第12話 桜
結局新居は、職員寮の空き部屋になった。
周囲には住み込みの教員が入っているそうだが、今のところ家賃は気にしなくていいとのことだ。
「そろそろ仕事、探さないとなぁ……なんだか美岬嬢に甘えすぎている気がする、流石に」
姉の売れていたころは姉が稼いでくれていたし、父さんや僕も散財はしないほうだったものの、泉客グループの金回りは業態の違いというか、スケールの違いというか、また浮世離れした感覚になる。
都内でも小遣い稼ぎ程度にやっていたものの、自分の手で稼ぐ感覚を忘れたら、それこそ彼女の提供してくれるいまの環境から自立できなくなりそうで、怖い。
「本当だな。ちったぁ遠慮しろ」
護斗は言うが、
「そういうきみも、美岬嬢に雇われているご身分だろう。
彼を揶揄える立場か?」
貫に横から言われる。
「何かあったら、僕でよければいつでも相談に乗るぞ」
「ありがとうございます。
そういえば、貫先輩や伏馬先輩も、浅葱さんたちと同期なんですね」
「あぁ」
「鮫人の共鳴者で、僕や朝桐くんのほかにはいませんか。
同級生とまで言わずとも、学園生で。
いざってとき、テルクで世話になるかもしれないなら、挨拶ぐらいしておきたいんですが、色々あと回してしまっているので」
「そうだな。
元々きみの歓迎会をやろうって話があったはずだが――護斗ぉ、まさか流れてないだろうな?」
「いや、お嬢が秘密にしとけって」
「なるほど、なら今言ったのは美岬ちゃんには秘密で頼む」
「あぁ、はい。
学園生はそっちで顔合わせしようて話だったようですね」
「また近日、落ち着けばやる気なんだろう。
きみの近況はどうにも、波乱がすぎるようだけど」
「――、ははは」
乾いた笑いしか漏れなかった。
枸櫞が部屋に消えると、貫が言った。
「なかなか彼、面白いじゃないか」
「あれは危ういですよ。
僕らにできないことを平気でしてしまう。
共鳴者同士にとっても、それはいい結果を齎さない」
「ならばどうする?
久原あたりの言い分に乗っかるつもりか、きみは」
「……まさか。
あの女は泉客のお家騒動にかこつけて、遺跡に関するものを独占したいだけですよ。お嬢ならそれを抑え込む、俺にできることは、天充枸櫞にその邪魔をさせないだけです」
「ふむ。
まぁ、気を張りすぎるなよ」
貫は護斗の肩に手を置いた。
もっとも貫にこのときできたのは、懸念することだけだったが――。
*
もうすっかり春だというに、今年は桜を見るたび湿気た気分になっている。自分にはかかわりのない《《華》》だ、いつからかの姉さんがそうであったように。
「遠くへ行って、またもっと遠くなって……」
事務所にスカウトされて、歌唱や俳優業に勤しむようになり、家を空ける時間がどんどんと長くなっていった。
そしてホテルのバルコニーから落ち、意識が回復することもないままに夭逝――たった数行ごときで語られていいことか?
あのひとの人生は、人格は、思い出は。
足元に散った花びらを踏みしめて、これが死者の記憶の在り方なんじゃないかとすら想う。確かに在ったはずの時間、だけどあっさりと抜け落ち、損なわれていくもの。
「枸櫞くん」
「――、琉稀さん」
「桜を見て、そんな辛気臭い顔する?」
「……そんな顔、していましたか。
未熟なんですね、ほんとうに、僕は」
「色々、聞いたよ。
その、軽々しく言うことじゃないけど、大変だったね。
身体、大丈夫?」
「――」
「鮫人を初めて動かして、立て続けにテルクへ行ったでしょう。
わたしもあんな頻度で人形を動かすひとは初めて見たし」
「あぁ」
父の話は、意図的に避けてくれているんだろう。
枸櫞はなんとか微笑もうとする。
「大丈夫です。
僕なんかより苦労しているひとは、いくらでもいたんですし。
にしても先輩方はすごいですね、ずっとネーレイスなんてあんなものと、みんな戦い続けてるんですか」
「私だって、まだまだだよ。
きみや檸檬みたいな、派手にはできないし」
「派手にやらなきゃならないノルマでもあるんですか?」
「――、それもそうか」
彼は彼女のリアクションに、つい噴いてしまった。
「あはは、なんですかそれ、琉稀さんってば」
「……やっとマシな顔になったね」
「え?」
「いまさっき、無理に笑おうとしてたでしょ」
枸櫞は拍子抜けして押し黙る。
「もし一緒にテルクへ出向くようなことになったら、わたし、きみをあてにしちゃうかも。もちろん、自分にできることは精一杯やらせてもらうよ。
だけど戦いが得意なわけでも、なくてさ。
いつも翼くんたちの足を引っ張っちゃう」
「そうですか?
ヤヲ因子だかなんだか知りませんけど、あれを動かせるだけでもすごいことじゃありませんか。
姉さんは結局人形なんて乗らなかったんだし、琉稀さんはうちの姉にできなかったことをもうやっているじゃありませんか。
琉稀さんは琉稀さんのペースで、やっていいと思いますけど」
「そういうのは、《《人の命がかからないことだけ》》だよ」
「――、難しいですね」
かりに琉稀が翼を苦手とするなら、そのあたりにかかってくるのかもしれない。
「伏馬先輩って、どんなひとです。
壱号機のひとですよね」
「すごく、強い。
私が鮫人に選ばれる前から、ずっとネーレイスと戦ってて。
中学の頃はバスケ部だったし、県大会にも出てたけど、最後の年に故障しちゃって、それでもめげずに頑張ってる。
私もそういう背中を見て、簡単に投げ出したくないなって――あぁ、ごめん。自分語りなんて、冷めるよね」
「気にしないでください。
先輩と話すの、僕は楽しいですから」
(急に饒舌になった、というか……これは)
苦手というより、それすら飛び越して異性として好き、ということなんだろうな。
琉稀はコミュニケーションが不得手というほどでもないが、元から口数の多いほうでもないのなら、わかりやすいぐらいだ。
これで伏馬の初恋相手がうちの姉だとでもいうなら、まったく無為な伏線回収《答え合わせ》が完了してしまうところだろうけど、枸櫞には徒労感しかなくなりそうなので、突き詰めるのはやめておく。
「今度は大学の話でも、聞かせてくださいよ」
やっぱり僕は、失恋したんだろうか。
「ところで、シトラちゃんのことなんだけど」
「?」




