第1話 天充枸櫞
姉が昔使っていた中古のポータブルプレイヤーを譲ってもらい、携帯ラジオ代わりにずっと使っている。
かし、越してきたばかりの街の地方局なんて馴染みもなく、東京にいた頃がすでに懐かしい。
『合掌造りの茅葺屋根が――』
「うん、まだ三月だったな……」
なんというか、富山にもそういうのあるんだ、という感想。姉と父はこっちの育ちだが、僕が物心ついた頃には上京していた。僕自身は過去の旅行で、二回くらいしか来ていない。
越してきたばかりの田舎街で、学園への登下校のコースを下見していた。
そういえば、あの神社も通学路上にあったようだ。姉さんの学業御守の裏に『交叉神社』なる名が刻まれている。
さっそく境内を見つけた。
社務所までやってくると、巫女姿の女の人が朝の掃き掃除をしていた。
「朝、お早いんですね。どうかなさいました?」
向こうから声をかけてきた。
「ええと、越してきたばかりなんです。まだ土地に慣れてなくて」
「あら!
新しいひとでしたか、道理で――」
この辺りで見かけない顔、というこったろう。
「ええと……もしかしてお姉さんとか、いらっしゃいます?」
「!」
これ以上ここにいるのは、まずい。というか、いたたまれなくて僕はそっぽを向いた。
「すいません、この辺で」
「あ……」
気づかれた理由はわかっている。やっぱりというか、地元でも有名人なんだな、あの人。
この春から泉客学園に通うことになっている。
そも、富山へ来たのだって、姉の知名度のせいだ。あの人は顔を知られすぎていて、僕の顔もそれに似ている、とはよく言われた。……姉さんほどぱっとしたもんじゃないはずなんだけど。
*
気づけばあっという間に四月へ入っている。
転入から二日ほど経つと、クラスメイトの女子生徒から声を掛けられた。
「天允くんってあれだね、モデルさんの名前みたい。ていうか、天蜜レモンに似てるって言われない?」
「そりゃ身内だからね。姉さんの芸名だよ」
「え、えぇ!?
すごい有名人じゃない!」
天充枸櫞、それが僕の名前。
天充檸檬、読みは同じで姉さんの本名。実際、俳優業やシンガーソングライターもやっていて、一時期は名が売れていた。
「都会のひとっぽーい」
「姉さんももとはこっちで育ったって話だけどね」
「ごめんなさい、いまが大変な時期なのに、はしゃいじゃって……」
「いや、確かに心ないこと言うバカはいるけど、きみなんかはそうじゃないだろ?
姉さんなら必ず喜んでくれるとおもうから、ありがとう」
支倉というその女子は、廊下をスキップしながら去っていった。そういう背中を見るたび、つくづく姉さんの仕事は凄かったんだと思い知る日々だ。いずれ薄れいくことはわかっていても――僕はいつまであの人の面影をなぞり続けなくちゃならないんだろう。
階段へ向かうと、上の踊り場から新たな声がした。
「あーあ、あの子可哀想じゃん。その気もないのに粉かけちゃってさ。
……今度はしけた面してるわね。
まるで自分なんて大したことないと言わん《《傲慢な》》――」
「普通、謙遜と言わないか?」
警戒はしないでもなかったが、相手の顔は知っていた。この学園では有名人、理事長の娘だ。
泉客美岬、黒髪をたなびかせ、端正な顔立ちをしている。姿振る舞いには気品のあるが、同時に歯に衣着せなさそうなキツい印象を受ける、正直男受けする類の美人ではないな、と思った。
つい言い返してしまうが、無視すればよかったことを後から思い至り、額に手をあてる。
「なにその反応」
「いや、無視すりゃよかったなと。
あんたはここじゃ、有名人のようだから」
「そんなこと言ってていいの?」
「気まぐれなら、巻き込まれたくない。
泉客美岬さんだっけ、理事長の娘さんだったか」
「同級生だよ、自己紹介する手間は省けたみたいね」
先に喧嘩売るようなこと言ってんのはそっちなのだが、それを言いだすと話が進まなそうだ。
「私たち、仲良くなれると思うの。
お互い、《《兄弟を亡くしたもの同士》》」
「!?」
枸櫞は後ずさり、彼女を睨みつけた。
姉の――檸檬の死は、事務所もまだ公表していないことだ。
「わかりやすい人」
「カマかけたってのか」
「そうね、ごめんなさい。
でもあなた、今のままでいいの。
お姉さんをあんな目に遭わせたあの男や、世間の好奇と騒ぐだけ騒いで貶めておきながらのあの無関心を、許せた?」
「――、何が言いたい」
「もし貴方が喪ったものを埋めたいと望むなら、私が力を貸してあげられなくもない。ただし相応の働きは求めてる。
それが世界への復讐でも構わないけどね」
復讐、言い得て妙だが。
「私は兄さんを忘れさせないために、世界に刻む。
あなたは、どうなの?」
忘れさせないために、刻む。抽象的な言い草だ。
言いたいことのわからないではないが。
姉はホテルの部屋へ連れ込まれ、薬を盛られての異常行動でバルコニーから転落した――薬を盛った男は起訴されたが、一審では執行猶予つきの判決がくだり、ちょうどその日に前後して姉は死んだ。すっかり意気消沈した父は控訴を諦め、そのままこの件は結審してしまった。
……あの男が殺したも同じ。
あれはそのような殺人だ、それなのに。
週刊誌では薬を盛られた姉のほうに付け入る隙や道義的な問題があったように語られた。
審議では向こうの卑劣さを検事や裁判官も認めているかのような口振りだったにも関わらず、結果として出た執行猶予付きの判決は、世間に半端に見られたようで、掲示板ではまことしやかに『被害者側が控訴しなかったのは天蜜レモンに非があったからだ』とするくだらない風説を垂れ流す荒らしまで出てくる始末。
姉の死を裁判の直後のあのタイミングで公開すれば世間はまた荒らせたろうが、事務所側から先延ばすよう強く念押しされた。元々加害者の男は、事務所のマネージャーから姉さんと繋げたとの噂があったし、僕はそれを事実であいつは責任を負いたくないだけなんだとも想うが、それを唯一確認できたろう姉さんはこの世にもういない。父もやる気をなくした今、僕ひとりではどうすることもできなかった。
……彼女についていけば、なにかが変わるのだろうか?
まぁ、どうにでも、なればいい。
これ以上ひどいことになったって、僕に失うものもない。
そうして僕は、学園の地下へと連れてこられた。




