伯爵夫人の愛の庭園は幻となった〜貴方の愛が消えたので〜
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「薔薇以外なら、好きなだけお花を持って行ってちょうだい。花壇以外の庭木もね。
それでももし残ったら、礼拝堂や病院へ届けてくれると嬉しいわ」
伯爵夫人はいつもと変わらない、その優しい笑顔を浮かべてそう言った。
しかし頬はげっそりとこけ、体もずいぶんと痩せ細っていた。
「もし自分で育てたい人がいるなら、根ごと引き抜いても構わないわよ」
「本当によろしいのですか?」
オドオドしながら使用人の一人が訊ねた。主から窃盗罪で咎を受けたら大変だと思ったのだ。
他の者達もそう思っているに違い。
「この庭園は私のものよ。結婚当時に旦那様から贈られたのだから。
わざわざ目録を寄越してきたから、それが証拠になります。
もし訴えられたとしても、私が証言するから心配はいらないわ。
この美しい花々が、このまま誰の目にも映らず枯れていくと思うと耐えられないの。
だからお願い。
この五年精魂込めて育ててきた花達をどうかもらってちょうだい」
奥様に頭まで下げられては使用人達も断わるわけにはいかなかった。
それにシャルケン伯爵家の別荘に咲く花々は、この国一美しいと評判で、譲って欲しいと大金を積む貴族もいるくらいなのだ。
そんな素晴らしい花々を好きなだけ持ち帰って良いというなら、こんなにありがたいことはない。
「私がこの別荘を出るまでまだ十日ほどあるから、慌てなくもいいわ。
それにあなた達は次の仕事を見つけなければいけないから、これから忙しくなるだろうし。
私の勝手な事情でこんなことになって、本当にごめんなさいね」
再び頭を下げた奥様に、使用人達は全員首を横に振った。
奥様は悪くない。
奥様は我々にちゃんと選択肢を与えてくれた。
今退職すれば、それ相当の退職金が支払われるし、きちんとした紹介状も書いてもらえる。
以前の旦那様は慈悲深い、思いやりのある優しい方だった。
しかし、一年半ほど前から徐々に姿を見せなくなった。そして、三月前に突然見知らぬ女がやって来た。
奥様がこの屋敷を出た後もここに残ったら、あの旦那様が、あのクズ女を引き入れることだろう。
あの下品で傲慢な女にどんな扱いをされるか分かったものじゃない。
それに子守りなんていう、自分の役目じゃない余計な仕事までさせられそうだ。
夜中まで働かされるかもしれない。
しかも給与はこれまでもよりもきっと下がるだろう。いや、いずれはそれさえも支払ってもらえず、クビにされるかも。
いや、絶対になる。
奥様がいなくなって、あんな派手な女が家政を担うことになったら、いずれこの伯爵家は破綻してしまうだろう。
シャルケン伯爵家は、領地を持たない宮廷貴族なのだから。
そうなったら紹介状さえ貰えない恐れもある。
どう考えても、今辞める、その一択で決まり!
使用人達の思いは全員同じだった。
リタニアは王妃殿下の誕生日の二日前まで、この屋敷の主である夫の訪れを待った。
しかし夕方になっても彼は姿を現さなかった。
これまで数え切れないほどため息をついてきた。
しかしこれが最後だと大きなため息をついた後、彼女はゆっくりとソファから立ち上がった。
そして庭園に向かうと、最後まで残っていた薔薇の苗木を大切に持ち上げた。
「奥様、私が運びます」
庭師のジュアンが手を伸ばしたが、リタニアは首を横に振った。
「これがシャルケン伯爵夫人としての最後のお務めだから」
最後という言葉を聞いたジュアンは思わず顔を綻ばせた。そして馬車へと先回りをして、扉を開けたのだった。
馬車が去った後、門が閉じられたその別荘は、何の物音もしなくなり、冷え冷えとたたずんでいた。
シャルケン伯爵はその日、例年通りに別荘に向かうつもりでいた。
しかし愛人に引き留められてしまった。
「なにも旦那様ご自身が行かなくても、誰かに命じて持ってこさせればいいんじゃないの?」
「そうはいかない。王妃殿下への贈り物だぞ」
「執事に行かせればいいじゃない。
私、今日気分が悪いの。安定期には入ったけれど、やはり初めてのことだから不安で仕方なくて。
あなたに側にいてほしいわ。お腹の子もそう思っているわ」
まだほとんど膨らんでもいないお腹を撫でながら、愛人は甘えた声でそう言った。
