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第三話 「水に流された毒」

森の緑と赤の境界線まで来ると、エドはジェイミーに、ある奇妙な境界線の上へ降りるよう合図した。二人が軽やかに地面に降り立つと、目の前には分裂したかの如き、詭譎きけつな光景が広がっていた――森が、一本の正確なラインによって、まるで性質の異なる二つの半身へと無理矢理引き裂かれているのだ。


左側には、葉が金属光沢を放つ冷やかな緑の木々が立ち並び、まるで何かの生きた鉱物で構成されているかのようだった。対して右側には、幹に脈動するかのような発光文様が浮かぶ血のように赤い木々が茂り、不吉な、内なる生命力を発散させている。そして、幽かな蛍光を放つ菌類が集まってできた一本の細い線が、まるでこの二つの怪奇な生態系を縫い合わせる縫合痕のように、地面をうねりながら走っていた。


そして何より重要なのは、ここがグランディ帝国王都、ルカドナ全域における最重要水源の源流であるという事実だ。しかし、この生命の源とも言うべき場所に、なぜか重武装の兵が配備されている気配はなかった。


湿り気を帯びた冷たい空気に、腐葉土の甘ったるい匂いと泥の生臭さが混じり合う。遠くで低い雷鳴が轟き、全てを押し潰すような圧迫感が、間もなく訪れるであろう豪雨の襲来を告げていた。


エドのブーツの爪先が、境界線の泥を削る。彼は不意にその場にしゃがみ込むと、腐葉土を掻き分けた――防水の油布に包まれた、一振りの短いシャベルが現れた。刃には、何かの植物の汁と思しき、青紫色の染みが乾ききってこびりついている。


「これは……?」


「見張りを頼む」


エドは既にシャベルを手に、森の奥へと歩き出していた。二十歩ほど進んだあたりで、一際目立つ赤紋杉せきもんすぎの前で足を止める。その樹皮には、X字型の、気にも留めないほど些細な傷跡が刻まれていた。


シャベルが硬い何かにぶつかる鈍い音に、ジェイミーはぴくりと耳を立てた。エドが穴の中から引きずり出したのは、樹脂で封をされた陶製の壺だった。その表面には、蜘蛛の巣状の亀裂が無数に走っている。


エドはジェイミーに、境界林を抜けて川の方角へ進むよう合図した。やがて、風の音に代わってせせらぎの音が耳に届き始める。二人は、石がごろごろと転がる浅瀬にたどり着いた。要塞の方から流れてくる川の水が、この辺りで緩やかになっている。


エドはそこで足を止めると、懐から漆黒の、掌サイズの陶製の壺を取り出した。壺の表面には古風な文様が刻まれ、触れずとも分かるような、不気味な冷気を放っている。彼が蓋を開けると、中には粘り気のある、まるで流れる星々を内包したかのような深紫色の液体が少量入っていた。嗅いだだけで吐き気を催すような、腥く甘い匂いが、一瞬にして辺りに立ち込める。


「なんだ、この気色悪いもんは……?」


ジェイミーは不快そうに眉を顰め(しかめ)、その金色の縦長の瞳で、壺を警戒するように睨んだ。


エドの視線は、壺の中の液体に注がれたままだった。その瞳に、一瞬だけ複雑な感情が過ぎる。彼は何も答えず、ただ浅瀬の縁まで歩いて行くと、躊躇いもなく壺を傾け、深紫色の液体を澄み切った川の水へとゆっくりと流し込んだ。


僅か数滴が水面に触れただけで、それはまるで墨汁が滲むように、あっという間に拡散していく。それが通り過ぎた場所の川水の色は変わらなかったが、ジェイミーは奇妙な冷気が水蒸気に混じって這い上がってくるのを、肌で感じた。液体は消えたわけではない。目に見える形の暗流となって、川の流れに乗り、急速に下流へと広がっていった。


ジェイミーはこの詭異きいな光景を前に、声を震わせた。


「お前……一体、これを……!?」


エドは壺に再び蓋をし、元の場所へ隠すと、立ち上がって膝についた泥を払った。彼は川の下流、すなわち市街の方角を遥かに望み、まるで天気の話でもするかのような平坦な口調で言った。


「これは、俺が長い時間をかけてこの森で見つけ出した薬草と菌類から抽出した、高濃度の薬液だ。水に触れると薬効が即座に活性化し、水流の魔力を借りて瞬く間に伝播する。致死性はない。ただ、この川の水を飲んだ街の人間を、短時間、深い麻痺状態に陥れるだけだ。効果は、およそ三時間続く」


「深い、麻痺……」


ジェイミーは喃語なんごのように呟き、その手段がもたらす結果と有効性を頭の中で天秤にかけているようだった。彼はエドの冷ややかな横顔を見つめ、まだ不安が拭いきれない様子で囁いた。


「本当に……他に副作用はないのか?」


「ない」


エドは斬って捨てるように言った。


「薬効が切れれば、自然に回復する」


彼はジェイミーの方へ向き直る。月光の下、その両目は二つの冷たい黒曜石のようだ。「これが、時間を稼ぎ、抵抗を減らすための最も有効な方法だ。お前が持ってきた薬では、これほど広範囲への効果は望めない」

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