第十六話 「仲直りの処方箋」
部屋には、スレイアの悲しげな泣き声がまだ続いていた。セリーヌは、そんなスレイアの髪を優しく撫で、その頬を伝う涙を拭ってやる。しばしの後、慟哭は次第に収まり、ただ小さな嗚咽だけが残った。
「もう、泣き止んだかしら?」
セリーヌの声は、氷さえも溶かすほどに柔らかい。
スレイアは鼻をすすり、ひどい鼻声で彼女の胸の中からくぐもった声を出す。
「……うん」
「もう、泣かない?」
「ふんっ」
スレイアはまた鼻を鳴らし、セリーヌの胸に更に深く顔をうずめた。
「あなたの態度次第よ!」
「では、まずはお薬を飲んでからにしましょうか?」
「なら、あなたが飲ませなさい!」
スレイアは即座にその好機を捉え、さも当然といった口調で要求する。
「ぷっ……降参だわ」
薬は、ちょうどいい温度になっていた。セリーヌは根気よく、一匙、また一匙と、薬をスレイアの唇へと運ぶ。スレイアもまた、こうして世話を焼かれる心地よさを味わうように、そっと口を開き、注意深く薬を飲み下していった。
「まだ、私のこと、怒ってる?」
薬を飲ませながら、セリーヌはそっと尋ねた。
「怒ってる!」
スレイアは、考える間もなく答えた。薬を含んでいるせいで、その声は少し不明瞭だ。
「怒っているのに、どうして私に薬を飲ませてほしいの?」
セリーヌは笑いながら尋ねる。
「それは、矛盾しないわ!」
スレイアは、さも当然といった様子で反論した。
「ほう? どうしてかしら?」
セリーヌは、笑みを浮かべたまま、彼女の話に乗った。
「あなたに腹を立てていることと」
「あなたに薬を飲ませてもらうことは、別の話よ。この二つは……全く矛盾しないわ! まずは薬を全部飲んで、それから……また引き続き、あなたに腹を立てればいいんですもの!」
その、あまりにも真剣な表情での解説に、セリーヌはついに堪えきれず、「ぷっ――」と噴き出した。
「な、何を笑うのよ?!」
スレイアは、ぷっくりと頬を膨らませて文句を言う。
「当ててみて?」
セリーヌは笑いを堪えながら、彼女をからかった。
「ふんっ――! どうせ、今の私の格好が滑稽だって、笑ってるんでしょう!」
「半分だけ、正解ね」
セリーヌの笑みは、さらに深くなった。
「えぇっ?」
スレイアの好奇心は、一瞬にして掻き立てられた。
「じゃあ、残りの半分は何なの?!」
「お薬を全部飲んだら、教えてあげる」
「うん、うん!」
スレイアは、途端に素直になって頷いた。
程なくして、スレイアは聞き分けの良い子供のように、椀の中の薬を全て飲み干した。そしてすぐさま、キラキラと期待に満ちた眼差しでセリーヌを見つめる。
「ねぇ」
彼女は催促した。
「お薬は飲んだわ。そろそろ、あの『残りの半分』が何なのか、教えてくれるんでしょう?」
「ええ、いいわよ」
セリーヌは笑って頷いた。
「でも、まずはちゃんと横になって」
スレイアはすぐさま慎重に身じろぎし、大人しくうつ伏せになった。セリーヌは身をかがめ、彼女の耳元に顔を寄せると、二人にしか聞こえない、蚊の鳴くような声で、そっと、あの『残りの半分』の答えを告げた。
そして……スレイアの脳がその情報を処理しきる前に、セリーヌは疾風のごとく部屋の扉の前まで駆け抜け、余裕綽々の様子で振り返り、投げキッスを送る。
「じゃあね~」
部屋に残された二人の副官は、頭上に疑問符を浮かべたまま、その場で固まっていた。彼女たちは茫然と顔を見合わせ、まるで「今、何が起こった?」と目で問いかけているかのようだった。
しかし……。
「セリーヌ――!!! あんた、こっちに戻ってきなさい――!!!」
直後、部屋中に屋根さえも吹き飛ばさんばかりのスレイアの咆哮が響き渡った。副官たちが慌てて彼女を押さえつける。
