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婚約破棄された夜、妹が社交界に現れました〜元婚約者の真実の愛はだいぶ話を聞かない〜

作者: あうまる
掲載日:2026/06/29

「アリシア・グランベル。君との婚約はこの場で破棄させてもらう!」


 ローウェル伯爵がそう言い放った瞬間、私は持っていた果実酒の杯を落としかけた。


 場所は王都の夜会。伯爵家が主催する花と香水と見栄でできたような会場である。壁際には楽団、中央には踊る貴族、奥には焼き菓子の並んだ卓。


 私はさっきからその焼き菓子の三段目にある蜂蜜タルトを狙っていた。


 なのに婚約破棄である。せめてタルトを食べてからにしてほしかった。


「アリシア、聞いているのか」


「聞いています。人前でやる話ではないなと思っていました」


「今さら取り繕うつもりか!」


 ローウェル伯爵、名はエドガー。年は二十二。伯爵位を継いで二年目。見た目は良い。背も高い。社交界ではそこそこ人気がある。


 ただ思い込みが強い。今日も強かった。


 彼は私を指さしその隣に立つ一人の女性へ手を差し出した。


「私は真実の愛を見つけた。彼女こそ、私が守るべき人だ!」


 会場中の視線がその女性へ集まった。


 淡い藤色のドレス。細い首。白い手袋。銀糸を編み込んだ長い髪。睫毛は長く唇には控えめな紅が差してある。少しうつむくだけで周りの令嬢たちが息をのむ。


 たしかにきれいだった。私よりよほど令嬢らしい。問題はその人が私の弟だったことだ。


「……ルネ?」


 小声で呼ぶと藤色のドレスの美女は肩を跳ねさせた。いや今はルナと呼ぶべきだろう。


 生まれたときの名はルネデリック。愛称はルネ。私の二つ下の弟として育てられた。けれど本人はずっと自分を男だと思えなかった。幼い頃から私の髪飾りに触りたがり、母の古いショールを肩にかけて鏡の前で固まっていた。


 そのたびに父は困った顔をし、母は使用人の目を気にし、私は黙って部屋の鍵を閉めた。


 リボンの結び方を教えたのは私だ。最初の口紅を渡したのも私だ。それなのに今、彼女は私の婚約者の隣に立っている。展開が雑すぎる。


「エドガー様」


 私は扇を閉じ声を整えた。


「確認します。あなたは私との婚約を破棄し、その方を選ぶと?」


「そうだ」


「その方のお名前は?」


「ルナ嬢だ」


「家名は?」


「……それは」


 エドガーが一瞬だけ詰まった。知らないのか。真実の愛、だいぶ雑だな。


「家名など関係ない!」


「あります。ここは貴族の夜会です」


「愛の前では些末なことだ!」


「伯爵家の当主が夜会の中央で言う台詞としてはなかなか勇ましいですね」


 周囲の何人かが扇で口元を隠した。笑ったな。今、何人か笑ったな。


 エドガーは顔を赤くした。


「君はそうやっていつも人を見下す。だからルナ嬢も苦しんでいたのだ」


「ルナが?」


 私は彼女を見る。


 ルナは両手でドレスの布を握っていた。視線は床。いつもの癖だ。言いたいことがあるときほど爪を布に立てる。怒っているのか、泣きそうなのか、困っているのか。全部が混ざっているのだろう。


