第十話 「出擊」
バサッ……バサッ……
砕石の谷の上空で、ジェイミーの蝙蝠のような翼が、焦燥に駆られるように空気を打つ。
彼の足元の谷間では、潜伏する魔族の大軍もまた、逸る気持ちを抑えかねていた。だが、岩のように動かぬ副官カイエンと、さらにその先、瓦礫の山に一人、槍のように真っ直ぐ立つ統帥の姿を捉えると、彼らは沈黙の中で命令を待ち続けた。
「セリーヌ様……」
銀髪のエルフの女性がセリーヌの傍に早足で近寄った。彼女の胸で、利剣と十二の星辰が刻まれた勲章が微かに揺れる。最高の栄誉である『十二王騎』が一人、フィリスだ。
「夜明けから今まで待ち続けていますが、合図がまだ……」
彼女の胸で、利剣と十二の星辰が刻まれた勲章が呼吸に合わせて微かに揺れる。それは彼女の最高の栄誉である「十二王騎」の証だ。
「落ち着きなさい、フィリス」
セリーヌは振り返ることなく、、軽く手を上げた。
「あと半刻待つ。それでも合図がなければ……」
その言葉が終わらぬうちに、セリーヌは何かを感知したかのように、鋭くルカドナの方角へと顔を向けた!
時を同じくして、上空のジェイミーからも、興奮した叫び声が上がった!
「統帥様!狼煙です!」
見れば、遥か彼方の城壁の上、一本の黒い煙が、細いながらも、揺るぎない意志で天へと真っ直ぐに昇っていた。
セリーヌは深く息を吸い、腰の剣に手を添えた。背後の純白のマントが、風を受けて激しく音を立てる。
次の瞬間、彼女の冷たく、しかし威厳に満ちた声が、谷全体に響き渡った。
「全軍に告ぐ!カイエン!」
「はっ!」
「先鋒部隊を率いて正面から城門を強襲せよ!民間人を傷つけるな、命令に背く者は斬る!」
「はっ!」
カイエンは騎士の礼をすると、配下で最精鋭の妖狼族千名を率い、一本の銀の稲妻となって谷の最奥へと消えていった。
「フィリス!」
「はっ」
「空騎兵団を率いて後方へ回り込み、主城の指揮系統を断ち切れ!」
「承知!」
フィリスが短く応えると、彼女と、彼女が率いる“不死空騎兵団”の精鋭たちが一斉に左腕を掲げた。腕甲に【魔導駆動器】嵌め込まれた【龍魂晶石】が紫の光を迸らせる!
「魔獣駕馭――デストラゴン!」
古の呪文と共に、九つの巨大な影が螺旋を描いて天へと駆け上り、空中で九体の魔竜へと姿を変えた。先頭に立つのは、全身を黒曜石の鱗に覆われた双頭の巨竜。その威圧感は、まるで呼吸する闇の山脈だ!
天空中,九名の空騎士が竜の背に跨ると、フィリスは長槍を高々と掲げた。
「姉妹たち、我らが統帥様に勝利を捧げる時です!」
咆哮と共に、双頭竜は一本の黒い稲妻と化して空の彼方へと消え、残る八体の竜もそれに続いた。
空に遠ざかる九つの影を見つめ、セリーヌは背後のジェイミーに命じた。
「ジェイミー、斥候部隊を率いてフィリスを追え。戦況を常に監視し、報告を」
「はっ!統帥様!」
ジェイミーたちが飛び去っていく。
「ああ、そうだ」
「すぐに手練れの者を一人、ルカドナ城の南東にある多米尔の森へ向かわせ、スレイアに、そのまま待機せよと伝えさせなさい」
「承知しました!」
ジェイミーの斥候部隊は命令を受けると、素早く翼を広げ、谷から飛び去っていった。
セリーヌは再び振り返り、一人ルカドナの方角を凝視する。その表情は、再び厳粛なものへと戻っていた。彼女はエドが水源に毒を投じたやり方を、心の底では賛成していなかったが、事ここに至っては、静観するしかない。
(あの子の動機は、一体何なのかしら……)
セリーヌは目を閉じ、軽く眉間を揉む。彼女の思考は、知らず知らずのうちに、エドと初めて会ったあの日に引き戻されていた……