シャルケン伯爵家の跡取りを身籠っている彼女に何かあっては大変だ。
妻のためにどうにか無事に産んでもらわないと。
そう判断した彼は、執事に向かって別荘へ行くように命じた。
執事のケビンスは一瞬何か言いかけようとしたが、すぐにそれを止め、頭を下げて部屋を出て行った。
「これで、シャルケン伯爵家は終わりだ。それをしっかりと目に焼き付けておこう。そうすれば諦めがつく」
持ち歩いていた封筒が入っているポケットを優しく手で叩きながら、執事は強張っていた頬の筋肉の力を抜いた。
それから少し笑みを浮かべると、足早に王都の屋敷を出て行った。
その翌日の朝、ようやく戻ってきた執事を見た伯爵は喫驚した。
なぜなら彼が手ぶらだったからだ。
「王妃殿下の贈り物はどうしたのだ? なぜ持ち帰らなかった?」
「なぜと言われても、別荘に持ち帰るものがなかったからです」
「なかった? どういうことだ。 まさか、枯れてしまったということか?」
「さあ? 私には分かりかねます。質問をしようにも答えてくれる者がおりませんでしたから」
「いないとは、どういうことだ。リタニアはどこへ行ったのだ?」
「存じ上げません」
「知らないだと? それでよく執事が務まるな!
彼女に何かあったらどうするんだ!
それにあの薔薇が枯れていたというのなら、その代わりになるものを持ってくるべきだろう。
執事のくせにそれくらい気を利かせなくてどうする!」
女主人の居場所が分からないのに心配する様子も見せないケビンスに、シャルケン伯爵は驚いた。
しかも、王妃殿下への贈り物を準備できないというのに、全く慌てもしない。
そんな態度を取る執事に彼は腹を立てて、思わず手に持っていたティーカップを投げつけた。
しかし、大事な封筒に染みがついては大変だと、彼がさっと避けたため、その陶器の器は無惨にもジュータンの上に落ちて茶色の染みが広かった。
「おっしゃる通り、私には執事の資格がありません(この馬鹿な主の行動を諌めることもできなかったのだから)
ですので本日をもって辞めさせてもらいます」
ケビンスは上着のポケットから辞表を取り出すと、それをサイドテーブルの上に置いた。
そして一礼すると、くるっと身を翻して部屋を出ようとした。
伯爵は何が起こったのか分からず、思わずポカンとしたが、すぐに我に返って「行くな!」と手を伸ばした。
するとケビンスは一度足を止めて、顔だけ振り向いてこう言った。
「温情で最後にひと言。
代わりの花とおっしゃいましたが、別荘の庭園には何も咲いていませんでしたよ。というか、何も植えられてはいませんでした。
ですから今さら別荘へ向かっても無駄です。王都で別の貢物をお探しになった方がいいですよ」
「は?」
執事の言葉の意味が分からず、伯爵は再び固まった。
虫が大量に発生したのか?
それとも病気か?
別荘にいる妻からそんな連絡は受けていないぞ。
どちらにしても、王妃殿下が望まれているあの薔薇を贈ることはできない。
しかし、その理由が自然災害によるものなら責められることはないだろう。
混乱の中でもそう判断したシャルケン伯爵は、慌てて屋敷を飛び出して、街の繁華街へ向かった。
まず彼が向かったのは、王都で一番大きな生花店だった。
王妃殿下は華やかな花が好きだ。そして珍しい花が。花屋にそんな注文をした。
すると今日隣国から初めて納品されたという、大型の蘭の鉢植えを見せられた。
なんと、王妃殿下の好きな黄金色の美しい花をいくつも咲かせていた。
伯爵は花の名前と育て方を聞いた後、即座に購入することに決めた。
シャルケン伯爵はその翌日の王妃の誕生パーティーに参加するために王宮に向かった。
そしてまず大広間に向かい、昨日購入した珍しい蘭の鉢植えを王宮の職員に手渡した。
そしてパーティーが始まる時間が来るまで、彼はサロンで社交に務めた。
「今日は、あの美しい奥方はどうしたんだい?」
「もしかしてオメデタかい?」
「ああ」
「そうか、結婚五年でようやくか。それじゃあ大事にしないといけないよな。おめでとう!」
友人や知人に祝われて、シャルケン伯爵は上機嫌になった。
そして開始時間になって意気揚々と大広間へと足を踏み入れた。
しかし王座の方向へ目をやって喫驚した。
なんと国王と王妃の玉座の間に置かれたサイドテーブルの上の花瓶に、過去三年間同様に金色の薔薇が生けられてあったからだ。
(なぜ?