「アリシア様」


 ルナが細い声で言った。


「私は、その」


「ルナ嬢、怯えなくていい!」


 エドガーが一歩前に出た。


「私が君を守る!」


 誰から何を守るつもりなのか。少なくとも今、ルナの発言機会を全力で踏み潰しているのはあなたです。


「エドガー様。ルナに話させてください」


「君に命じられる筋合いはない」


「私の家族ですので」


「家族だからこそ、支配してきたのだろう!」


 会場がざわついた。来た。まずい方向に来た。


 エドガーは懐から一枚の紙を取り出した。嫌な予感がした。ああいうとき、人はだいたい余計なものを持っている。


「私は知っている。君はルナ嬢のドレスを自室に隠し外に出ることを禁じていた。彼女が女性として生きることを認めず男として扱い続けた。違うか!」


 違う。かなり違う。いやかすってはいる。かすっているぶん面倒だ。


「そのドレスは私の部屋に置いてありました」


「認めたな!」


「屋敷の使用人に見つからないようにです。本人がまだ公にする準備ができていないと言っていたので」


「そんな言い訳が通ると思うのか」


「あと、私の部屋を調べたのはどなたですか」


 エドガーの口が閉じ会場のざわめきが別の種類になった。


 伯爵が未婚女性の私室を調べた。この一文だけで社交界では三日は燃える。焼き菓子よりよく燃える。


「ち、違う。私はルナ嬢から話を聞き」


「私は姉様に相談したいとは言いました」


 ルナが顔を上げると会場がまた静かになった。彼女はまだ布を握っている。だけど今度は声が通った。


「エドガー様に婚約破棄をしてほしいとは言っていません。夜会の中央で私のことを話してほしいとも言っていません」


「ルナ嬢?」


「私は姉様と話すきっかけがほしかっただけです」


 エドガーの顔から血の気が引いた。私は扇を持つ手に力を入れた。


 姉様。そう呼ばれたのは久しぶりだった。


     


 私とルナは最近うまく話せていなかった。


 理由は単純ではない。父が体調を崩し家の書類が私に回ってきた。母は親戚への説明を怖がり使用人たちは余計な噂を拾ってくる。私はルナの味方でいたかったけれど、何をどの順番で進めればいいのかわからなくなっていた。


 女性として社交界に出たい。そう言われたのは、三か月前だ。


 私は賛成した。けれど賛成だけでは済まない。名前、戸籍、相続、親族会議、衣装、招待状。貴族社会は面倒くさい箱を何重にも重ねて、その上に絹のリボンをかけたような場所だ。


 私はまず根回しをしようとした。


 ルナは私が先延ばしにしていると思った。おそらくどちらも間違っていない。その隙間にエドガーが入った。


 彼はルナを「閉じ込められた美しい人」だと思い込んだらしい。困っている女性を救う自分に酔ったのだろう。貴族男性にはたまにいる。困っている相手より、救っている自分の姿をよく見ている人。


 よりによって、それが私の婚約者だった。見る目がない。私の。


     


