の前で考え込んでいる間に、ヘレンはキッチンを覗いていた。

 その彼女が呼んだので、誠とヒラタ氏はキッチンへ入った。ヘレンは牛乳のパックを片手に、少し興奮した声を出した。

「これ、冷蔵庫に入ってたの。賞味期限の日付を見てよ。三月二十八日って書いてあるわよ」

 やはりこの一月の間、ここで人が生活していた形跡はないようだ。

「急に思い立って旅行って事も、ないだろうねぇ」

 ヒラタ氏が困惑し切った顔をして、腕を組んだ。ベッドルームにライティングデスクがあった事を思い出し、誠は彼を促した。

「パスポートを確認しましょう。あるなら机の抽斗じゃないですか?」

 意外なほど塩田綾の持ち物は少ない。捜し物は困難ではなさそうだ。ベッドルームの机の上には、未開封の手紙が何通か載っていた。どれもダイレクトメールで私信ではないが、宛先はたしかに塩田綾になっている。

 机の脇の洒落た棚には、写真立てが三つ置いてあった。一番後ろにある大きなものは、六枚の写真が入るもので、学校の教室でクラスメイトや教師と撮影したものばかりだ。

 手前の一つには、日本人の女の子と並んで写っている。背景に有名なレストランが入っていたから、すぐに北海岸、ノース・ショアと呼ばれる地域のハレイワの町だと分かった。

 綾の隣ではにかんだ笑みを浮かべている女の子は、塩田綾よりも大分若い。これが浅井友子かもしれない。

 さらに一番目立つ場所に、麗々しく飾られている写真を見て、誠は内心深く頷いた。塩田綾には付き合っているボーイフレンドがいたらしい。いや、いるらしいと言うべきか。

 ポリネシアンとどこかのハーフらしい男が、塩田綾の肩を抱き寄せている。整った顔立ちで、美男美女のカップルと言えた。男の顔に触れそうな位置で、塩田綾は誇らし気に微笑んでいる。

 照明の具合で、ナイトクラブか何処かだろうと誠は判断した。

「この写真立て二つ、持って行ってもいいですか?」

 浅井友子に接触する事が出来れば、写真を見せて、このボーイフレンドの事を聞けるだろう。後々、塩田綾に怒られたら謝り倒すまでだ。ヒラタ氏は構わないだろうと答えた。

「でもとにかくね、警察に届けた方がいいですよ。そりゃ、大した捜査はしてくれないだろうけど、やっぱりねぇ」

 と付け加える。誠は「今晩、彼女の家族にそう言います」とだけ言った。

 続いて机全体を眺め、四段ほど並んだ抽斗に手を伸ばす前に、周辺を見回した。机の上がすっきりしているのは、ノートパソコンを塩田綾が持って出ているからだとすれば、納得が行く。

 誠は上から、抽斗を開けてみた。一番上には筆記用具と文房具が入っていた。

 二番目には、誠の勤めるブランドの靴箱が入っていて一瞬驚いたが、丈夫で一見お洒落なそれは、書類入れにもなるだろうと、取り上げて開けてみた。

 やはりそうだった。学校の在籍を示すI-20や、このコンドミニアムの賃貸契約書の間から、パスポートが顔を覗かせた時には、理由もなく溜息が洩れた。

 中を開いて見ると、紛れもない塩田綾の物だ。箱の中にはその他に、電話会社の契約書や銀行の口座開設の書類などが入っていた。

 銀行の口座開設の書類があったからには、塩田綾はハワイの銀行を使っていた筈だが、生憎と毎月送られて来るステイトメント、出入と残高記録の類は三段目にも四段目の抽斗にも見当たらなかった。

 野次馬根性と言えばそれまでなのだが、誠は彼女が購入したバッグや靴の行方と共に、経済状態も気になった。

 机を点検し終わると、あとはバスルームが残るだけだった。

 バスルームはベッドルームの奥だったが、キッチンの脇からもドアがあり、来客は住人のベッドルームを覗かずに、バスルームへ行ける設計になっている。手前にシンクが二つ並んだ広い洗面所があり、奥のトイレと風呂場は別れていた。