あの薔薇は枯れてしまったのではなかったのか!
一体誰があの花を届けたのだ?)
シャルケン伯爵は訳が分からず戸惑っているうちに、名前を呼ばれて玉座の前に立ち、国王と王妃に挨拶をした。
「シャルケン伯爵、今年も我が王妃の誕生日に素晴らしい金の薔薇を贈ってくれてありがとう。
今年も、いや今年はさらに輝いて美しいな」
国王の言葉に伯爵は恭しく頭を下げて、言葉を返そうとした直前に、王妃がこう口を挟んだ。
「嫌ですわ、陛下。これはシャルケン伯爵からの贈り物ではありませんわ。
伯爵から届けられたのは黄色の蘭の鉢植えですもの。
まあ、そちらもたいそう珍しくて美しい花が咲いていましたけれど。
ねぇ、そうよね?」
「は、はい……」
さすがに薔薇も自分が持参したとは言えず、伯爵はそう返事をするしかなかった。
「えっ? シャルケン伯爵じゃない? 彼以外にもこの黄金の薔薇を咲かせられる者がいたのかい?」
「彼以外というより、そもそもこの薔薇を育てているのはシャルケン伯爵ではありませんわ。
そんなことは貴族なら皆知っていることですよ。
伯爵はほとんど王都の屋敷で暮らしていて、そこではこの薔薇は栽培されていないのですから。
この黄金の薔薇は、伯爵家の別荘の庭園で育てられた花ですわ」
王妃の説明に国王はなるほどと頷いた。
「でも、妻が育てたのならば、伯爵が育てたも同然だろう?」
「それは違いますわ、陛下。
第三王子が貴方のお子だとしても私の息子ではないのと同じように、この黄金の薔薇を育てたのは夫人であって、夫である彼ではありません。
たしかに最初の黄金の薔薇を生み出したのは伯爵夫妻でしょう。その翌年の薔薇も。
しかし、去年と今年の薔薇に関しては伯爵は一切関わってはいませんわ」
「それをいうのなら、夫人の方も関わっていないのではないか?
五年ほど前に結婚した当初は、夫人が病弱だということで別荘で静養していたようだが、一年ほど前から王都で伯爵と共に暮らしているのだろう?
夜会はまだ無理らしいが、お茶会などには夫婦で参加していると耳にしたぞ」
王妃に当て擦られた国王は、顔色を少し悪くしてそう口にした。
すると王妃は、花の隙間から夫である国王に心を凍らすほどの冷たい視線を送りながらこう言った。
「今王都のシャルケン伯爵邸にいる女性は、貴方のメグ様と同じですわ。
しかも凄い偶然なのですが、その方の名前も伯爵夫人と同じなのですって。
私達夫婦とまるで同じですね。うふふっ……」
それを聞いた国王とシャルケン伯爵は顔面蒼白になった。
国王は現在の王妃マーガレットと婚約する以前から、乳母の娘である男爵令嬢のマーガレットと恋仲であった。
それは現在の妻と結婚した後も密かに続いていて、子供までなしていた。
そう。子供ができたことで、当時まだ王太子だった夫は開き直ったのだ。
王太子妃であるマーガレットに男子を二人産ませたのだから、もう自分は責任を果たした。これからは真実の相手の方を優先すると。
国王夫妻は激怒したが、子ができたことを王太子が人前で話してしまったせいで、隠れて処分することができなくなった。
そこで愛人に迎え入れることを許可せざるを得なかった。
王太子は公務もそっちのけで愛人のいる離宮に入り浸りになった。
公務は優秀な王太子妃に任せれば問題ないだろうと。
しかし、激務と精神的ストレスで王太子妃は倒れてしまい、療養生活に入ってしまった。
すると、なんと王太子は堂々と愛人をエスコートして公の場に現れるようになったのだ。
自分の本来の妻は愛人のマーガレットの方だと言わんばかりに。
それを知った王太子妃マーガレットは、全てを諦め、離縁したいと申し出た。
しかし、愛人に王妃が務まるわけがないと、国王夫妻はそれを認めなかった。
それでも、国王がいなくなると王妃はこう言ったのだ。
「貴女には本当に申し訳ないと思っているわ。でも、王妃となった以上離縁はできないことは承知しているはずよね?