「ルナ嬢、君は脅されているのか」


 エドガーはまだ諦めていなかった。


「この場では言いづらいだろう。だが安心してくれ。私が」


「エドガー様」


 ルナは彼の言葉を切った。普段のルナなら相手の言葉を遮ったりしない。少なくとも人前では。だから私は扇の端を持ち直した。


「私はあなたに助けてほしいとは言いました。でもそれは、姉様と話す場を作ってほしいという意味でした」


「だから私はその場を」


「婚約破棄の場ではありません」


 あまりにも正論だった。周囲の令嬢たちの扇が一斉に上がった。口元を隠すためだ。こういうとき令嬢の扇は盾にも刃物にもなる。


 エドガーは耳まで赤くした。


「だが君は言ったではないか。自分は女性として生きたい。家では男として扱われ苦しいと」


「言いました」


 ルナはうなずいた。


「でも、姉様が私を苦しめているとは言っていません」


「しかし」


「姉様は私のためにドレスを隠してくれていました。髪を伸ばす理由も、刺繍の練習をする理由も、親戚に聞かれたときにごまかしてくれました」


 ルナはそこで私を見た。私は扇の端を握り直した。今ここで泣くわけにはいかない。化粧が崩れると明日の侍女が大変だ。


「私が急ぎすぎました。姉様が何もしてくれていないと思って勝手に腹を立てて。エドガー様に相談したのも姉様を困らせたかったからです」


「ルナ」


「でも、こんなふうにしたかったわけではありません」


 エドガーの手から例の紙が落ちた。拾いたくない。拾うと面倒が増える。


「アリシア」


 彼はようやく私を見た。


「これは誤解だ」


「誤解が正装して夜会の中央に立っていますね」


「私はルナ嬢を守ろうと」


「本人の望みを確認せずに?」


「それは」


「私との婚約を破棄すると宣言して?」


「……」


「私室を調べた疑いまで残して?」


「……」


 楽団のヴァイオリンが気まずそうに一音外した。楽団も人間だった。


 エドガーは咳払いをした。


「婚約破棄については」


「受けます」


「は?」


 彼が変な声を出した。私は扇を開いた。


「婚約破棄、受けます」


「いや待て!今の話を聞けばこれは誤解で」


「誤解で私を断罪しようとした方と改めて婚約生活を始めるほど、私は心が広くありません」


「断罪など」


「しましたよね。だいぶ大声で」


 会場中が見ている。


 誰も助け船を出さない。そりゃそうだ。助け船を出したらその船ごと沈む。貴族社会は海より冷たい。


 エドガーは口を開いて閉じた。


「だが伯爵家との縁を失えばグランベル家も困るのではないか」


「困ります」


「なら」


「ですがあなたと結婚するよりは困りません」


 自分でもかなり言えたと思う。


 背後で誰かが小さく拍手しかけ隣の人に止められていた。止めなくていい。今のは拍手がほしい。


 エドガーは青い顔で立っていた。ルナが私の隣に来る。藤色のドレスの裾が床をすべり歩き方まできれいだ。


 私が三年かけても身につかなかった令嬢歩きである。少し腹が立つ。足首の使い方をあとで教えてほしい。


「姉様」


 ルナは私の前で止まった。


「ごめんなさい」


「後で聞くわ」


「今ではなく?」


「今ここで全部話すと明日の朝刊に載る量が増える」


「それは困る」


「でしょう」


 ルナの口元が緩んだ。


 その笑い方は幼い頃に私の部屋でリボンを結んだときと同じだった。鏡の前で嬉しいのに嬉しいと言うのが怖くて、口元だけが先に動く。


 私はそこで扇を閉じた。


「ルナ」


「はい」


「その名前で呼んでいいのね」


 彼女は一度、唇を結んだ。それから小さくうなずいた。


「はい。私は、ルナがいいです」


「わかった」


 私は彼女の手を取った。


 手袋越しでも指に力が入っているのがわかった。ルナは堂々と立っているように見えて膝は震えている。私も震えている。長いドレスで隠れているだけだ。


 ドレスは便利である。裾さばきは面倒だけど。


     


 夜会はその後しっかり台無しになった。


 主催者であるローウェル伯爵は婚約破棄を宣言した相手に即了承され、真実の愛だと思っていた女性からも「そういう意味ではありません」と断られた。ついでに未婚女性の私室を調べた疑惑まで残った。


