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第十一話 「邂逅」

……セリーヌは指揮所の地図の前に座り、いかにして血を流さずにグランディ要塞を攻略するか、頭を悩ませていた。


その時、幕の外からカイエンーの声が聞こえた。

「セリーヌ様、野営地の外で挙動不審な人間の少年を捕らえました」

セリーヌは顔を上げず、ただ淡々と応えた。

「中へ」


天幕がめくられ、カイエンが十歳ほどの人間の少年を連れて入ってきた。少年は黒髪で、ぼろぼろの服をまとい、両手は魔法の鎖で後ろ手に縛られている。彼は無表情で、頑固そうに唇を歪めていた。


だが、彼が顔を上げ、その視線が地図の前に立つセリーヌを捉えた瞬間、まるで見えざる稲妻に打たれたかのように、その場に凍りついた。強情そうな鳶色の瞳が初めて焦点を失い、ただ呆然と、彼女の姿を映していた。


セリーヌはようやく顔を上げた。指揮用のペンを置くと、目の前で突然“固まってしまった”少年を、少し不思議そうに眺める。


(この子……間抜けな顔)



「コホン」

セリーヌは軽く咳払いをし、歩み寄って問いかけた。

「人間が何用でここへ?ここは魔族の軍営だ。死にたくなければ、すぐに立ち去るがいい」


少年は金縛りにでも遭ったかのように、ただ呆然とセリーヌを見つめるばかりだ。



「おい」

カイエンが痺れを切らしたように促した。

「話してみよ」


少年ははっと我に返ると、慌てて口を開いた。

「わ、私は、魔族の統帥様に、ある事をお知らせしに参りました。それだけ話せば、すぐに立ち去ります」



「よろしい、話してみよ」

セリーヌは、目の前の少年に敵意がないことには気づいていた。だが、彼のこの奇妙な態度は、おそらく陣中の誰か女魔族に一目惚れでもして、こっそり後をつけてきたのだろう、と推測した。運が良ければ、その女性の召使いにでもなりたい、といったところか。


意外なことに、少年は何も言わず、ただ背を向け、魔法の鎖に縛られた両手を、もどかしげに動かした。


セリーヌは微かに笑うと、軽く指を鳴らす。すると、魔法の鎖は、たちまち掻き消えた。


「ふぅ……」


両手を解放された少年は、安堵したように腕を軽く振り、感謝を示すように、僅かに頭を下げた。


セリーヌは軽く手を振ってそれに応えると、少年を見つめ、静かな声で言った。

「話しなさい,何の用かな」


しかし、少年が発した次の一言は、まるで雷鳴のように、セリーヌの思考を完全に停止させた。


「一ヶ月後、ルカドナの城門は開かれる。その時、魔族は、グランディ帝国を攻めずして勝利するでしょう!」


セリーヌの眉根が瞬時に寄せられた。彼女は少年の自信の裏に何らかの根拠があるはずだと判断し、椅子へと戻り深く腰掛ける。

「ほう……では聞かせてもらおうか。城門は、一体どう『開かれる』?」


エドは無意識に顔を背け、セリーヌの直視を避けた。

それは罪悪感や恐怖からではない。

ただ、あの細長く、紺碧の瞳が、あまりに澄んでいて、あまりに美しすぎたせいで、憎悪に満ちているはずの彼の心臓が、場違いにも激しく高鳴り、直視することを許さなかったのだ。

エドはごくりと唾を飲み込み、高鳴る心臓を無理やり押さえつけ、言葉を選びながら、慎重に答えた。


「統帥殿、詳細をお話しする必要はありません。あなたはただ、一ヶ月後、ご自身の軍隊を率いて、門が大きく開かれたルカドナの城を、受け取りに来てくださればいい。そして、そのまま長駆直入し、グランディの王都を踏み潰すのです」


セリーヌは静かに首を横に振ると、低く笑い出した。その笑い声は銀の鈴のようでありながら、刃のような冷たさを帯びている。


エドの立場は、ますますきまりが悪くなった。彼女の笑顔は、息を呑むほど美しく、致命的な引力を持っていた。



セリーヌは、自分が笑っただけで耳まで真っ赤に染めて視線を逸らす少年を見て、内心で結論づけた。

(なるほど……虚勢を張っているだけの、小さな嘘つきか)


