第十二話 「眠れる鳥籠」
「突撃ィィィッ!!!」
カイエンの咆哮が、総攻撃の号角となった。妖狼族の大軍が、決壊した怒涛のようにグランディ王都の城門へと殺到した。
しかし、彼らを迎えたのは、死のように静まり返った街だった。
「……どういうことだ?」
大通りにも、市場にも、無数の住民が折り重なるように倒れている。魔族の兵士たちは顔を見合わせる。その手に握られた刀剣が、急にひどく場違いなものに思えた。不安げな囁きが、部隊の中に広がっていく。
高空の上、セリーヌはこの奇怪な光景を見下ろし、その紺碧の瞳を僅かに細めた。彼女は躊躇なく急降下し、倒れている老人の傍らに降り立つと、素早くその手首を取り、一筋の精純な魔力を送り込んで、その生命兆候を探った。
その時、一体の魔竜が急降下し、セリーヌの傍らに音もなく着地した。銀髪のエルフ騎士、フィリスが竜の背からひらりと舞い降りる。
「セリーヌ様!」
セリーヌは彼女を見て、厳粛な面持ちで尋ねた。
「状況は?」
「はい!城内の人間は全て、同様の昏睡状態に陥っています!中毒によるものかと。一部の年配者には、すでに呼吸不全の兆候が見られます!即刻、スレイア公爵の『蒼月魔導団』による医療支援を要請すべきです!」
「分かったわ」
セリーヌは頷いた。
「カイエン!」
「はっ!」屋根の上に控えていたカイエンが応える。
「妖狼部隊は、直ちに王宮へ向かい、女王ベレラを制圧せよ!」
「御意!」
命令一下、妖狼部隊は屋根から屋根へと軽やかに飛び移りながら、王宮へと向かっていく。
「フィリス!」
「はっ」
「空騎兵団を動員し、衰弱している者たちを直ちに城内各所の広場へ運べ。私は自らスレイアを連れてくる!」
「承知しました!」
セリーヌの姿は一瞬でその場からかき消えた。後にはただ一陣の微風が、この死のように静まり返った街区を吹き抜けていくだけだった。
◇◆◇
ルカドナ南東郊外の森は、真夏の太陽に無慈悲に照りつけられていた。陽炎で遠くの景色は歪み、木々の間から聞こえる蝉の声さえ、どこか力ない。
『緋紅の災厄の魔女』スレイア・フォン・クラウアーが、白地に金の縁取りが施されたブーツで、ひび割れた焦土を苛立たしげに蹴っていた。酷暑のせいで、彼女の華麗なローブは肌に張り付き、豪奢なピンク色のロングカールも心なしかしなびて見える。
「もうっ……セリーヌは何をやってるんですの!このままでは、お肌がバリバリになってしまいますわ……」
彼女はぷっくりとした唇を尖らせて不満をぶちまける。その後ろでは、二千名の「蒼月魔導団」が、静かな青い森のように微動だにせず直立していた。
彼女は愛おしそうに指先で自らの滑らかな頬を撫で、まるでそこに恐ろしいシミでもできてしまったかのように眉をひそめた。ふと、彼女は何か絶好の悪戯を思いついたように、その口元に危険で、悪戯っぽい弧を描いた。
彼女はすらりとした玉の指を伸ばすと、空中で優雅に、そして目にも止まらぬ速さで、一連の複雑な氷系統のルーンを描き出した。
轟音――!
高さ数十メートルにも及ぶ、壮麗な氷晶の巨門が、地面からせり上がり、焦土の上にそびえ立った。
「あら、うっかりちょっと力を入れすぎましたかね~」
彼女は首を傾げ、ぺろりと舌を出して、わざと無邪気な表情を作った。
巨門の内から吹き出す涼やかな風は、一瞬にして、その場にいた全ての魔導師に、まるで氷の洞窟にいるかのような爽快感をもたらした。スレイアは怠惰な猫のように目を細め、心地よさそうに体を伸ばす。その喉からは、満足げな軽い鼻歌さえ漏れていた。
「スレイア様」
氷のように冷たい声が、背後から聞こえた。彼女が振り返ると、彼女の副官――肩までの赤髪と、瑪瑙色の縦長の瞳を持つ少女――が、恭しく礼をしていた。その少女はすぐに遠くの空を指差す。
「セリーヌ統帥、当方面へ“単独”で高速接近中です」
「……はぁ!?」
スレイアの顔から、心地よさそうな表情が瞬時に凍りついた。そのピンク色の長髪は、驚きのあまり逆立つほどだ。
「待って!セリーヌが一人でですって!? 今頃は王都で攻城戦の指揮を執っているはずでは?!やば、やばいです!怒られます!」
彼女は慌てふためいて両手を振り回し、あの派手すぎる氷晶の門を解除しようと試みる。だが、焦れば焦るほど、魔力の制御は乱れていく。指先がめちゃくちゃに描いた解呪のルーンが一瞬歪み、その直後――
ドォォォン!!!
巨大な氷晶の門が、耳を聾するほどの轟音と共に、木っ端微塵に爆ぜ飛んだ!
満天の氷の欠片が、さながら盛大なダイヤモンドの吹雪のように、太陽の光を受けて億千万の細かいきらめきを放ちながら、はらはらと舞い落ちた。