まあ、そもそもこの婚姻自体拒否権のなかった貴女にしてみれば、理不尽この上ない話でしょうけれど。
私も同じ立場だったのだから、貴女の気持ちは誰よりも分かっているつもりよ。
でもね、それは王家ではなくて貴族に嫁いでも同じことなのよ。たとえ離縁できても、その後幸せになれるとは限らないのだから。
でも妃が他の貴族夫人と違う点は、国母だということなのよ。たとえ妻としての座を奪われても、その座は奪われない。他の者では代われないのよ。
私は夫である国王だけでなく、息子である王太子のこともすでに諦めているの。
私が国母として仕事をするために必要だから、ただ横に座らせているに過ぎない存在なのだ、とそう割り切っているの。
ふふ。従順な振りをして、その実彼らを掌の上で転がしているのよ。
夫も息子もきちんと教育を受けていたし、愛情を持って育てられてきたわ。
それでもああなった。持って生まれた性分はどうしようもないのだわ、きっと。
そして愚か者は懲りずに何度も誤ちを犯す。期待するだけ無駄よ。こちらの精神が擦り減るだけ。
悲しいけれど私の息子もあんな調子だから、いずれ救いのない失敗をするわ。
そうなったら、貴女の方が上の立場になって息子を支配できる。いや、そうなってもらわないと困るわ。
だから、そのときに備えて心を落ち着かせ、身体を休ませ、自身を整えなさい」
王家の人間になったら離縁はできないのだ。もしできたとしても、子供達まで連れて行くわけにはいかない。
しかも、その後も自由に生きられるわけではない。また家のために嫁がされ、同じような目に遭うかもしれない。
それなら、夫にさっさと見切りをつけて、二人の子供の母親として、そして国母として生きる方がまだマシかもしれない。そう王太子妃マーガレットは思った。
とはいえ、頭でそう考えても、心の方はそう簡単に納得はしなかった。彼女は夫をまだ愛していたからだ。
女として夫の愛を求め続けるのか、それとも女を捨てて母として、国母として生きるのか。
そんな葛藤をしていたころ、マーガレットの元にシャルケン伯爵夫妻からの見舞いの花が届けられたのだ。
それはこれまで見たことのなかったような、黄金色に輝く大輪の薔薇の花束だった。
そしてこんな文章が添えられてあった。
「ようやく、敬愛するマーガレット王太子妃殿下のお眼鏡に適うのではないか、と思える薔薇を夫と共に咲かせることができました。
ご病気でご静養中と伺いました。
この花が妃殿下のお気持ちを少しでも癒すことができましたら、この上ない幸せと存じます」
(この神々しいまでに美しく輝いている黄金の薔薇が、この私に相応しいというの?
夫に愛されないくらいで気弱になって、国民どころかまだ幼い子供達のことにさえ、目を向けられずにいる情けない人間なのに?)
