第三幕2
学院中央の大講堂。天井の高い空間に、魔力を帯びた空気がゆるやかに流れている。
真ん中には、大きな水晶のような宝石を中心にした魔導装置が鎮座し、生徒たちは順番にその宝石へと手をかざしていく。
魔力の高い者であれば、強く光るという至ってシンプルな仕組みだ。
「おっ、次はあの子か……」
「昨日の模擬戦で、あのセイランの魔法を斬ったやつだろ?」
「すげー動きだったよな。やっぱ凄い魔力なんだろうな」
ひそひそ声が飛び交う中、名を呼ばれたソウシが一歩、前へ出た。
その背筋はまっすぐ。表情に迷いも気負いもない。
ただ、周囲からは、教師生徒問わず、好機や脅威といった様々な視線が向けられていた。
「じゃ、頑張ってこいよ、ソウシ」
「……うん、ありがとう、フェイ」
背後からひょいとフェイが肩を叩くと、一言残し、ソウシは壇上へと上がる。
大講堂中の注目が集まる中、ソウシは宝石の前に立ち、ゆっくりと右手をかざす。
――シーン……。
いや、静寂ですらない。ただの無だった。
反応は、一切なし。魔法陣の淡い光も、起動音も、微動だにしない宝石の沈黙が、辺りに広がる。
「……測定不可?」
教師が思わず声に出したことで、沈黙してた場がざわつきはじめる。
そんなはずはない、この世界で魔力の無い者なんていないのだからとか、小さな声が囁かれる。
「も、もう一度お願いします!」
懇願するように叫ぶ教師に、ソウシはふたたび手をかざした。
だが、結果は同じ。ほんのわずかの光すらちらつかず、測定不能を示す赤い結晶の色だけが、いやに現実的だった。
「ま、魔力ランク外……!? そんなバカな……!」
手元の記録用紙に『判定不能』と書く手が震える。
先生のうろたえと同時に、周囲の生徒たちのざわめきがどっと大きくなる。
「え、魔力量ゼロってこと?」
「だけど、昨日の動きって魔力のない奴の動きじゃないぞ」
そんな言葉が飛び交っていた、その瞬間だった。
ドンッ!
鋭い水の魔弾が、突如としてソウシの背中へ飛来した。
それは、被弾したとしても軽く濡れる程度の小さなものであったが、僅かに込められた殺気にソウシの身体は一瞬で反応していた。
鞘から半ば抜かれた刀が、空気を裂き、水弾を真横一文字に切り裂き。
ばしゃん、と水の粒が霧状に散る。その一撃は、まるで風のように無駄がなかった。
「なんだ、今の」
唖然とする教師。
生徒たちは息を呑み、その場が一気に凍りついた。
「おっと、悪いな。遊んでたら手が滑っちまったぜ」
「ザカリ=グレイン! 何をしているんですか!」
「先生、そんなにカッカしないでくださいよ。ただの魔法実習ですよ? ……ちょっと失敗しただけ。ね、ほら、無傷みたいだし」
ニヤリと現れたのは、赤黒い髪を無造作に逆立てた少年。
制服の上着は適当に羽織られており、胸元ははだけ、耳には艶のない黒曜石のピアスが揺れる。
その目元には、夜に溶けるような薄笑いと、他者を試すような冷たい光が浮かんでいた。
「不意打ちとは、関心できませんね」
ソウシは凛とした声で言った。
背筋を伸ばし、刀を静かに納める仕草すら無駄がない。その態度が余計にザカリの気に触る。
「だから滑ったって言ってるだろ? ……しかし、噂の編入生様がまさかの魔力なしとはな。おそれいったぜ」
ザカリは肩をすくめ、わざとらしくため息をついてみせる。
その目には明らかな嘲笑と、「面白くなってきた」という好奇心が滲んでいた。
「ザカリくん、これは……これは装置の不具合かもしれません! 滅多なことを言うものではありませんよ。魔力のない人間など、いるはずがありません!」
魔力測定器のそばで、担当教員が額に汗を浮かべてソウシと装置を交互に見つめる。
動揺が隠しきれず、必死に場を収めようとするその姿を、ザカリはあくまで興味なさそうに見下ろす。
