第11話 振り向かなかったひと
父は寡黙なひとだったけれど、あるとき言っていた。
「……欲しかったのはお前じゃない。
母さんは檸檬の妹が欲しかったんだ、なのにお前が生まれたせいで」
母は僕を産んだ直後の体調不良がたたって死んだらしい。
実際、僕が物心ついたときは母の代わりに姉さんがいた。
姉さんは母を好いていたはずだが、僕のせいで母が死んだのかと問えば、父を激しく批難した。
「母さんが死んだのは、枸櫞のせいなんかじゃない!
それが子どもにかけるべき言葉だったの!?」
父はそれについての話題を切って、姉や僕に詫びることすらなかった。
本気で『悪い』とは考えなかったんだろうし、あれは本音だ。
詫びたところで覆しようのない鬱憤だったんだろう、最愛の妻が死んだのに子供ふたりを育てなければならなかった。納得はないが、哀れな人だったと思う。
そういうことの積み重ねがあって、あのひとという個人に関心を持てなくなっていった。
ただ――姉さんが死んで、一審の判決が出たあの日の、あのひとのみっともなさには、僕はいら立ちを抱かざるをえず。
判決後、都内の家に帰宅して。
「もういい、疲れた」
「……控訴は?」
「あの子はもういないんだ。全部無駄だった、私の人生はあの子のために――」
「どうして姉さんのために戦おうとしないんだよ、あんたの娘だろう!?」
「裁判だって金がかかる、事務所だっていつまでも支援してくれるわけじゃない」
「執行猶予だぞ、結果が釣り合ってない!
姉さんが死んでも、あいつは娑婆でのうのうと、あんたは!?」
「富山に、戻る。
実家と、母さんの墓があるんだ」
「終わった人の話をしてるんじゃない!」
「あの子はもういないんだよ!」
「ふざけんな!?」
父の胸倉を掴んで恫喝した。
「あんたはいつもそうやって、嫌なことから逃げるばっかりで!
姉さんはあんなにすごいひとだったろう、ちっとは娘を見習おうとはならないかよ!?」
「あの子も母さんも、俺には眩しすぎるひとだった。
こんな俺を認めてくれて――」
そんなのは、勝手な思い込みだ。
自分は愛されていたと過去に溺れて立ち止まる。なんで娘のために戦う姿勢すら放棄する?
もういない、それが、なんだと。
たとえ神がいなくても、人間の身体も精神も物質に即したものだとしても……それを焼き尽くしても、通そうとすべき筋があって然るんじゃないのか。
俺は姉さんを襲った理不尽を、絶対に赦さない。
「ふたりから貰った幸せに報いるつもりもないのか、あんたはっ」
「俺はそんなに強くないんだよ!!?」
悲鳴のような逆ギレ、だった。
それからの父は、人形のようだった。
僕を怖がるようになり、引っ越してからは僕があれこれを買ってこいといったらなるべくそのように動いたり、自発的な意思などないように振舞っていた。――まぁもともと、抱え込むことで壊れたひとだ。
周りに相談できるような同僚もいなかったんだろう。
自慢の娘が社交的だったのに対して、このひとはどんどん社会から孤立していった。
首を吊るに至る、決定的ななにかがその日あったようには思わない。
かし、あの人をそのように追い詰めてしまったのは、やっぱり僕なんだろうか。
*
社宅を引き払う日、護斗に加えて、交叉の兄のほう、貫さんが荷運びの手伝いにやってきた。
「荷物は越してきたばかりでしたから、少ないんです。
貴重品を除いたって、業者に頼むほどでもなかったし。
ごめんなさい、わざわざご足労いただいて」
「いやいや、一度きみとは話してみたいと想ってたからね。
これからよろしく。困ったことがあれば、いつでも相談してくれ。
学校にいる以外は、大抵社務所で仕事してるから」
「はい。ありがとうございます」
挨拶が済むと、護斗から訊かれた。
「シトラちゃんと一緒に住むのか?」
「どうして。
いや、きみだって知ってるだろう、しばらくあの子はグループの監視付きの保育ルームだし」
「まぁ……学内の施設は隣接しているから、会いに行こうと想えば、いけるだろう。家族なんだし」
「あの子は、姉さんじゃない。ネーレイスだ。
朝桐くん、意外と甘いんだな」
「――」
気まずい雰囲気が漂う中、貫からフォローが入る。
「人型のネーレイスなんて、僕らの世代じゃ初めて見るんだ。
無理もないって、ネーレイスもけして、人間に敵愾心があるばかりじゃない」
「ですけど、ネーレイス、人魚の唄はひとから正気を奪うでしょう。
僕も彼も、駐在所でその結果を見てしまっている。
あれはひとと共存できる存在じゃない」
「たしかに、ネーレイスの唄は危険だ。
すると天充くんはあれかい、ネーレイスは一様に滅ぼすべきとか?」
「そこまでは、言いませんけど」
「伏馬先輩みたいなことを」
護斗の洩らした名を誰だったか、枸櫞は思い出そうとする。
たしか、壱号機の共鳴者だったか。
「あれは過去の戦いで父親を亡くしているからな、無理もない」
「それってネーレイスと仲良くするメリット、全然なくないですか?
テルクの海原から出てこようとするネーレイスが、こっちの世界で唄わないように――鮫人で迎撃している。
でしたか。向こう側の性質を考えると、一朝一夕になんとかなる存在ではないんでしょう。
テルクごと、葬ってしまえるなら、誰かはそれをやろうとしたはずだ。
一般人にまた危害が及ぶ前に」
「人魚は、嫌いか?」
「――、ヘンなことを訊きますね、貫先輩は」
人魚の犠牲者だっているのに、いまさら。
シトラと僕に仲良くしろとでもいうのか?
「こう言っては意地悪ですけど、朝桐くんだって、たとえば美岬嬢のそばでシトラをずっと置いていたら、それこそなにが起きるか不安にはかられるだろう。あのひとは共鳴者ですらない」
「まぁ」
「あなただって……」
妹の身に戦いで何かあったら、平静でいるほうが難しいはずだ。
ということを考えて、口に出す手前でやめる。
「天充くんは、優しい人だね。
みんなのことを、気遣っている」
「僕ごときで優しいなら、うちの父は今頃まだぴんぴんしていたでしょうよ。
……ごめんなさい。シトラのことは、正直どう受け止めていいのか、わからないままなんです。ネーレイスとして接すべきか、ひととして扱うべきか」
自分のなかで折り合いがつかない。
鮫人で戦うたび、僕らは彼女の同胞を屠り続けるだろう。
それを彼女自身は、どう受け止めるのか。
フェザー級のような木っ端だったこの前はとかく、彼女と同格の存在が現れたとき、彼女は対峙できるんだろうか?
「ネーレイスについて調べたければ、学園施設やうちの社務所を利用してくれていい。きみは美岬嬢のお気に入りだし、共鳴者には遺跡や資料区画へのアクセス権が与えられているはずだ」
貫の言葉に、枸櫞は頷く。
神社姫を捕食した晩、浅葱から渡されたカード型の学生証アクセスキーがあった。
遺跡には生体認証でもパスできるそうだが、学内施設を活用するならそれが必要だ。一般学生のそれより権限の幅が広いとのこと。




