第八話 「血の紋章」
軽やかな口笛が、死神の歩みのように、静まり返った城の廊下に響き渡る。
エドは、倒れた女戦士たちが作り出す「障害物」の間を、縫うようにして進んでいく。ブーツに隠した短剣はすでにその手にあり、白銀の刃が彼の指先で器用に躍り、口笛と呼応して、無音の死のワルツを奏でた。
地に倒れ伏す女戦士たちは、自分がどれほど恐ろしい罠に嵌められたのかを、ようやくその身で理解した。意識はどこまでも鮮明で、魂は怒りの炎に焼かれて叫びを上げているというのに、肉体は最も堅固な囚獄と化し、指一本震わせることさえできない。
彼女たちにできるのは、かつて自分たちが踏みつけ、息をすることさえ無駄だと見なした少年が、今、聞いたこともないほど心地よい旋律で、自らの終焉を告げる様を、ただ見つめることだけだった。
エドは悠然とリサの部屋の前に立ち、その瞳には猫が鼠を弄ぶような、嗜虐的で残酷な光が揺らめいていた。彼はわざとらしく、みすぼらしい襟元を正す。まるで舞台に上がる前の役者のように。そしてようやく手を上げ、丁寧なリズムでドアをノックした。
コン、コン、コン――
「失礼、ルームサービスに参りました」彼は楽しげに、歌うような口調で言った。
ギィ、と音を立ててドアが開けられる。リサが必死に重い頭を上げると、真正面から少年の、笑みを浮かべた冷たい目とかち合った――その瞬間、彼女の心臓は形のない手で鷲掴みにされたかのようだった。
エドの視線は散らかった床を舐めるように見て、やがてほとんど手のつけられていない一枚の肉の上に定まった。彼はゆったりと歩み寄り、優雅に身を屈め、二本の指で埃まみれの上等な肉をつまみ上げる。まるで貴重な宝物を拾うかのように。そして、見え透いた笑みを浮かべながら、その「宝物」をリサの口の中に乱暴に押し込んだ。
「おやおや、食べ物を無駄にするのは感心しませんな、尊きリサ様!これは上等な肉ですぞ、このまま床に捨ておくのは、実に勿体ない」彼は忍び笑いを漏らし、その口調は吐き気を催すほどに馴れ馴れしかった。
「どうしました?食べないのですか。まあ、そうでしょうな。あなた方貴族にとって、こういう所谓『上等な肉』は……我々のような貧民に一片たりとも分け与えるくらいなら、飼っているペットにでもやった方がマシなのでしょう。我々が、ほんの小さなパンを一つ食べただけで、あなた方に殴り殺されんばかりになるというのに」
彼は理不尽への怨念をゆっくりと語りながら、リサの憎悪に満ちた瞳をじっと見つめる。その顔から笑みが少しずつ消え、氷のように冷たく、骨身に染みる憎悪が取って代わった。彼は突然、口の中の肉を荒々しく引きずり出すと、その勢いのまま、乾いた音を立てて彼女の頬を打ち据えた。
パァン――!