「へぇ、ふぅん……ま、どっちでもいいけどさ。どうせ使えないなら、魔力があろうがなかろうが興味ねぇ」
吐き捨てるようなその声に、周囲の空気がピリリと張り詰め。
その瞬間、静かに一歩、前に出る者がいた。
「師に対して、その口の利き方は感心しませんね」
ソウシだった。
声音は低く、怒鳴るでもなく。ただ静かに、しかし確かに空気が引き締まった。
その言葉に、ザカリは振り返ると口の端を吊り上げた。
「へぇ? 説教かよ、編入生。魔力もねぇくせにずいぶん威勢がいいじゃねぇか」
「力の有無と礼儀は、関係ありません。あなたは、間違っています」
目をそらさず、真正面から見据える。
刃を抜くでも、手を伸ばすでもなく、ただその眼差しだけが、鋭く強い。
ザカリはしばらく黙って睨み返していたが、やがて、面白そうに鼻で笑った。
「……フッ、やっぱ面白ぇよ、お前」
口元に不敵な笑みを浮かべると、ザカリはくるりと背を向けた。
「ま、今日はこのくらいにしといてやるよ。測定器が早く直るといいな」
そう言い残して、彼はゆっくりと取り巻きの生徒と共にその場を離れていく。
ざわつく生徒たちの中で、ソウシはひとつ静かに息を吐いた。
背後では、フェイが「おお、かっこよ……」と小声で感嘆していたが、それにソウシは肩をすくめ。
「え、えーっと! こ、これは……完全に装置の故障ですね! 本日の測定はここで打ち切ります!」
教師が声を張り上げて宣言する。
動揺を隠しきれないまま、それでも場を収めようと、手を振って次の生徒たちを制するように促した。
「皆さん、今日はこれで解散してください。再測定の予定は、後日こちらから連絡します!」
どよめきと不満の声が混じる中、生徒たちは次々に席を立ち、ざわざわと講堂を後にしていく。
だが、教師の視線だけは、最後までソウシの姿を見つめたままだった。
魔力ゼロと測定されたにもかかわらず、水弾を一刀のもとに断ち切った、彼に対する疑念と興味は、確かな炎となって、学院中に広がり始めていた。
測定が打ち切られ、生徒たちがざわめきの中で講堂を後にする。
その最後尾、ソウシは静かに扉をくぐった。
外はまだ昼過ぎの光が柔らかく差し、校舎の影が芝生に長く伸びていた。
扉の脇で待っていたフェイが、見つけるなり駆け寄ってくる。
「おつかれ、ソウシ。……びっくりしたよ、さっきの。あれ、本当にゼロだったのか?」
「どうだろう……」
その声に、足元を木の枝を咥えた黒猫がぬるりと横切った。
猫は途中で立ち止まり、金色の瞳で二人を一瞥し、再び茂みに消えていく。
ソウシは肩を軽くすくめた。
「測定不能ってのが、ゼロを意味するなら……そうなんだろうな」
「でも、おかしいんだよ。水晶は確かに光ってなかったけどさ、先生達が言ってたんだよ。波がなかったって。何も感じなかったのに、確かに反応はあったってさ」
「……どういう意味だ?」
「普通、魔力量が少ない人は光も不安定なんだよ。濁ったり、揺れたり。でも、お前のは違った。真っ直ぐで、透き通ってたって。まるで刃みたいだったって」
フェイは笑った。飾り気のない、まっすぐな笑顔で。
「刃……そうか……」
「やっぱ、あんた変わってんな。よし、決めた! 朝から思ってたけど、すげー、気に入った。今日から親友ってことで、よろしくな、ソウシ!」
少しの間、ソウシはその目を見つめた。
どこまでも真っ直ぐな目。打算も、計算もない。
胸の奥に、懐かしい何かが揺れる。やっぱり、どこか藤堂平助に似ている。
「……ああ、よろしく頼む。フェイ」
フェイの顔がぱっと明るくなる。
「よし! 今度、寮でうまいパンの焼き方、教えてやる。あと、こっそり俺んちの魔法鍋も使わせてやるからな!」
「期待してるよ」
二人の笑い声が、昼下がりの静かな空気に、ふわりと溶けていった。