彼女はもはや問い質す気も失せ、淡々と命じた。

「カイエン。この子を野営地の外まで送りなさい」


それは紛れもない追放命令だった。カイエンがエドを連れ出そうとした、その時――

「はは……ははははは……」


少年が、突然大声で笑い出した。その隠しようもない嘲りに、セリーヌの眼差しが瞬時に冷たくなる。

「何を笑っている?」


エドは彼女に背を向け、侮蔑に近い口調で言った。

「笑うに決まっているでしょう。ただ思いもしなかったのです、数ヶ月前にグランディのグロリア公爵を散々に打ち破った魔族の統帥が、これほど臆病な方だったとは」


「小僧、貴様!」

カイエンが怒声と共に詰め寄ろうとしたが、セリーヌが軽く手を振って制した。


「少年よ、最後の機会だ」

彼女の表情は氷に戻った。

「こちらを向き、私を納得させる答えを言え。さもなくば『叩き出して』もらう」



しかし、エドは振り返らなかった。ただ背を向けたまま、静かに語り始める。


「申し上げた通り、グロリア公爵は敗走しましたが、グランディの女王は今も搾取を強め、王都の守りを固めている。もっとも、いるのは享楽に耽る無能ばかりですが」

彼はふっと鼻で笑った。

「それでもなお、あなた方が力攻めをすれば、ルカドナは屍の山となり、民が心服することはない。結局は高圧的な政策で不和の声を消し去るだけ……違いますかな、統帥殿?」


(この少年……)

セリーヌの口元に、知らず知らずのうちに、賞賛と困惑が入り混じった笑みが浮かんだ。

(私の懸念を、一言で……。だが、なぜ頑なにこちらを向かない?)


「では」

彼女は頬杖をつき、興味深そうに少年の背中を吟味した。「その『攻めずして勝つ』策、聞かせてもらおうか。魔力も持たぬそなたが、どうやって城門を開くと?」


「それは私が考えるべき事柄です」

エドは自信たっぷりに言い放った。


「ふん……信用する根拠は?我らを誘い込む罠ではないのか?」


「ご冗談を、統帥殿」

エドの声には笑みが含まれていた。

「あなたの黒竜や魔導師軍団を相手に罠を?自重して城を灰にしないでくれるなら、こちらが感謝したいくらいですよ」


セリーヌは一時言葉を失った。彼女は単刀直入に尋ねた。

「そなた、何をするつもりだ」


「あなたが知る必要はない。あなたはただ、一ヶ月後に結果を見届ければいい」

エドは立ち去る素振りを見せた。


「何を根拠に信じろと?」

セリーヌの声が険しくなる。


「あなたに、他に選択肢が?」

エドはようやく振り返ったが、前髪の影がその目を覆っていた。

「道は二つだけ。ルカドナを火の海に変えるか。あるいは、一ヶ月後、勝利者として正門から入城するか」

彼は一礼した。

「そろそろ失礼します」



「待て!」


セリーヌの声が、見えざる枷のようにエドをその場に縛り付けた。

「少年、名を名乗れ」

彼女は椅子から立ち上がり、一歩、また一歩とエドに近づく。


「エド・ウォーカー」

彼女の足音と甘い香りに、エドは緊張で唇を舐めた。傍らのカイエンは、面白そうに目を閉じ、観客に徹することにした。


「エド・ウォーカー……」セリーヌはエドの背後に立ち、彼を見下ろした。「そなたの行いは、同族への裏切りだ。自覚はあるのか?」


「あるからこそ、一人で来たのでしょう」

エドは軽く笑った。

「それに比べれば、城の民の方が心配です。グランディの暴政に、あと一ヶ月も耐えねばならない」


「我らが人間を虐殺する恐怖はないのか?」

「そうなっても好都合やもしれません。搾取される世界で生き永らえるより、死んだ方が解放される」

言い終えると、エドはくるりと背を向けて一礼し、立ち去ろうとした。


「動くな!」

エドが立ち去ろうとした瞬間、セリーヌが鋭く命じた。

「顔を上げよ。何を俯いている。私を見ろ!!!」


エドの心臓が口から飛び出しそうだった。彼女がすぐ近くにいる。その香りが全身を熱くする。

「顔を上げて私を見ろと言っている!!!」

セリーヌは声を荒げた。


しかし、少年が顔を上げた後、その表情は嘲るようなものに変わり、口の端を歪めて冷笑した。


「あなたのようなおばさんの顔に、何か見るべきものでもあるのですか」

言い放つや否や、彼はセリーヌが固まり、威圧が揺らいだ一瞬を突き、束縛を振りほどいて天幕から逃げ去った。

後に残されたのは、石化したように立ち尽くすセリーヌ一人……。



◇◆◇


「誰がおばさんですって――!!!」


羞恥と憤怒に満ちた金切り声が、誰もいない砕石の谷に響き渡った。

「確かに年は取っています!ですが、この見た目のどこが老けているというのですか!?あぁん!?」


叫び終えてから、セリーヌははっと我に返り、慌ててあたりを見渡した。幸い、谷には誰一人いない。

「ふぅ……」

彼女は長いため息をつくと、忌々しげに拳を固く握りしめた。


「全てあのクソガキのせいよ……!次に会ったら、絶対に吊るし上げてやるんだから!」


彼女はその場でぷんぷんと怒っていたが、やがて本来の用事を思い出したかのように姿を消した。後にはただ、微かな香りが残されただけだった。

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