第十八話 「緋色の審判」
貴族街、莫大な金銭を積み上げて造られた、悪趣味なまでに豪奢な屋敷の内で。
蒼月魔導団の魔導師たちが、手際よく現場を「掃討」していた。
鎧を纏った私兵たちが、まるで操り人形のように、見えざる念動力によって屋敷の各所から摘み出され、大理石の庭へと放り込まれていく。
その手足には古代ルーンが流れる魔法の枷が嵌められており、身動ぎしようものなら、より一層、肉を締め上げるだけだ。
制御を容易くするため、魔導師たちは体全体の麻痺こそ解いたものの、四肢の脱力状態はそのままにしてあった。
一方、強引に扉が開けられた屋敷の二階、その豪華絢爛な食堂では、さらに目に余る光景が広がっていた。
壁という壁には、けばけばしい金メッキの額縁がずらりと並び、その全てに、この屋敷の女主人の、様々なポーズを取った肖像画が飾られている――どの絵の彼女も、目が眩むほどの宝飾品をその身に纏い、傲慢な表情を浮かべていた。
部屋の中央に置かれた長テーブルは、希少なマホガニーの一枚板から彫り出されたもので、その上には、食器というよりは富の誇示を目的としたような、純金製のカトラリーやゴブレットが並んでいた。
部屋の隅から隅までが、「我は富めり」とがなり立てているようで、しかし、「品性」という囁きは、どこからも聞こえてはこなかった。
スレイアは棒付きキャンディを口に咥え、まるで自家の裏庭を散策でもするように、そのけばけばしい部屋を見て回っていた。
彼女は手近にあった、ルビーが散りばめられた雌ライオンの置物を手に取って重さを確かめ、すぐに元に戻す。
次いで、壁に掛かっていた真珠の首飾りを手に取り、光に透かして眺めていた。
やがて、心底つまらなそうに唇をへの字に曲げ、その顔には隠す気もない、あからさまな嫌悪と侮蔑の色が浮かんでいた。
「チェッ、救いようのない悪趣味ね。こと趣味に関しては、あの見栄っ張りのモネイアラの方が、あんたより百倍はマシだわ!」
彼女は手近にあった俗っぽい真珠の首飾りをテーブルに放り投げ、「からん」と乾いた音を立てさせた。
その視線は、やがて部屋の隅で繰り広げられる、もう一つの「光景」に吸い寄せられる――手足を枷で繋がれ、全身を裸にされた男の奴隷。
骨と皮ばかりのその体には、無数の鞭の痕や火傷の跡が生々しく残っている。一人の魔導師が彼の前に片膝をつき、神聖魔法でその傷を癒やしていた。
そして、ビロードのテーブルクロスが敷かれた長テーブルの主席には、一人の女が背筋を伸ばして座っていた。肩までの長さの、深い藍色の髪。丹念に施された化粧。豊満な体つき。囚われの身となってもなお、貴族としての最後の体面を保とうとしているかのようだった。
スレイアはゆったりとした足取りで、ゆっくりとテーブルへと歩み寄り、まるで芸術品でも鑑定するかのような目で、そのレブランカ伯爵夫人を興味深そうに眺め回した。
「朝食の際にも、傍らに美少年を侍らせるとは。伯爵夫人、ご趣味がよろしいようで」
彼女は蜜のように甘ったるい声で、最も辛辣な皮肉を口にし、相手を見下ろした。
伯爵夫人の顔に一瞬、屈辱の色が浮かんだが、すぐにそれは憤怒へと変わった。
「卑劣な魔族め! 毒を盛るなどという姑息な手ばかり使いおって、恥を知れ!」
パキン!
