第3話:『初めての「書き換え」』
私が聖女としての特別な教育を拒んだ日から、父との間に壁ができた。部屋に閉じこもる私を、父は何度も説得しようとした。
「お前は選ばれたのだ。世界のため、人々のために、その力を使うべきだ」
その言葉は、いつだって優しかった。でもその優しさこそが、私を悲劇へと向かう運命の鎖に繋ごうとしている。
(私は…この小説のヒロインじゃない。ただの、佐藤美咲なんだ。)
父は私の頑なな態度に、やがて何も言わなくなった。だが、それが逆に辛かった。書斎から聞こえる「申し訳ございません、娘はまだ体調がすぐれず…」という父の声。教会からの連絡をかわすための苦しい言い訳が、私の心を締めつける。いつまでも続くわけがないと分かっているのに、私は何もできない。
(感謝している。でも、いつまでもこのままじゃいられない。私のせいで、父にまで迷惑はかけられない…)
父がなんとか教会からの連絡をかわしてくれている間に、次の運命を書き換えるための準備を始めた。原作では、この時期に街で大規模な魔物の暴動が起こる。それが、勇者と聖女の物語が始まるきっかけとなる。勇者とは接触しないように、しかし暴動による被害はなんとか最小限に食い止めたい。
まず、事件の詳細を知るため、父の書斎にある膨大な蔵書を漁った。埃を被った重厚な本棚から『王都史』や『魔物図鑑』を引っ張り出す。古い紙の匂いとカビ臭さに思わず鼻を顰めながら、暴動のもとになるはずの最初の事件のページを探す。
「たしか、この辺りのページに…」
指でページをなぞると、関連するはずの記述はごっそりと抜け落ちていたり、肝心な部分が破り取られていたりする。
「まさか、こんなところまで…」
(くっ、読者だった私にとっての“常識”が、ここでは通用しない…!もしかして、この妨害…システムによるもの…?)
次に、街の図書館へ行くことにした。馬車を乗り継ぎ、人通りの多い通りを抜け、ようやくたどり着いた図書館の入り口には、無機質な字体で「臨時休館」の札がかけられていた。些細なアクシデントは、しかし確実に私の行く手を阻んだ。
「やっぱり、そう簡単にいかないか…」
私は思わず独り言を呟いた。
(これが、運命に抗うってこと…)
それでも、私は諦めなかった。原作の知識は、誰にも奪えない私の武器だ。
街のざわめきが、次第に悲鳴へと変わっていく。遠くで、建物の崩れる音と、魔物の咆哮が聞こえた。
(このままでは、勇者と出会う。そして、物語の歯車が回りだす。聖女として認められ、最終的には悲劇的な結末へと向かう…)
逃げるべきだ。それが、私自身の命を守る唯一の道。分かっていた。そうしなければ、幸せになれないと。
(でも…あの叫び声は、誰かが助けを求めている声だ。私が知っている知識を使えば、きっと、たくさんの命を救える…!自分のことだけを考えて、見過ごすなんて、そんなの…!)
葛藤する私をよそに、悲鳴はさらに大きくなっていく。私は自分の手のひらを強く握りしめた。
「この先、何かあったら逃げて!」
メイドを説得し、街の入り口まで来たところで私は一人で進んだ。街の中心部では、すでにパニックが起きていた。人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、建物の壁が崩れ、けたたましい音が響く。焦げた匂いと、土埃が喉に張り付く。
「ヒッヒッヒ、人間どもめ!」
魔物たちが不気味な笑い声を上げながら、人々を追い回していた。原作通り、この魔物たちは魔法攻撃に耐性を持つ特殊な個体だ。その代わり、物理攻撃が弱点だったはず。
私は隠し持っていた短剣を構え、魔物の注意を惹こうとした。だが、私の非力な攻撃では、魔物の足止めをするのが精一杯だ。魔物の視線が私を捉え、その大きな口が開かれる。
(ダメだ、このままじゃみんなやられちゃう…!勇者ライアス・フォン・グレンダールは、もうすぐ来るはず。それまでなんとか、持ちこたえなきゃ!)
その時だった。
「大丈夫ですか!」
頭上から、力強い声が聞こえた。見上げると、一人の少年が屋根の上から飛び降りてくる。真紅のマントが風になびき、黒曜石のような黒髪が風に揺れていた。精悍な顔立ちに、燃えるような紅い瞳が印象的だった。彼の顔にはまだ幼さが残るが、その眼差しは鋭く、獲物を狩る獣のようだった。原作の記述通り、ライアスは類まれな身体能力の持ち主だった。その姿は、まさしく物語の主人公、絵に描いたような「勇者」そのものだった。
(ライアス…!原作の主人公が、まさかこんな形で…!)
ライアスは、魔物が私に気を取られている一瞬の隙をつき、腰の剣を抜き放つ。剣は光をまとい、雷のような鋭い軌道を描いて魔物の急所を貫いた。
「すごい…!」
私は思わず息をのんだ。原作の知識でしか知らなかった彼の力は、想像をはるかに超えていた。魔物は悲鳴を上げ、光の粒子となって霧散していく。
(これが、未来の勇者…!すごい…!)
「お怪我はありませんか?」
ライアスは私に手を差し伸べた。その手は、魔物と戦ったばかりだというのに、温かかった。私はその手を取り、立ち上がった。
「ありがとうございます。…あなたが助けてくれなかったら、どうなっていたか」
「いえ、当然のことをしたまでです。ですが、あなたはなぜ、こんな危険な場所に?」
私が言葉に詰まっていると、再び頭の中に声が響いた。
『整合性維持のため、勇者の行動を強制調整します』
その瞬間、ライアスの表情がわずかに曇った。彼は私から一歩下がり、どこか冷たい声で尋ねた。
「あなたは…聖女、ですか?」
私は思わず顔を強張らせた。原作では、彼が私を聖女だと知るのはもう少し後のことだったはずだ。
(どうして今…?原作よりずっと早い…!まさか、システムの強制調整って…?!)
運命を書き換えることは、簡単なことじゃない。それでも、ルークと出会えた。原作とは違う温かい絆ができた。きっと未来は変わったはず。私なら変えられる。
「私は…」
私は、運命に流されるだけのヒロインじゃない。私は、自分の手でハッピーエンドを創り出す。たとえ、どんな困難が待ち受けていようとも。
ポイント、感想をいただけると日々の励みになります。
ぜひぜひお待ちしております!




