第1話
ようやく最前列の僕らに退出の順番が回ってくる。 サークルには入っていないが、僕には気心の知れた連中がいる。体育の授業や第二外国語で一緒になった数名だ。同じ授業を取っていれば自然と隣に座り、学食の限定メニューや課題の愚痴で盛り上がる。この多摩キャンパス特有の「馴れ合い」や「飲みサー」のノリは気に食わないが、彼らとの適度な距離感は居心地が悪くない。
ただ、今の僕には彼らと共有できない「壁」がある。 それは、十年前から世界を一変させた**「大ダンジョン時代」**の恩恵だ。
十八歳になれば誰もがダンジョンへ潜れるようになり、今や大学生にとってそれはバイトやサークルと同じくらい当たり前の「経験」であり「趣味」になった。大学の講義棟のあちこちで、今日はどの階層まで潜るだの、ドロップアイテムがどうだのといった会話が飛び交っている。 「泰聖、今日この後の飲み会、絶対来いよ。お前がチェックしてたアニメの作画監督の知り合い……だけじゃなくてさ。実は俺、昨日の講習でついに『スキル』が覚醒したんだ。その祝いも兼ねてさ!」
健太が興奮気味に言っていた言葉を思い出す。 ダンジョン講習。安全な初期モンスターの倒し方を教わり、初めて獲物を仕留めた瞬間に、その人の資質に応じた「スキル」が芽生える。それがこの世界のルールだ。
しかし、僕、蘆屋泰聖にはそのルールが適応されなかった。 講習は受けた。スライムも倒した。けれど、僕の体には何も宿らなかった。 やりたいことはある。物語を書きたいし、自分だけの表現を見つけたい。そして何より、この足でダンジョンの奥底へ潜ってみたい。 けれど、スキルという「資格」を持たない僕にとって、ダンジョンは憧れであると同時に、自分が「透明人間」であることを突きつけてくる残酷な場所だった。
――食堂へ向かう道中も、健太たちは新しく手に入れたスキルの話で持ちきりだった。
「指先から火が出るとか、マジで便利じゃん! 俺の【筋力強化】と合わせれば最強の布陣じゃない?」 「泰聖はどうだった? まだ言ってなかったろ」
歩きながら投げかけられた無邪気な問いに、心臓が跳ねる。 「……いや、僕はまだちょっと。判定が微妙っていうか、パッシブ系っぽくて実感がなくてさ」
嘘を吐くのは苦しい。けれど、グループの楽しい空気を僕一人の「不具合」で壊したくなかった。 食堂に着くと、僕らはいつものように固まって席に座る。数日前までは、ここでアニメの話や授業の代返の相談をしていたはずなのに。
トレイを置き、友人たちの中心に座っている。物理的な距離はゼロだ。それなのに、スキルという共通の話題で盛り上がる彼らの中に、僕の居場所だけがぽっかりと抜け落ちているような感覚に陥る。
彼らとの仲を壊したくない。でも、笑って頷くたびに、自分の内側が空っぽになっていくのが分かる。
「……わかった、飲み会行くよ。健太の祝いだしな」
僕がそう言うと、健太は「よっしゃ、そうこなくっちゃ!」と僕の肩を叩いた。その手の熱が、今は少しだけ重い。
一次会の居酒屋は、ダンジョン帰りの学生や社会人でごった返していた。ジョッキが触れ合う音、誰かが手に入れたレアスキルの自慢、そしてレベルアップの報告。店全体が「大ダンジョン時代」の熱気に浮かされているようだった。
「ほら泰聖、飲んでるか?」
健太がビールを勧めてくれるが、僕は「あ、ごめん、今日はこの後ちょっと外せない予定があって」とウーロン茶のグラスを上げた。
「予定? 泰聖が飲み会の後に用事なんて珍しいじゃん。……あ、もしかしてデートか?」
「……いや、そういうんじゃないけどさ」
ニヤつく友人たちに曖昧な苦笑いを返す。本当は、彼らがスキルの話題で盛り上がるたびに、自分の輪郭がぼやけていくような感覚に耐えられなかっただけだ。同じ場所にいて、同じように笑っているのに、僕だけが別の世界に取り残されている。
「悪い、やっぱり先に行くわ。健太、改めておめでとう」
宴もたけなわというところで、僕は会費をテーブルに置き、逃げるように店を出た。 外の空気は冷たく、火照った顔に心地よい。 向かったのは、大学近くにある深夜営業のトレーニング用ダンジョンだ。ここは本物の魔物が出るわけではなく、魔力構成された「ダミー」相手に練習ができる施設。当然、普通はスキルを磨くために来る場所だ。
「受付、一人です。一時間」
慣れない手つきで貸し出し用の訓練用ナイフを手に取る。 物語を書きたいし、自分だけの表現を見つけたい。そして何より、この足でダンジョンの奥底へ潜ってみたい。 ならば、スキルという「資格」がないのなら、それ以外のすべてを研ぎ澄ますしかない。 ブースに入ると、目の前に半透明のゴブリンが現れる。 僕はワイヤレスイヤホンの音量を最大まで上げた。激しいビートが思考を塗り潰し、ただ眼前の「敵」だけを網膜に焼き付ける。
健太が指先から火を放ち、誰かが身体能力を高めて駆け抜けるこの世界で、僕はただの人間として、泥臭くナイフを突き出した。 スキルのない僕の、静かで、誰にも知られることのない反撃が始まった。