最初王太子妃はそう思った。
しかし、寝室に飾ったその薔薇を見ているうちに、なぜか段々と心の疼きが消え、何か温かなエネルギーが体の中に溜まっていくような気持ちになっていった。
そしてやがてこう考えるようになった。
(いつか私は、この崇高で美しい薔薇の花のような、気高く凛々しい国母になってみせるわ。
あんなクズ男は私に相応しくないし必要ないわ)
と。
そう心が決まったマーガレットの体調は、ようやく回復に向かって行った。
そしてそろそろ王宮に戻ろうと思っていた矢先に、愚か者の王太子がやらかしたのだ。
隣国の王太子夫妻が訪問した際に、なんと愛人を伴って対面したのだ。
しかも無礼な態度と下世話な話し方で客人を不快にしただけでなく、お茶を零して王太子妃のドレスに染みを付けたのだ。
いくら王族であろうと、全く粗相をしないというわけではない。
その場合、当然謝罪は必要になるとしても、今後の関係を考えれば大事にしないようにするのが外交上、暗黙のルールだった。
しかし、そのときはそうはいかなった。
なにせ粗相をしたのは王妃マーガレットではなく、ただの愛人である男爵令嬢であるマーガレットだったのだから。
王太子の隣にいてマーガレットだと紹介されれば、普通王太子妃だと思うだろう。
報告書に記されていた、王太子妃と同じ金髪碧眼の女性であったのだからなおさら。
目の前のマーガレットの正体を知った隣国の王太子夫妻は、侮辱されたと激怒した。当然だ。
たまたま国王夫妻が揃って流行り病に罹ってしまい、王太子に任せたらこの有様。
急遽本物のマーガレットが、実父である侯爵と共に登城してその対応に当たった。
侯爵は世界的な織物工場を所有していていると同時に、最高級のドレスメーカーのオーナーでもあった。
隣国の王太子妃にカタログを見せて、お好きなドレスを贈らせて頂きますと伝えると、彼女は相好を崩した。
たとえ王家であろうと、予約は数年待ちだという超有名なブランドのドレスを得られるというのだから。
両国の関係にヒビが入ることだけはどうにか防げた。
とはいえ、帰り際に隣国の王太子妃は、王太子には目もくれず、王太子妃のマーガレットと宰相に向かってこう言ったのだ。
「今回のことは本物のマーガレット王太子妃殿下と、妃殿下のご尊父に免じて穏便に事を収めることにしました。
しかし、偽王太子妃と、その者を側に置いて誤解させた方に対する処分だけはきちんとなさってください」
と。
この王太子妃は、なんと別の大国から嫁いできた元王女だったのだ。
それを後になって知った王太子はガタガタと震えていた。
来賓について調べもしなかったのかと、王太子だけでなく側近達にもマーガレットは呆れた。
まあ、王妃は知っていて教えなかったのかも……とマーガレットは疑っていたが。
そう考えると、王妃はかなり度胸がある。
この国を危機に陥らせる可能性があるにも関わらず、将来的に害悪になることが確実な人間を切り捨てようとするなんてと。
そしてそれと同時に、その穴埋めを自分が務められるかどうかを試したのだろう、とマーガレットは思った。
「合格……」
見舞いをするために彼女が部屋を訪ねたとき、王妃からそう一言そう言われたから。
「王妃殿下はお強い。見習わないと」
そのときマーガレットはそう思ったのだ。
(真実の愛なんてやはり嘘っぱちね。あのとき、夫への愛を捨てる覚悟をして本当に良かったわ。
自分が廃嫡されると分かったら、あっさりと愛人を一生出てこられない施設に送ったものね。
そのせいで最愛の息子にも嫌われ、恨まれているけれどそれも当然よね。
私が産んだ息子達からは、恨む価値も無いと完全に無視されている。それよりはまだマシかもしれないし)
二つの玉座の間にはサイドテーブルが置かれ、いつも背の高い立派な花瓶が載せられている。
あれは王妃ができるだけ国王の姿を目に入れたくないからだ、と人々は思っていた。
なにせ王妃殿下の誕生日祝賀パーティーの際には、その背の高い花瓶に実際花が生けられるのだから。
長い枝を切り落とされていない、大輪の黄金の薔薇が。
あれではまともに隣にいる相手の姿を見ることはできないだろう。
「シャルケン伯爵、そなたは愛人を妻と称してエスコートしていたのか?」
そう言いながら国王は真っ青になった。
なんでそんなことをしたんだ。妻に忌々しい過去を思い出せるような真似を!と。
「えっ? いえ……」
「すぐに愛人とは別れて夫人を大切に……」
国王が忠告しようとしたのを王妃が遮った。