甲高い音が響いた。
スレイアの口にあった棒付きキャンディが、魔力の一閃と共に、粉々に砕け散ったのだ。
彼女はこてん、と首を傾げ、その金色の瞳を危険に細める。
「ペッ――」
口に残った木の棒だけを、 容赦なく伯爵夫人の足元へと吐き捨てた。
レブランカがその侮辱に顔を歪めた、次の瞬間、その顎を万力のような力で、ぐっと掴まれた。無理やり顔を正面に戻され、スレイアの、完全に笑みの消えた、氷のような顔を直視させられる。
「卑劣?」
スレイアの口の端が、残酷な弧を描く。その声は、悪魔の囁きのように、甘く、そして冷たかった。
「この薄汚い女。てめえごときが、あたしたちに『卑劣』なんてもんを語るのかい?」
スレイアの声は低く、しかし、鋼鉄の重みを宿していた。一言一句が、まるで罪状を読み上げるかのようだ。
彼女はレブランカの耳元に唇を寄せ、まるで恋人に秘密を打ち明けるかのように、低い声で罪状を読み上げていく。
「数ヶ月前の『月蝕の夜』。てめえは守城指揮官の身でありながら、総帥を見捨てて真っ先に逃げ出した腰抜けのクズだ。逃げる前に、部隊に命じて城の民から財産を奪い、私腹を肥やした!」
スレイアは忌々しげにレブランカの顎を振り払った。
「てめえみてえな恥知らずのクズが、どうして今ものうのうと朝食を食っていられるのか、理解できないね。これが我がアルタナス合衆国なら、とっくに『贖罪の祭壇』に磔にされてるよ!」
レブランカはふん、と短く鼻を鳴らした。自らがこれからどうなるか、覚悟を決めたのだろう。彼女はもはや何も言わず、ただ椅子に座ったまま、スレイアが自らの罪を数え上げ、嘲弄するに任せていた。
そのなすがままといった様子の女に、スレイアはもはや言葉を費やす気も失せていた。
彼女は億劫そうに手を振ると、二人の魔導師がすぐさま進み出て、魔法の枷でレブランカを固く縛り上げ、最終的な処分を待たせるため、庭へと連行していく。
その時だった。一人の、顔を真っ青にした女魔導師が駆け寄り、震える声で敬礼し、報告を始めた。
「スレイア様……この屋敷の地下に、牢獄が……。中に、多くの男性が囚われていました……ですが、その、状態が……」
スレイアは目を閉じ、こめかみを軽く揉んだ。
「……もういい。行きなさい」
彼女の声に感情の波は一切なかったが、骨身に染みるほどの冷たさが宿っていた。
「助かる者は、助ける。もし……精神が完全に壊れているか、体が元に戻らぬほど損なわれているのなら……送って差し上げなさい。安らかに」
「はっ……」
女魔導師が命令を受け、踵を返そうとした時、スレイアが不意に彼女を呼び止めた。
「待ちなさい!」
今度の声には、それまでの冷たさの中に、複雑で、言いようのない疲労と優しさが混じっていた。
「遺体を処理する前に、彼らの記憶を読み、身元を割り出しなさい。そして……家に送り返すのです。……もし、家族が真実を受け止めきれないようなら……分かりますね? 穏やかな幻を」
女魔導師は顔を上げ、その瞳には涙が浮かんでいた。彼女は力強く、深く頷くと、今度こそ、地下へと向かっていった。
「はぁ……」
部下の姿が見えなくなって、ようやく、スレイアは長く、重い溜息を吐いた。まるで胸中の鬱憤を全て吐き出すかのようだ。彼女の視線は庭を越え、連行されていくレブランカの後ろ姿に突き刺さる。その金色の瞳には、相手を焼き尽くさんばかりの、隠すことのない殺意が渦巻いていた。
スレイアがちょうど中庭へと向かい、あの伯爵夫人を「尋問」しようとした、その時だった。甲高く、裏返った悲鳴が、食堂の静寂を切り裂いた。
「スレイア様! 緊急事態です!」
若い魔導師が一人、転がるようにして部屋に飛び込んできた。
「も、申し訳ありません、スレイア様!」その魔導師は、辛うじて敬礼の形を取りながらも、声が全く制御できていなかった。「し、しかし……南東地区の、ヘレナ侯爵邸で……わ、私たちが……そこで……数体の……首のない死体を、発見しました……!」
「……何ですって?」
物語の序曲は終わりを告げ、第一章のクライマックスが、今まさに幕を開けようとしている。
英雄の復讐劇、その最初の頂点を、見届ける覚悟はいいか?