 これで会場を立て直せるならむしろ国務大臣になれる。


 エドガーは親族に連れていかれた。伯爵家の叔母らしき方が彼の腕をつかみ笑顔のまま爪を立てていた。あの人は強い。おそらく家の実権はあの叔母が握っている。


 私はルナを連れて壁際の控え室に入った。


 扉を閉めた瞬間、ルナはその場に座り込んだ。


「足が無理」


「さっきまで完璧に歩いていたじゃない」


「外用です。中身は震えていました」


「わかる」


 私も椅子に座った。背もたれに寄りかかると腰の紐が食い込んだ。夜会のドレスは着ているだけで体力を削る。これを好きで着るルナは私より令嬢に向いている。


「ごめんなさい、姉様」


 ルナは両手で膝の布を握った。


「エドガー様がこんなことをするとは思わなくて」


「あなたは何と言ったの」


「姉様と話したい。でも最近避けられている気がする。私は女性として生きたい。家でどう話せばいいかわからない、と」


「なるほど」


「そしたら任せてほしいって」


「任せたら婚約破棄になったのね」


「はい」


「人選を間違えたわね」


「かなり」


 ルナは素直にうなずいた。


 私はため息をついた。怒る気はあった。それでもこうして本人が床に座り込んでいると、怒る前に毛布をかけたくなる。昔からそうだ。ルナは泣くより先に座り込む。


「私も悪かったわ」


「姉様は悪くないです」


「悪い。あなたが急いでいたのに私は書類と親戚ばかり見ていた」


「私のためでしょう」


「そうよ。でもあなたを見ていなかった」


 言ってから舌打ちしたくなった。


 もっと姉らしく雑に言えばよかった。水でも飲ませて今日は寝ろと言うくらいでよかったのに。


 私はテーブルの上にあった水差しからグラスに水を注いだ。手元が滑って雫が卓に落ちる。ルナがすぐ布巾を取った。


「そういうところ」


「え?」


「今の拭き方。私より自然」


「そこですか」


「そこよ。私、令嬢教育で何年もやったのにまだ布巾の角が変になるの」


 ルナは目を丸くしたあと笑った。


「姉様、そこを気にしていたんですか」


「気にするわよ。あなた、私のドレスを着て私より似合うし、歩き方もきれいだし、伯爵は勝手に惚れるし」


「最後は事故です」


「大事故よ」


 ルナは笑いながら布巾をたたんだ。


 そこへ控え室の扉が叩かれた。


 私はすぐ立ち上がる。ルナも立とうとして裾を踏んだ。


「座っていて」


「でも」


「今は私が出る」


 扉を少しだけ開けると立っていたのは父の従者だった。屋敷から急いで来たのだろう。髪が乱れている。


「アリシア様、旦那様からお言葉を預かっております」


「お父様から?」


「はい。『夜会で何が起きてもまず娘たちを連れて帰れ。説明は明日でいい』とのことです」


 娘たち。従者は確かにそう言った。


 私は振り返った。ルナも聞いていたらしい。床に座ったまま手袋の指先を握っていた。


「……お父様が?」


「はい。それとルナ様の外套も馬車に用意してあるとのことです」


 ルナは返事をしなかった。代わりに膝の上で握っていた手袋がしわになった。


 父は不器用だ。母も不器用なのだろう。私もかなり不器用だ。グランベル家、だいたい不器用でできている。


「わかったわ。すぐ行きます」


 従者が下がる。扉を閉めるとルナが立ち上がろうとしてまた裾を踏んだ。


「このドレス、歩くのはいいんですけど立ち上がるのが難しいです」


「完璧令嬢にも弱点があった」


「あります。階段も嫌いです」


「私も嫌い」


「姉様も?」


「令嬢はだいたい階段が嫌いよ。顔に出さないだけ」


 ルナは笑った。私は彼女の手を取り立たせた。


     


 馬車までの廊下はやたら長く感じた。


 途中で何人もの貴族とすれ違った。みんな扇やグラスで口元を隠している。噂をしたくて仕方ない顔だ。人は噂したいとき目より肘に出る。隣の人を突きたくて仕方なくなるからだ。


 私たちは何も言わず歩いた。


 ルナの歩き方は最後まできれいだった。裾を踏んだのは控え室だけ。すごい。私は三回くらい自分のドレスに足を取られた。姉の威厳は廊下に落ちているかもしれない。


 玄関前に馬車が来ていた。そこにエドガーが立っていた。帰ったのではなかったのか。しぶとい。


「アリシア」


「何でしょう」


「先ほどの件は、私にも考え違いがあった」


「でしょうね」


「だから、その、婚約破棄については一度持ち帰り」


「受けました」


「だが」


「受けました」


「アリシア」


「受けました」


 三回言えば伝わるだろうか。


 エドガーは唇を引き結んだ。視線が私からルナへ移る。


「ルナ嬢。君も少し混乱しているだけだろう。私は君のために」


 ルナは私の半歩後ろにいた。けれどそこで前に出た。


「エドガー様。私のためにとおっしゃるなら、私の話を最後まで聞いてください」


「……ああ」


「私はあなたを愛していません」


 直球。伯爵の顔が固まった。玄関前の従者まで固まった。馬も耳を動かした。馬まで聞いた。


「私は姉様と話したかっただけです。あなたの言葉で助かった部分もあります。けれど私のことを私より先に説明するのはもうやめてください」


 エドガーは何か言おうとした。でも今度は言わなかった。そこは前よりましだった。


「……すまなかった」


 彼は頭を下げた。貴族の謝罪としては浅い。でもさっきまでの彼にしてはだいぶ深い。


 ルナは一度うなずいた。


「謝罪は受け取ります」


「では」


「婚約はしません」


「……そうか」


 エドガーは肩を落とした。私はその横を通り過ぎる。ルナも続く。


 馬車に乗り込む直前、エドガーがもう一度こちらを見た。


「アリシア」


「まだ何か」


「君は強いな」


 私は足を止めた。


 強い。今言われても困る言葉だ。婚約破棄されて、妹の秘密が夜会で暴露されかけて、家名と明日の噂と父の胃を心配している女に向かって言う言葉ではない。


「強くありません」


 私は馬車の取っ手を握り直した。


「強ければ、もっと早くルナと話していました」


 エドガーは黙った。私は返事を待たずに馬車へ乗った。


     