 片方の洗面台には髪の毛が数本落ちて、化粧道具が無造作に置かれてあった。元々そこが定位置としてあるのではなく、使い終わった後に時間がないので、そのままにして行ったという風情だ。

 ヘレンが長細いプラスティックの何かを取り上げた。緩んでいたキャップを捻って、中身を引き出してみた所で、誠はマスカラだと分かった。

「固まっちゃってる。やっぱり帰ってないのね」

 トイレと風呂場には、特別何もなかった。調べるべき事は調べたので、三人は言葉少なに部屋を出た。

 直前に、ヒラタ氏が持っていた紙とペンを借りて、ダイニングテーブルの上に家族に連絡するように伝言を残した。

 エレベーターを待つ間、誠は思い付いてヒラタ氏に尋ねた。

「そう言えば、彼女は車を持っていたんでしょうか? 何か聞いていますか?」

「いや、うちの会社ではそういう事まで管理しないから。でも、ここの管理人に聞けば分かるでしょう。住人は各自自分のパーキングがあって、そこに停める車は届け出ることになっている筈だ」

 二階まで降り、エレベーターの扉が開いた時、中をよく見ないで乗り込もうとした人物とぶつかりそうになった。相手は慌てて体を引き、それから「オオッ」と声を出した。

 警備員のキモだった。

「マトコじゃねぇかい。また例の彼女の事で来たんかい?」

 マコトだと訂正してから、誠はマネージャーがオフィスにいるかどうか聞いてみた。もちろんいるさと言ってキモは、オフィスに向かう三人の後をついて来る。また、暇らしい。

 オフィスではマネージャーが、パソコンをいじっていた。

 グレッグ・ヒラタが来意を告げ、塩田綾が車を持っていたかどうかを聞く。不動産会社の人間だけに、マネージャーは簡単に教えてくれた。

「そうかい、部屋には帰ってないのかい。警察に届けなきゃいけないだろうよ。ええっと、3102号室ね」

 渋面を作って先日とは別のファイルを出し、捲り始める。パソコンでデータを呼び出すのよりも、早いのかもしれない。

「あったあった、3102号室のパーキング・ストールは156で、車はね、赤のBMW」

 マネージャーがそこまで言った時、キモが急に口を挟んだ。「そんな車ねぇよ」

 驚いて彼の顔を見ると、キモは得意そうに鼻を鳴らした。

「156ったら三階のマウカ・サイドのダイヤモンドヘッド寄りなんだ。俺は一日に何度も見回るんだぜ。そんな車はねぇ。何だったら行ってみな。この一月の話じゃねぇよ。もっとずっと前から……、いや待て、四、五か月前はあったな、赤いBMW」

 マウカ・サイドとは、山側という意味だ。地元ではよく使われる、ハワイ語と英語の混成だ。ちなみに海側はマカイ・サイドと言う。

 毎日ビルの内外を見回っているキモの言うことだから、間違いがあるとは思われない。とすると、四、五か月前から、塩田綾はあまり部屋に帰って来ていない事になる。

 帰って来ても短時間で、だからキモが車を見なかったのではないか。誠は部屋で見付けた写真の男を想い浮かべた。

 マネージャーとキモに礼を言い、三人はオフィスから駐車場に向かった。ヒラタ氏の顔が短時間に急に疲れた様に見える。自分もそうなんだろうと誠は思った。

 アラモアナ・ショッピングセンターへ向かう車の中で、ヒラタ氏と誠は簡単に今後の事を話し合った。誠は塩田綾の家族に連絡し、仮に塩田綾が見付からなくとも、部屋を引き払うかどうかを決める。

 あの部屋は家具付きで、カウチもベッドも塩田綾の持ち物ではないから、大きな荷物はない。誠が手続きを代行し、荷物を日本に発送する事も可能だ。

「まあ、本人がひょっこり戻って来るのが一番だけど、当面はそちらから、御家族にどうするか聞いて下さい」

 部屋の処遇についてそう結び、更にヒラタ氏はぼそぼそと続けた。最初に話した時の甲高い声はどこかに行ってしまった。

「うちの娘も本土の大学へ行ってるんだが、心配だねぇ、こういう事があると」

 アラモアナ・ショッピングセンターで降ろしてもらい、腕時計を見るとまだ一時半だった。



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