「スレイア様! お、お気を確かに!」
「そうですわ、傷が開きます!」
スレイアはじたばたと暴れながら怒鳴り散らした。
「あの馬鹿セリーヌ! 絶対に私をからかいに来ただけでしょう?! この意地悪――!!! いたい、痛い痛い――! ッ――!」
激しく暴れたせいで背中の傷が痛み、彼女は再び痛みに息を呑んだ。
「スレイア様、どうか安静に! また傷が開いてしまいます!」
副官たちが、慌てて諫めた。
「はいはい、分かったわよ……」
激痛には抗えず、スレイアは不承不承、大人しくなった。
彼女は荒い息をつき、一時的に落ち着きはしたものの、扉に向けられたその眼差しには、依然として悔しさが燃え盛っていた。
「ああっ――!!」
「ど、どうなさいました?! スレイア様?!」
副官たちはすぐさま緊張し、傷がまた痛み出したのかと身構えた。
「しまった――」
スレイアは悔しそうに額を叩いた。
「馬鹿セリーヌと張り合ったせいで、あの子のことを話し忘れてしまったわ! ああ、もう!」
「……あの子、ですか?」
シンシアとルーシーは顔を見合わせ、互いの目に同じ困惑の色が浮かんでいるのを見て取った。直後、ある痩せこけた、虚ろな目をした人影が、二人の脳裏に浮かび上がる――まさか、昼間、広場で見た……あの血塗れの少年のことだろうか?
......
部屋から聞こえてくる叫び声に、セリーヌは誰もいない宮殿の廊下で思わず口元を綻ばせた。だが、その笑みは一瞬で消え、彼女はすぐに統帥としての厳粛な表情を取り戻し、宮殿の外へと歩き出した。
宮殿の外に出ると、見慣れた人影がこちらへ駆けてくるところだった。
「セリーヌ様――!」
フィリスの声には、どこか焦りの色が混じっている。
「あら、フィリス。戻ったのね」
「はっ! 任務完遂いたしました!リストにあった貴族は、一人残らず連れ帰りましたわ!」
フィリスは誇らしげに胸を張った。
「ご苦労様。怪我はなかった?」
「私が誰だと思っているのです? このフィリスですよ? 『帝王国』との一戦に比べれば、今回は休暇みたいなものでしたわ!」
「『帝王国』、ね……」
その言葉を聞き、セリーヌの眼差しに、一瞬、複雑な色がよぎった。
フィリスは、セリーヌの白い制服を指差した。
「その血の跡……お怪我を?」
「ああ」
「……私のではないわ。ただ、多忙で着替えるのを忘れていただけ」セリーヌの眼差しが、僅かに翳る。
「ああ~、なるほど」
フィリスは、合点がいったように頷いた。
「そうでしたか……」
フィリスは合点がいったように頷くと、手にしていた包みをセリーヌに差し出した。「道中カイエンに会いまして、これをあなた様にと」
「ご苦労様,気を遣わせてしまいましたね」
「滅相もございません、セリーヌ様」
フィリスは慌てて言った。
「もう夜も更けております。どうか、早くお休みください」
「ええ」
セリーヌは頷いた。
「あなた達も、交代の折には、必ず休息を取るように。いいですね?」
「はっ!」
◇◆◇
フィリスと別れた後、セリーヌは町で宿を取り、しばしの休息に入った。手早く沐浴を済ませ、ベッドの上に丁寧に置かれた血染めの制服を見つめる。その眼差しは、底なしに深かった。
彼女は、その血染めの制服を、まるで聖遺物を扱うかのように、一分の隙もなく折り畳み、厳かに、カイエンが渡してくれた包みの中へと収めた。
指先が、とうに乾いた暗赤色の血痕をそっと撫でる。
「キャロライン……もし、あなたが私と共にアルタナスへ来ることを望んだなら、その才をもってすれば、人界で並ぶ者のない第一人者となれたでしょうに。実に、惜しいことを……」
一筋の涙が、彼女の頬を、静かに伝い落ちた。




