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第二話 「風の中の対話」

エドはジェイミーの襟首を鷲掴みにし、目の前まで引き寄せた。冷え切った空気の中、二人の呼吸が荒々しく交錯する。片や、驚愕に火傷しそうなほど熱い吐息。片や、刃のように冷たい寒気。


「でなければ、どうするというんだ? このろくでもない戦争を、これ以上素早く終わらせる方法が他にあるというなら言ってみろ」


エドの声は、まるで氷層の下から響いてくるかのようだ。鋭利に研ぎ澄まされている。「お前たち魔族とグランディ帝国が三年もの間、泥沼の消耗戦を繰り広げた所為で、どれだけの同胞がこの終わりなき戦火の中で無駄死にしたと思っている!?」


ジェイミーの瞳孔が、驚きに見開かれた。


エドの声には、抑えきれない怒りがたぎっていた。


「お前たちが、くだらない『名誉』だか何だかに固執し、『卑劣』とされる手段をことごとく拒んできたからだ! その所為で、お前たちの同胞も、一部の罪なき民間人も、犬死に同然に命を散らした! 奴らに国境の村を皆殺しにされ、お前たちの同胞は一人残らず城壁に磔にされて見世物にされたんだぞ!」


ジェイミーの喉仏が、ごくりと苦しげに動いた。頭上の角が暗闇で微かな光沢を放つ。彼は囁くように反論した。


「だが……セリーヌ様は、決してこのようなやり方を――」


「だから、このクソみたいな戦争がいつまで経っても終わらないんだ!」


エドは彼の言葉を鋭く遮ると、一つ冷笑を漏らして手を放した。


「これが、お前たちがこの戦争を本当に終わらせられる唯一の機会だ。無駄にするな」


エドは腰の短剣を抜き、その切っ先で器用に小瓶の木栓をこじ開ける。薬草と何らかの化学物質が混じった、苦いアーモンドのような香りがすぐに立ち込め、鼻腔を強く刺激した。


「安心しろ。致死性の毒薬じゃない」


彼の声は、あのぞっとするほどの平坦さに戻っていた。揺れるジェイミーの瞳を真っ直ぐに見据えながら、続ける。


「これは奴らに幻覚を見せ、四肢を麻痺させて行動不能にするだけだ。命に別状はない」


ジェイミーはその革の小瓶を凝視し、その表情はひどく複雑な色を帯びた。一瞬の沈黙の後、彼は突如として小瓶をひったくる。


「もし、俺を騙していたら……


牙を剥き出しにし、犬歯を覗かせながら、彼は唸る。 「お前の喉笛を、必ず引き裂いてやる」


次の瞬間、彼は深井戸へと身を躍らせた。暗闇の中、その翼が蝙蝠のように大きく広げられる。


ジェイミーは手の中の小瓶を睨みつけた。指先が微かに震えている。苦いアーモンドの香りが、鼻腔の奥まで入り込んできた。


彼の翼が、暗闇の中で落ち着きなく閉じたり開いたりを繰り返し、鱗膜が擦れ合って微かな衣擦れの音を立てる。


「三秒だ」


エドが不意に声を上げた。湿ったレンガの隙間に指を掛けている。


「急げ! 南東の巡回部隊が排水口を通過するぞ」


ジェイミーは小さく息を吐くと、瓶の中の粉末を井戸の中へと注ぎ入れた。


粉末が水面に落ちた、その瞬間。遠くから、鉄靴が石畳を踏む音が微かに聞こえてきた。ジェイミーは薬が溶けるのを見届ける暇さえなく、その蝙蝠のような翼で生臭い気流を巻き起こす。彼はエドの後ろ襟を掴んで宙に舞い上がり、二人は通気口から不意に差し込んできた松明の光を、すんでのところで回避した。


「東の廊下、三番目の分岐路だ」 エドの声が、翼の羽ばたきに混じって響く。 「予備の出口がある」


二人の影が、水たまりの窪みを掠め、そこに巣食っていた吸血ミジンコの群れを驚かせた。水面に広がった最後の波紋が静けさに戻った時、巡回部隊の笑い声が、ちょうど井戸の部屋にまで反響してきた。


ジェイミーの蝙蝠のような翼が、空を切る微かな音を立てて勢いよく畳まれ、二人は崩れかけた外壁の物陰に音もなく着地した。ここから要塞の城壁までは、僅か三十歩ほどの距離。見張り塔で揺れる松明の火が、未だにはっきりと、まるで手を伸ばせば届くかのように見えた。


彼はエドの後ろ襟を掴んでいた手を放す。掌が、冷たい汗でぐっしょりと濡れていた。


「危なかった……」


ジェイミーは声を潜め、まだ息も整わぬまま言った。不安に揺れる彼の角が、微光を放っている。


「さっきの巡回兵が、もし通気口を見上げていたら――」


「まだ、何も終わってはいない」


エドはジェイミーの呟きが聞こえなかったかのように、肩に付着した井戸の苔を払い落とす。そして、不意に北東の方角を指差した。


「ドミールの森へ、俺を連れて行け」


「はぁ!? 今からだと!?」


ジェイミーは驚愕に目を見開き、蝙蝠のような翼が、制御を失ってバサリと半ばまで広がった。その声は信じられないといった響きを帯びている。


「気でも狂ったのか? ドミールの森だと? あそこはグランディの軍用林区だぞ! それに……」


彼は鼻をひくつかせ、空気の匂いを嗅ぐ。 「嵐が来る匂いがする」


エドはジェイミーを冷ややかに見つめ、その視線を要塞の外に広がる深く暗い堀へと移した。その口調は、氷のように感情がこもっていない。


「飛ぶか。それとも、水鬼がうじゃうじゃいるあの堀を泳いで渡るか。選べ」


遠くから、朗らかでありながらも性急な角笛の音が響いてきた。 ――要塞の、衛兵交代の時間だ。


ジェイミーは奥歯を噛み締め、エドの腕を乱暴に引っ掴んだ。


「しっかり掴まってろ!」


翼が全力で広げられた瞬間、風を打つ音と共に生臭い気流が巻き起こる。二人は城壁が落とす影に身を寄せるようにして、まるで弦を離れた矢の如く疾走し、塔から不意に放たれた探照灯の光球を、すんでのところで躱した。


強烈な逆風が、飛行を酷く困難なものにしていた。ジェイミーは背後で、エドの体が不安定な気流の中で弓弦のように張り詰めているのを感じる。眼下の景色が、不鮮明な残像となって流れていく――黒く焼け焦げた訓練場。数人の酔いどれ騎兵が焚火を囲み、魔族の捕虜が使った拷問具を燃やしている。歪んだ炎の光が、彼らの狂宴を照らし出していた。


「一体、森へ行って何をするんだ!?」


ジェイミーは、ごうごうと唸りを上げる風の中で怒鳴った。その声は、夜風に引き裂かれ、ほとんど掻き消されそうになっている。


エドの声が、途切れ途切れに聞こえてくる。風に吹き散らされ、意味をなさぬ音の断片のようだ。


「着けば……分かる……」

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