 馬車が動き出すとルナは外套に顔を埋めた。


「姉様」


「何」


「私、明日からどうなりますか」


「まず寝ます」


「その次は」


「父と母と話します」


「その次は」


「親戚を黙らせます」


「黙らせられますか」


「無理なら叔母様を呼びます」


「あの叔母様ですか」


「ええ」


 ルナが外套の中で肩を震わせた。


 笑っているのか怯えているのか。おそらく両方だ。うちの叔母は強い。昔、徴税官を説教で泣かせたことがある。泣いた徴税官を見たのは後にも先にもあれきりだ。


「それと」


「はい」


「あなたの部屋を変えましょう」


「部屋?」


「今の部屋だと衣装箱が足りない」


 ルナが外套から顔を出した。


「いいんですか」


「いいも何もあの量を私の部屋に置かれたら私が困るわ」


「でも」


「でも?」


「姉様、私のドレス姿を見て怒っていたので」


「あれは怒っていたのではなく負けたと思っていただけ」


「負けた?」


「私より似合っていた」


 ルナはぱちぱちと瞬いた。それから外套で口元を隠した。


「……それは嬉しいです」


「でしょうね。私も悔しいです」


「姉様も似合います」


「気を使わなくていい」


「本当です。ただ、姉様はドレスより剣のほうが似合いそうです」


「急に令嬢から遠ざけないで」


 馬車の車輪が石畳を鳴らす。


 窓の外では夜会の灯りが遠ざかっていく。明日には噂が走るだろう。ローウェル伯爵が婚約破棄に失敗した話。グランベル家のルナの話。私がその場で婚約破棄を受けた話。


 頭が痛い。


 でも今は馬車の向かいでルナが外套を握っている。男物ではない。父が用意させた、藤色のドレスに合う白い外套だ。


 明日、ルナに父へ礼を言わせよう。父は絶対に照れる。


     


 翌朝、食卓には新聞が三紙置かれていた。


 父は読んでいないふりをしていた。母は紅茶の砂糖を入れすぎていた。ルナはまだ部屋から出てこない。私はパンを手に取りながら、一面を見た。


『ローウェル伯爵、真実の愛に振られる』


 まず一紙。


『婚約破棄宣言、三分で破棄される』


 二紙目。


『グランベル家の姉妹、夜会を制す』


 三紙目。


「姉妹」


 私は声に出した。父が新聞の上からこちらを見た。


「問題か」


「いえ」


 私はパンを皿に戻した。


「思ったより悪くありません」


 そのとき廊下から慌ただしい足音が聞こえた。ルナだろうか。いや違う。使用人の足音だ。扉が開く。


「アリシア様、ローウェル伯爵家より謝罪の品が届いております」


「受け取りは家令に」


「それが」


 使用人は両手で大きな箱を抱えていた。


「中身がドレスでして」


 父が新聞を下げ、母が砂糖壺を取り落としかけた。私は椅子から立ち上がる。


「誰宛て?」


「アリシア様宛てです」


「返して」


「はい」


「待って」


 廊下の奥からルナの声がした。


 寝起きなのにすでに髪が整っている。どういうことなのか。私は寝起きだと髪が鳥の巣になる。


 ルナは箱を見るなり首を傾げた。


「姉様、それ見てもいいですか」


「なぜ」


「生地だけ使えるかもしれません」


「たくましい」


「婚約破棄の慰謝料代わりです」


 父が咳き込み、母が口元を押さえた。私は箱とルナを見比べた。


 婚約は破棄された。目の前には妹として箱をのぞき込むルナがいる。そこまではいい。かなりいい。


 ただ元婚約者から届いたドレスを妹が解体しようとしている。これが社交界でいう新しい門出なら、ずいぶん裁ちばさみの音がしそうだ。


「わかった。見てもいいけど着るのはあなたよ」


「姉様も着ましょう」


「着ない」


「似合う形に直します」


「直さなくていい」


「大丈夫です。姉様は肩がきれいなので」


「朝から何を言っているの」


 ルナは箱を受け取り楽しそうにリボンをほどき始めた。


 父は新聞で顔を隠し母は紅茶を飲むふりをしている。使用人は見なかったことにした顔で下がっていった。


 私は皿の上のパンを見た。


 失ったものは婚約者。増えたものは妹のドレス計画。差し引きでゼロ。いや、妹の勝ちか。


「姉様、食後に少しお時間あります?」


「何のために」


「採寸です」


「やっぱり」


 翌日から共にダイエットすることも決まった。

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皆が少しづつお互いの話をキチンと聞きましょう
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