第二十一話 「女神の問い」
「ああ……うう……あああああっ……」
それは、スレイアがただ鞭を一振りしただけの、極めてありふれた一撃だった。だが、それを受けた典獄長は、床の上を転げ回り、のたうち、意味のない、獣のような奇声を上げている。
彼女は、時に、その頭を床に打ち付け、時に、とうに乱れきった己が髪を狂ったように掻きむしり、また、時には、手足をばたつかせた。まるで、恐怖と狂気に捧げる、不格好で、醜悪な舞踏を、一人で踊っているかのようだ。
奇怪なのは、彼女だけではなかった。
血色の天蓋と、猩々緋の稲妻の下、まるで業火の中に立つかのように、スレイアの、豊満で、妖艶な後ろ姿が、静かに、そこにあった。
ぽつ、ぽつと……
数人の貴族が、まるで何かに憑かれたように、震えながら、その緋色の背中に向かい、ゆっくりと、跪いていく。その唇からは、自分たちでも理解できぬ言葉が、祈りとなって、懺悔となって、この新しい神への、赦しを乞う声となって、溢れ出していた。
しかし、彼女たちが崇める「神」は、信徒の誕生に、一片の興味も示さなかった。
スレイアはただ、静かに、その手を上げた。一房、風に乱れた桃色の髪を、耳の後ろへと、かき上げた。
彼女の両の瞳に、猩々の赤い光が、一瞬、閃く。
床の上で狂ったように踊り続けていた典獄長の身体が、まるで目に見えぬ巨大な手に掴まれたかのように、意思とは無関係に、ゆっくりと、宙へと浮かび上がった!
次いで、彼女は投石機から放たれた石弾のようにスレイアへと突進する! しかし、まさに激突せんとした刹那、天から轟く一筋の雷鳴と共に、彼女の身体は、奇怪に、スレイアの眼前で、ぴたりと、静止した。
スレイアは、微笑んだ。
それは、戯れや残忍さを含んだ笑みではない。一つの……純粋で、一切の不純物を含まぬ、極限まで優しい微笑み。それは慈悲の仮面を被った、死刑判決だった。
その、万物をひれ伏させるほどの笑みも、典獄長の目には、恐るべき悪魔のそれにしか映らなかった。
彼女は顔を背けたいと願ったが、己が身体はとうに己のものではなくなっていたことに気づく。首は動かず、瞼は閉じられず、彼女はただ、強制的に、永遠に、あの完璧な微笑みを浮かべた顔を見つめさせられるだけだった。
世界の、全ての音が、消えた。
天では稲妻が絶えず明滅し、狂った風が魔女の髪を吹き荒らす。だが、典獄長には、その一片の音さえ、聞こえはしない。
全てが、一つの、音のない、滑稽な無声劇へと変わった。
彼女は反射的に口を開き、絶叫しようとした。しかし、その喉から、いかなる音も生まれはしなかった。
死そのものよりも、なお恐ろしい考えが、毒蛇のように、ゆっくりと、彼女の心臓に絡みついていく——
(いったい……私は声を失ったのか、それとも、ただ……世界が、私にとって音を失っただけなのか?)
「怖いかい?」
スレイアの声が、優しく、その耳元で響いた。まるで、この静寂の世界で、彼女が唯一聞くことのできる音であるかのように。
「魔女とは、実に、恐ろしいものですわねぇ~」
スレイアは、相も変わらず、あの慈悲に満ちた微笑みを浮かべている。猩々緋の稲妻が、舞台のスポットライトのように、一度、また一度と、その神聖な横顔を、典獄長の、絶望に満ちた瞳の中へと、映し出した。
「ですが……」
「どうにも、想像がつきませんでしたの……」
「貴様の所業が、私が想像する……いかなる『悪魔』よりも、残忍だとは」
地下牢の、あの、壁と床に封じ込められた、生ける地獄絵図が、スレイアの脳裏で明滅していた。
あの、極限の苦痛に歪む、無数の顔……。
あの、とうに絶望に喰い尽くされた、がらんどうの、黒い眼窩……。
ぽつ……ぽつ……。
瞬く間に、それは土砂降りの豪雨へと変わった。透明な雨粒が、この血色の空を映し込み、まるで血の雨であるかのように、この孤島を洗い流していく。
だが、その血の雨も、ただの一滴たりとも、スレイアの身に触れることはなかった。不可視の魔力障壁が、一つの絶対的な領域となって、彼女の身を包み込んでいた。
スレイアは、自らの精神力で「大」の字に磔にされた典獄長を、優しく見つめ、静かに、問い質した。
「ただ、一つだけ、お前に問う」
「その、残虐の限りを尽くした時、お前は、いったい、『人』であったのか——」
「——それとも、『悪魔』であったのか?」