「陛下、それはもう無理ですよ。これもどこかの誰かさんと同じで、お相手に子を孕ませてしまいましたからね」
「「なっ!」」
国王と伯爵は喫驚して王妃を見た。
「でも、伯爵の方は陛下と違ってまだ救いがありますわね。
だって妻とは離縁できますもの。そしてその大切にしている愛しい人を妻にすれば、伯爵家としてはなんの問題も生じませんからね。跡取りも誕生するわけですし、万々歳ですわ」
「妻と離縁するつもりはありません。そもそも今屋敷にいるその女性は愛人などではありません。私は彼女に対して愛情など一切抱いていませんので」
「まあ! そこは陛下とは違うのね。
でも、それではなぜ子供など作ったの?」
「妻は体が弱くて子を産めません。ですから家の血筋を守るために他の女性に産んでもらおうと関係を持ったのです。
全ては妻のためであり、彼女達も納得してくれています」
シャルケン伯爵の言葉に王妃は笑顔のまま、目だけ細めて言った。
「貴方って、本当に息をするように平気で嘘をつくのね。
本物のリタニア夫人は、三か月前に偽リタニア夫人に言われたそうよ。
『子どもを産めないような人に伯爵夫人は務まらないでしょ。
彼の子を孕んだ以上、私が正式のリタニア=シャルケン伯爵夫人になるべきよ。
だから早く身を引いてちょうだい』
ってね」
伯爵は唖然としていた。
その表情を見て、本当にそれを知らなかったのかもしれないと王妃は思った。
シャルケン伯爵は子供のころから、自分より年下の者、体の小さな者、か弱い者に優しかったと聞いている。
つまり、庇護欲が強いのだろう。おそらく根は善人なのは間違いない。
だからこそ、家族に搾取され、虐げられていた儚げな子爵令嬢リタニアを知った彼は、同情して救い出してやりたいと思ったのだろう。
(そう。彼にその話をしたのは私だったわ)
王妃はそれを思い出して堪らない気持ちになった。
もしかしたら、この夫婦にとっての元凶は自分だったのかもしれないと、彼女は重たい気持ちになった。
そもそも王妃が初めてシャルケン伯爵夫人のリタニアと会ったのは、彼女がまだ侯爵令嬢だったころのだった。
奉仕活動でとある礼拝堂を訪問した際に、そこの花壇があまりにも見事だったので、その花の世話をしていた少女を褒めたのだ。
そのときの少女がリタニアだったのだ。
そして何度目かの訪問で彼女は気付いたのだ。この少女は「緑の手」の持ち主だと。
それを少女の両親である子爵夫妻に伝えた。
その結果、リタニアは家族に搾取されるようになってしまったのだ。
王妃がその事実を知ったのは、王妃になってからだった。
出産や公務のせいで多忙過ぎて、奉仕活動を行う時間がなかったからだ。
久し振りに訪れた礼拝堂で、司教からリタニアの話を聞かされた王妃は衝撃を受けた。
そのとき、王妃の側には、たまたま奉仕活動をしていたシャルケン伯爵がいて、その話を聞いていたのだ。
リタニアは緑の手の持ち主だった。
しかしその力は無尽蔵に湧いて来るものではなかった。
家族はそれを理解していなかったため、彼女を酷使したため、その能力は枯渇してしまった。
特殊能力がなくなれば、ただの病弱で貧相な娘に過ぎない。
こんな娘では政略結婚にも利用できないと思っていた家族は、格上の伯爵家からの申し出に諸手を挙げて喜んだ。厄介払いができると。
全く愚かな連中だ。自ら掌中の珠を手放すなんて。
結果を見れば、ずる賢くて卑しい男爵家の庶子に騙されて、別れることになりそうなこの男も同じ愚か者だけれど。
シャルケン伯爵の妻への思いは、最初のうちは、たしかにただの同情だったのかもしれない。
しかしそれが時間とともに愛情へ変化したのは確かだろう。
そうでなければ、この愛の化身のような黄金の薔薇は咲かなかっただろうから。
その証拠に、去年の黄金の薔薇はその輝きを無くしかけていた。それは彼が彼女の側にいなかったからだ。
それでも黄色の薔薇が黄金に変化したのは、彼女を慕い、支える使用人達の愛情があったからなのだろう。
「今年はあの薔薇を殿下に差し上げるのは難しいかもそれません」
そんなリタニアからの手紙を受け取ったときは驚いたわ。彼女に一体何が起きたのかと。
だから王家の影達に調べさせた。
すると、なんとシャルケン伯爵が一年近以上ろくに別荘を訪れていなかったことが分かった。
リタニアが健康になったことで、彼の庇護欲は別の人物に向けられていたのだ。本来全く庇護される必要のない相手だったというのに。
なにせあの女には何人ものパトロンがいたのだから。
リタニアは、自分を地獄のような実家から連れ出してくれた夫に深く感謝していた。
