第十話 「悪夢、そして…」
ザッパァァァン――!
轟音と共に、穏やかだった海面が、突如、数メートルの高さの巨大な水飛沫を上げて炸裂した!
やがて、陽光を反射してきらめく水面の下から、数条のしなやかな影が、水を切り裂いて姿を現す。
「ぷはぁ~ッ!」
先頭に立つのは、フィリスその人だ。彼女は、ぐっしょりと濡れた銀色のショートヘアを力強く振り、その完璧な曲線美を描き出す紺色のビキニは、激しい運動で微かに上下する胸に、ぴったりと張り付いていた。
彼女に続き、同じく涼しげな水着を纏った空騎兵団の女性メンバーたちも、次々と水面から顔を出し、互いに水をかけ合って、はしゃいでいる。
「ん? レニは、まだ出てこないのかしら?」
フィリスは顔にかかった海水をぐいと拭う。その鋭い瞳には、悪戯が成功したかのような、興奮の光が揺らめいていた。
案の定、さほど時間を置かずして、押し殺した激しい咳き込みと共に、レニの姿が、ようやく、少し離れた海面から「もがくように」して現れた。彼女の綺麗な水色のポニーテールは完全に濡れそぼり、無様に頬や首筋に張り付いている。普段は一分の隙もないその精緻な顔立ちには、今、心底怯えきった……そして信じられないといった表情が浮かび、ぜえぜえと荒い息を繰り返していた。
「レ~ニ~ちゃ~ん!」
フィリスは、途端に、顔中に「無邪気」な笑みを浮かべると、聞く者が鳥肌を立てるほどわざとらしく、甘ったるい声でレニのいる方角へと呼びかけた。おまけに、大喜びでぶんぶんと手を振っている。
その「親しげな」呼び声を聞いて、レニの体は、まるで見えない稲妻に打たれたかのように、びくりと激しく震えた!彼女は、ゆっくりと首を巡らせ、引きつった表情で、こちらへ泳いでくるフィリスを睨みつけた。
(……悪魔だ……この女、悪魔よ!)
今のレニの目には、笑顔の眩しい「空の女王」など映ってはいない。ただ、深海の魔獣よりも遥かに恐ろしい、美しい皮を被った、人を楽しんでからかう……悪魔の姿だけがあった!
「ふぃ、フィリス様……」
レニは、まだがくがくと震える足で、どうにか立っていた。彼女は一つ深呼吸をすると、ほとんど哀願に近い涙声で、いち早く白旗を上げた。
「わ、私は、もう……もう、ダメです……お、お願いします、どうか、ご慈悲を……あ、あの、『地獄谷のディープダイブ』だけは……わ、私、もう、一生、乗りたくありません……うぅ……」
最後には、本物の嗚咽まで漏らし、明らかに、心底、打ちのめされていた。
「ん? レニちゃん、何を言っているの?」
フィリスは、無垢で不思議そうな瞳を瞬かせ、まるでレニがなぜこれほど「取り乱して」いるのか、全く理解できない、といった様子だ。
「私はただ、この辺に、何かお腹を満たせる場所はないかなって、聞きたかっただけよ? すごく楽しかったけど、これだけ高強度の『娯楽』をこなせば、みんな、お腹もペコペコでしょう?」
「えっ!? も、もう、遊ばないのですか!?」
レニは、ほとんど自分の耳を疑った。その声は、驚きのあまり上ずっている。
「当たり前じゃない!」
フィリスは、さも当然といった口調で言った。
「そうですわね! 時間も時間ですし、皆さん、きっとお腹を空かせていますわよね! で、では……ぜひ、わたくしにご案内させてください! グルメストリートへの近道を知っておりますの!」
今のレニは、顔こそ満面の笑みだが、よく見ると、その目尻には、まだ乾ききっていない、嬉しの涙が、一筋残っていた。
ビーッ!ビーッ!ビーッ――ビーッ!
最高レベルの警報を示す、鋭く、けたたましいブザー音が、何の兆候もなく、レニの左腕から、突如として炸裂した!
レニの顔から、笑みが、一瞬で凍りついた。彼女の表情が引き締まり、手首の、それまで何もなかったはずの皮膚表面から光学迷彩がさっと消える。その下から、微かな青い光を放つ薄型のハイテクアームガードが姿を現した。
彼女は、通信パネルで赤く点滅し続ける警告カーソルを素早く押し込んだ。次の瞬間、先程のあの機甲部隊メンバーの、ひどく焦った様子のホログラムが、アームガードの上方に投影される。
「レニ副統領!緊急事態です!特級セキュリティ案件が発生しました!」
ホログラムのメンバーの声は、あまりの切迫感に、僅かに歪んでいた。
「エド・ウォーカーの精神治療を担当していた専属医療AIが、所属不明の違法プログラムによるハッキングを受けました!その影響は、一時、『ポリン』システムの中央ターミナルにまで及んだ、とのことです!」
「何ですって――!?」




