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第二十四話 「過去への供物」

「あああっ!!!」


短剣が母の首筋の皮膚を破るのを見て、ルグナーの心臓は恐怖に鷲掴みにされ、調子の狂った悲鳴を上げた。


「やめろ……やめてくれ!」


彼は救いの藁にもすがるようにエドの足にきつく抱きつき、その表情は極度の恐怖に歪んでいた。

「旦那様……! どうか、旦那様! 俺が悪うございました! 殺すなら俺を、母だけは……どうか、母だけはお助けください……!」


エドは、足元の懇願を無視した。窒息に苦しむアタナディの歪んだ顔と、地にひれ伏すルグナーの姿を一瞥する。その卑屈な様は、四年前の己と何ら変わりはなかった。

現実と地獄の境界が、彼の脳内で完全に、曖昧になる。


歯の間から、押し殺すような声が漏れた。


「……母を……助けろ、だと?」


彼の視線には、血の色をした嘲りが浮かんでいた。

「かつて、俺も貴様らに同じように懇願した……! 師匠が! タリア姉さんが! 俺も、貴様らの足元に跪き、額を割って、泣き叫びながら懇願した! だが、貴様ら『高貴』な畜生どものうち、誰が足を止めた!? 誰が、ほんの一欠片でも、慈悲を見せたか!?」


骨の髄まで刻み込まれた記憶が、実体を持った殺意へと変わる。アタナディの喉を掴むエドの腕は、過去の怨霊に操られるかのように、ありったけの力を込めて、ぐっと、締め上げられた!

喉の骨が砕け散る寸前の音が響き、彼女の顔は見る間に青紫色へと変わる。


「今更、過ちを悟ったか? この『雑種』に許しを乞い、母を助けろだと? 全く、甘ったるい……反吐が出る!」

エドの声は怒りと嘲りに満ち、アタナディの喉を抑える掌には、更に力が込められる。


ルグナーは狂ったように前へと這い進み、最後の力を振り絞って叫んだ。

「やめろ――!母さんを傷つけるな――!お願いだ――!」


エドはゆっくりと視線を上げ、地に這いつくばるルグナーと正面から向き合った。彼の眼差しに感情はなく、ただ、燃えるように冷たい虚無があるだけだった。彼は、最も静かで、そして最も残忍な声で、この復仇の幕を下ろした。


「味わうがいい……目の前で、肉親が殺されるその痛みを。貴様が、俺に与えた、この痛みをッ!!!!」


ルグナーの絶望の絶叫の中、エドの短剣に、一片の躊躇いもなかった! 彼は手首を鋭く返し、その刃は深く、ためらいなく、アタナディの喉を切り裂いた!


ブシュッ――!

鮮血が、気泡と混じり合いながら、巨大な傷口から噴出した!


「い……いやだ……母さん……母さあああああああんっ!!!」

ルグナーは獣のような、魂を引き裂くほどの絶叫を上げた。


アタナディの熱い鮮血が、命の最後の脈動と共に、血の幕が下りるように、エドの世界そのものを、粘つく深紅色に染め上げた。生温かい液体が彼の両目を覆い、頬を伝って滑り落ちていく。


血の幕の向こうで、あの悪鬼のような歪んだ顔は、一瞬にして、十歳の少年が持つべき、聖性さえ感じさせるほどの、無垢な表情へと戻っていた。彼の瞳から暗赤色と狂気が消え去り、絶対的な静寂が訪れる。

一筋の暖かい陽光が、記憶の暗闇を貫いた。それは、記憶の中で最も柔らかな一角。


師匠が木陰に座り、慈愛に満ちた笑みで手招きをしている。タリア姉さんが、光を背に、氷雪さえ溶かすほどの笑顔で、彼に手を差し伸べている……。それは、彼らがまだ生きていた、聖ポカドス山脈の辺境にあった、あの小さな村での、平和で、穏やかだった頃の美しい光景。


だが、その幻のような暖かさは一秒と続かず、鏡花水月のように掻き消え、後に残ったのは、地獄よりも深い、氷の冷たさと暗闇だった。


ぷつり、と。


エドの全身を支えていた、見えない糸が切れた。


獣の幼子のような、弱々しくも苦痛に満ちた呻きが漏れる。彼は激しく息を吸い込む。まるで溺れた者がようやく水面に顔を出したかのように。

彼は手を離し、命を失った体が、力なく滑り落ちるに任せた。


死んでもなお目を見開くアタナディ。

絶叫し続けるルグナー。

そして、その全てを背に、エドはゆっくりと後ずさった。


彼は、血に濡れた自らの両手を見下ろした。

まるで、それが自分のものではないかのように。


その虚ろな瞳には、何も映っていなかった。

大願を果たした後の達成感も、憎しみが晴れた後の解放感も、何もない。

ただ、地獄よりも深い、氷の冷たさと、暗闇だけが、そこにあった。

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