そしていつしか気付いたら、彼を深く愛するようになっていたという。
そのきっかけになったのは、結婚して別荘で新婚生活を始めてすぐに、庭園を自由に植物を植えてもよい、言ってもらったことだったらしい。
「ここは君の庭園だ。君の好きな植物を自由に育てればいいよ。花でも草でも」
そう言われたとき、彼女は生まれて初めて幸せを感じたそうだ。
「王妃殿下と初めてお会いした、あの修道院の花壇のお花の世話も楽しかったです。
けれども、あそこは私の花壇ではありませんでしたから、好きな植物を植えるわけにはいきませんでした。
子爵家では、高い収益が見込める貴重な花ばかりを育てさせられ、他の草花に目を向けることさえも無駄だと禁じられていました。
ですから、夫から好きなものを植えてもよいと言われたことで、生まれて初めて私は自分の意思を認めてもらったと思いました」
(四年前、久し振りに会ったリタニアは本当に幸せそうだった。
彼女が実家で虐待を受けていたという事実を大分後になって知ってから、私はそれをずっと悔いていたわ。
だからこそ私は、彼女が幸せな結婚をしたと聞いて嬉しく思っていた。
それなのに……)
妻を大切に思うあまりにシャルケン伯爵は子を作らなかった。しかしそのせいで親類縁者に責め立てられて、彼も辛い立場だった。
しかも、子どもはいらない、養子をもらえば済むことだと妻に言った手前、今さら子を産んで欲しいとは言えなかった。
彼女は徐々に健康になっていたし、夫の子を望んでいたのだ。
それゆえに、もう少し時間をかけ、もっと話し合ってさえいれば、二人は子を授かることもできたかもしれない。
それなのに彼はあの毒婦の罠にかかってしまった。
リタニアはこの一年、夫に裏切られたことを知りつつも、夫の帰りを待ち続けた。あの庭園とともに。最後の最後まで。
そのタイムリミットは一昨日の夕方だったのだ。
シャルケン伯爵は真っ青な顔で国王夫妻に一礼した後、足早にその場を離れ、出口に向かった。
別荘に向かうのだろう。しかし遅い。もう手遅れだと王妃は思った。
妻とともに造った美しい庭園はすでにない。彼が守ろうとしていた妻、そして信頼していた使用人も。
王妃はそんなシャルケン伯爵夫妻の状態を把握していた。
だからこそ心境は複雑だった。
彼が拒否すれば離縁は成立しない。
いくら王妃でも、貴族の婚姻関係には口も手も出せないのだから。
彼の妻は今、王妃の持つ別邸に、若い庭師とともにいる。新しく任命された管理人として。
そしてそこに新たな庭園を造り、再び黄金の薔薇を咲かすことだろう。
それに力を貸す相手が夫なのか、若い庭師なのかは定かではないが。
リタニアの夫とマーガレット王妃の夫は全く同じような行為をしたが、その行為の持つ意味はまるで違う。
シャルケン伯爵は、己の欲のみで好き勝手なことをした国王とは違う。だから、救ってやりたいと王妃は思ってしまうのだ。
しかし、あくまでも決定権は彼の妻にある。だから、一切口は挟まない。見守るだけだ。
いや、国母としての仕事だけは遂行しなくてはならないだろう。
だからこそ王妃は、伯爵の背を見つめながら、そっと影に司令を出したのだ。
主が留守なのをいいことに、別の男を屋敷に連れ込んでいるであろう毒婦を処分するために。
王侯貴族にとって血統は重要だ。お家乗っ取りなど決して許してはならない。
「子供の命は奪わないわ。子供には罪がないもの。
逆恨みや反逆心を持たないようにきちんと手を打った上で、ちゃんと国が面倒を見るわ。第三王子のようにね。
だって、私はこの国の国母だもの」
徹頭徹尾変わらない笑顔を浮かべたままの妻の顔を、夫は黄金の薔薇の隙間から見つめていた。
かつて彼女は、まるで天使のように心優しく可愛い令嬢だった。彼女の笑顔が愛おしくてたまらなかった。
そんな愛らしい少女を、仮面を貼り付けたような笑顔しか見せない女性にしてしまった。
愚かな伯爵の後ろ姿に自分の姿を重ねて、国王は改めて罪悪感に打ちひしがれたのだった。
国王夫妻は王太子である第一王子が国王に即位するまで、冷え切った仮面夫婦として、豪華な花瓶を間に置いて、玉座に座り続けます。
その後はおそらく別居となることでしょう。
そしてシャルケン伯爵は、夫がサインしない限り離縁は成立しません。それ故に今後どうなるかは、ご想像にお任せします。
元鞘になるのか、別れるのか、別の相手と結ばれるのか。
どの道を選んでもヒロインはハッピーエンドになれると思っています。
読んで下さってありがとうございました。




