第52話 たられば
琉稀が、美岬のところへ訪れた。
泉客の学生寮に、彼女の私室は備わっている。
「――、あまり片付いてないんです、少し待っていただけますか」
「いいよ、別に。今日はネーレイスのこと、話に来ただけだから」
「あ、ちょっと!?」
琉稀は彼女の汚部屋を見せられても、驚きはなかった。
なんとなく、美岬という少女の脆いところはもともと知っていた気がする。
「真水狩人に襲われてから、やっぱり以前とは違う身体になってしまったんだと思う」
「あの、人の部屋勝手にお掃除し始めて話すのがそれです?」
「私生活が破綻してるひとに言われてもねぇ。
つか、こうして動いて紛らわしてないと、気が詰まりそうになるでしょう」
「すいません……」
「でもこうなってから、一段と枸櫞くんは私を求めてくれるから。琉稀さんのこと、大切なんですぅって」
「急に惚気始めた」
「シトラちゃんとも、話しやすくなった気がするよ」
「はぁ」
足元は美岬の生活用品で埋まっていた。
ほとんどが即席麺の袋だの、機能食品だのばかり。
使い終わったものとそうでないものを仕分けるだけで随分違うようで、ゴミ袋三つぐらいにまとめると、わりとすぐ足場が見えるようになった。
「寧ろ足場の取れない部屋で過ごしたがるひとって、マゾかなにかかしら?」
「私が悪かったですから、もうこの辺にしてくれませんか」
「ダメだよ。枸櫞くんに恥ずかしくない部屋にしないと」
「――、前に言った話は、きちんと断られましたよ」
「知ってる。
だけど前から想ってた、美岬ちゃん、枸櫞くんのことエロい目で見てるなぁって」
「バカ言わんでください、笑えない」
「まぁエロいは冗談だけど。
で、こっからは真面目な話ね。
ヤヲ因子の話」
「!」
美岬に向き直り、彼女は語りだす。
「シトラちゃんに明晰夢を見せる力があるって、枸櫞くんは言ってて、あれ、たぶん本当なんだよね。それもある種の予知というか、イフを覗く力」
「未来予知、ですか」
「ヤヲ因子に時間を超越する力があるかもしれない、なんてのはまことしやかに言われてたけど、この身体になってから――なんだろうな、私が真水狩人そのものか、それに限りなく近づいちゃったのかもしれない」
「ネーレイスに、ですか」
琉稀は頷く。
「《《もしシトラがいない世界があったなら》》……枸櫞くんや私たちは、今頃どうやって戦ってたんだろうって、ふと考えてる。
私、何度かはネーレイスに殺されてそうだよね、どんくさいから」
「――」
(シトラがいない世界……って。
枸櫞くんが、家族を喪ったまま、八号機に乗り続けるの?)
美岬は、彼に降りかかった苦難を最もよく存じている隣人といえよう。
「仮にそうなってたとき、あなたたちはきっと……お互いの孤独を埋めるものを、それぞれに持っていたんじゃないかな」
「たられば、ですよね?
実際にはそうならなかったんだし。死んだ後のことなんて、先輩だって確認しようがないじゃありませんか」
「そう、だね」「――」
琉稀は美岬のことを、じっと見つめていた。
*
目敏いひとは、好きになれないものだ。
そういう人は大抵、ひとの粗を捜すことにも長けている。
僕が美岬嬢に感じているのは、そういう気配だ。
一緒にいると、いつも息が詰まりそうになる。
嫌いではないけれど、こいつと一緒にいることが互いの人生に前向きなことはないんだと直感が告げてしまう。互いの欠点が目につくようになってから、男女の関係になるのは、絶対に面倒だ。
そうした僕の淡白な恋愛観は、半ば姉さんの影響を受けていることは否めないだろう。
「地元に行ったらさ、昔の知り合いに告白されて。
その子、頭はいい子なんだけど、だから息が詰まるんだよね。
そういうひとと喧嘩始まっちゃうと、互いに正論が出たところで、結局血が出るまで殴り合う羽目になるじゃない、まぁ概念的な話だけど」
「がいねん?」
「あー、枸櫞は気にしなくていいよ。
可愛くてほどよくおバカな子引っかけときゃいいし、枸櫞は私似だから、モテるでしょ」
「――、よくわかんない」
「もー、可愛いよなあわが弟は」
僕のことを可愛がってくれる人間なんて、あとにも先にも、結局は姉さんだけだった。あのひと、ところどころ知人関係に毒されてだんだん擦れてったところあったし、全部を真に受けたわけじゃないけど。
自分に自信なんてないくせ、僕も我が強い方なんだとより一層自覚するようになったのは、鮫人に乗るようになってからだ。
シトラを拾って、育てることを決めた時。
どうしたって僕は、僕の中のひととして、大人としてなにが足らないかに直面せざるをえない。
シトラを連れて、防波堤にいた。
彼女は防波堤の上でくるくる踊り、唄っていた。
ネーレイスの唄でなく、ひととして、姉さんによく似た声で。だけど、やはりシトラはシトラだ。
「なぁシトラ。シトラはどうして、僕たちのところへ来てくれたんだい」
「んー?」
そう問うた枸櫞の声は、とても柔らかく穏やかだった。
「ほらお姫様、そろそろ日が沈む時間だぞ。
買い物も終わったし、もう帰ろう」
「うん!」
防波堤から跳んで、童女は枸櫞に勢いよく飛びついた。
「まったく……」
最近は職員寮でなく、琉稀の家に泊まり込むようになっている。学生寮ならもっと縛りも多かったろうし、GW終わってみると、しばらくそうもいかないだろう。
大目に見てもらえているのは、シトラのことがあるからだ。
「しとらぷりんせすなのー?」
「そうだぞ、シトラはかわいいお姫様だ」
「お、親馬鹿か……」
何かいつの間にやら、護斗が自転車で通りすがっていた。
「うっせーわい。じゃあアサくんは、シトラがかわいくないと?」
「お、おお。いやかわいい超かわいいシトラちゃんの可愛さは天元突破で世界一!」
「だよなあ」
流石にガキを盾にされて小言を続けられるやつではあるまい。
「いや、ソラの字って実際もっとドライな性格かと想ってた」
「そりゃ誰かさんのアタリが強いからだろう。
僕はちゃんとした人には相応の礼節を尽くすよ?」
「ぐっ――最初の頃は、悪かったよ。
お前の人となりを、決めつけてかかった、俺が悪かった」
「誤解されるやつにも、誤解されうるものはあったりするけどね。そういうのは誤解じゃないか、僕もわりかし、性格悪いって言われるし、それを間違ってるとは想わないし」
「それって……シトラちゃんを引き取って、丸くなったってこと?」
「どうだろう。
そんなの客観的に見ないとわからんし」
(丸くなった?
姉さんの復讐を、迷いもしない僕が、丸いとか。
ありえんだろう、そんなこと)
結局僕は僕の魔性を、自分に都合よく扱うことしか考えていない。
そんなやつが、丸くなりうるわけがない。




