第十九話 「首なしの侯爵家」
スレイアの顔から、一切の気だるげな表情が消え失せ、代わりに、肌を刺すような冷気が立ち上った。
「セリーヌは、『総攻撃』の合図があるまで、城内でのいかなる死傷も禁ずる、と厳命していたはずですが……」
彼女の声は甘いままだが、その一言一句が、九幽の氷獄から掬い上げてきたかのように冷たい。
「――どの馬鹿者が、命令に背いたのですか?」
スレイアはもう彼女には目もくれず、傍らに控えていた魔導師へと直接命じる。
「レブランカ共を、全員、地下牢へ。厳重に監視しなさい」
彼女は一呼吸置くと、宣言した。
「私が現場へ行きます」
話が終わるか終わらないかのうちに、彼女の姿は一筋の緋色の流星と化し、食堂の天蓋を突き破って、南東の方角へと一直線に飛んでいった。
◇◆◇
緋色の流星が一閃し、スレイアはヘレナ侯爵邸に降り立った。
彼女は、血の匂いが最も濃密に漂う部屋へと、水面のように静かな表情で足を踏み入れた。
「これは……」
彼女は床に膝をつくと、一切の躊躇なく、首なし死体の一つにその手を伸ばし、手首に触れた。まだ残る温もりに、彼女の金色の瞳孔がきゅっと収縮する。
(まだ温かい……死後、一時間も経っていない)
死者の指は、奇怪な形で痙攣し、固く握り締められている。まるで、生命の最後の瞬間に、麻痺した体で必死に何かにもがこうとしたかのようだ。
「死者の身元は?」
彼女は顔も上げず、氷のような声で問うた。
「は……ヘレナ侯爵家のご子息お二人と、その従者四名です」
背後の魔導師の声は震えている。
「た……ただ、奇妙なことに、奥様とお嬢様方は……ご無事で、事件には全く気付かなかったと……」
スレイアはゆっくりと立ち上がり、眉間に深い皺を刻んだ。
(単なる皆殺しではない……明確な目的を持った、精密な暗殺。だが、なぜ男だけを狙う?)
その時だった――
「スレイア様!」
窓から切羽詰まった声が響き、別の魔導師が慌てた様子で飛び込んできた。
「ふ、ファリナ侯爵邸でも……お、同じです! 同様の、首なし死体が! 死者は……死者は、全員、男性です!」
「何ですって?!」
スレイアの言葉が終わらぬうちに、さらに別の報告が続く!
「北地区のオルコット子爵邸でも!」「西地区の……!」
次から次へと飛び込んでくる凶報が、稲妻のように、スレイアの脳内の霧を切り裂いた。彼女は瞬時に悟る。これは、決して偶然などではない。この毒に侵された都の地下では、想像を遥かに超える、底知れぬ陰謀が渦巻いている。
「命令です」
彼女の声には、感情というものが一切含まれていなかった。
「全ての貴族の屋敷を封鎖。生き残りを保護しなさい。特に、貴族本人を!」
「はっ!」
数名の魔導師が命令を受け、去っていく。
スレイアは、最初に現場を調査していた魔導師へと向き直った。
「他に、何か気づいたことは?」
魔導師は意を決したように、一度深く息を吸い込んだ。
「はっ……実は、この部屋の死体六体のうち、三体は……斬首に加え、下半身にも、極めて残忍な損壊を受けておりました。残る三体は……ただ、斬首されたのみで、他に目立った外傷はなく……」
数名の魔導師が命令を受け、去っていく。スレイアは一瞬の猶予もなく、その姿を再び緋色の流星へと変え、空の彼方へと消えていった。
「はぁ?」
スレイアの美しい瞳が、純粋な困惑に見開かれる。彼女は無意識に、ピンクの髪の先端を人差し指に絡め、唇元へと運びながら、小声で呟いた。
「おかしいわね……同じ斬首が目的なら、どうしてそんな余計な真似を? 動機が一致しない……まさか、犯人は一人ではない?」