澄んだ炸裂音の中、歯が一本、血飛沫と肉塊と共に宙を舞った。エドは彼女の髪を掴んで無理やり顔を上げさせると、その声を凍るような耳打ちに変えた。
「いかがです?尊敬すべきリサ様。あなたが高貴なその命を、普段好き放題に踏みつけていた平民の手に握られている……今のお気持ちを、お聞かせ願えますかな?」
「あ……ああ……っ……」
リサの喉の奥から、獣じみた、音にもならない嘶きが漏れる。怨嗟に満ちたその眼差しは、眼前の少年を凌遅の刑に処さんばかりだが、それも囚われ人の無力な呪いでしかない。
「おや?忘れかけていたが、あなたは今、毒に侵されていて、まともに話せないのでしたな」
エドは彼女の嗚咽など聞こえぬかのように、壁に掛けられた一本の、装飾華美な長剣に目を奪われた。
彼はゆったりと歩み寄り、椅子を一つ引き寄せると、その上に立って壁の剣を架台から取り外した。それは明らかに実戦用の武具ではなく、美術品と呼ぶべきものだった。
「大したものでしょう。これは私が、長い、長い時間をかけて準備し、丹精込めて練り上げた傑作なのです」彼は指先で、剣身に咲き誇る花のような鍛造紋をそっとなぞる。エドの瞳には、隠しきれない興奮の色が揺らめいていた。
「予想外だったのは、ドミールの森にあれほど多種多様な菌類があったことです。あの『金花鵝膏』のおかげで、水を直接飲まずとも、ただ皿を一枚、ナイフを一本、あるいは菜っ葉を一枚洗うだけで……薬効が寸分の違いもなく、然るべき場所へと届くのですから」
「白銀の光が走った。」
エドが腰から抜いた短剣が、正確に彼女の両手首を切り裂いた。激痛はなく、ただ一条の鮮血が、二匹の細い蛇のように蜿蜒と流れ落ちるだけ。リサの神経はとうに麻痺し、指先一つ震わせることもできず、喉からは不成器な嗚咽が漏れるのみだ。
「毒に侵されてはいるが、血は、いずれ流れ尽きる」エドは彼女の耳元に唇を寄せ、その呼吸は蛇の舌のように冷たかった。
「心臓が次第に止まっていく恐怖……それからは逃げられんよ」
リサは藻掻こうとしたが、今の彼女には指一本動かせず、発する声も微かな呻きでしかなかった。エドは彼女を意に介さず、振り返るとテーブルの上の赤ワインを掴み、その深紅の液体を、躊躇いなく彼女の手首の傷と、そして首筋に注ぎかけた。
ジュウ――。
アルコールと鮮血が混ざり合い、不気味な泡を立てる。本来なら凝固するはずの傷口から、逆により多くの赤黒い血が溢れ出した。
「私は思いやりのある優しい人間でしてね。リサ様が赤ワインをこよなく愛しておられると知っているので、これを、お見送りの餞別と致しましょう」
リサの瞳が震える。生命力が手首の裂け目から急速に抜き取られ、その眩暈が意識を侵食し始める。彼女の眼差しには、絶望と恐怖が浮かんでいた。エドの氷のような目を見つめ、彼女は口を開閉させたが、命乞いの声さえ形にならなかった。
エドは次第に色を失っていく彼女の顔を見下ろし、その瞳には一片の揺らぎもなかった。天気の話でもするかのように、平淡な声で言った。
「そんな目で見ないでいただきたい。この一ヶ月、私が同じような目であなたを見ていた時、あなたは私の気持ちを……考えたことがおありで?」
刃の光が、首筋を掠め――。
ザシュッ!
絢爛たる赤色が噴水のように迸り、背後の壁を凄艶な抽象画へと変えた。
エドは短剣を振り、血を払うと、くるりと背を向けて部屋の扉へ向かった。
「その絶望を、存分に味わうといい」彼は背を向けたまま、子守唄を口ずさむように軽く言った。
「おやすみなさい、リサ様。どうか……永い、悪夢を」
背後で扉が閉ざされ、その軽い音は、リサの世界が崩壊する引き金となったかのようだった。
視界がぼやけ、回転し始め、見慣れた全てのものが揺らめく光と影に変わっていく。耳に残るのはただ単調な音だけ――ぽつり、ぽつり。それは手首から滴る血の音であり、彼女の生命の終わりを告げる振り子の音でもあった。
闇が潮のように、視界の縁から際限なく押し寄せ、最後の光を優しく飲み込んでいく。彼女は抵抗を諦め、瞼を閉じ、自らが冷たい深海へと沈んでいくのに身を任せた。
意識が完全に深淵に堕ちるその直前、彼女が最後に見たものは、羊毛の絨毯の上に広がる、自らの温かい血溜まりだった――それが描き出す紋様は、彼女が生涯をかけて守り抜いてきた、家の紋章と寸分違わぬものだった。
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