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第三幕1 『始まりの朝』

 ソウシは、その朝、木造と魔導技術が融合した不思議な天井を見上げながら目を覚ました。

 木の香りが漂う部屋だが、明らかに武家屋敷の和室とは違う。

 そこは魔法学院の学生寮の一室。昨日まで鼻孔をくすぐっていた畳の青い匂いも、刀の重みを伝える床板の軋みも、火薬と土の混ざった戦場の匂いもない。代わりに、薄荷と魔力触媒が混ざった甘い香りがほのかに漂っていた。


「賑やかだな」


 窓やドアの向こうから聞こえる賑やかな声を耳にし、京都の屯所で過ごした日々を思い出しながら、ソウシは上体を起こし、室内を一瞥する。

 壁に埋め込まれた魔導ランプ、風を通す魔法窓、自動整頓機能つきの収納棚。何もかもが新鮮で珍しい仕様だが、驚きより受け入れるほうが早いのは、我ながら順応力が高すぎると思っていた。

 もしかすると土方が色んな南蛮渡来の品を


 机を見ると、昨夜借りた上質紙と羽根ペン。そして棚には、薬学科で使う小瓶が五つ。『水応粉』『香油』『魔粒砂』などと見慣れない文字でラベルが貼ってある。

 不思議なことにソウシは、その文字を見たことがなかったが解読でき。手に取り中身を確認すると、やっぱりと笑顔を浮かべた。


 ――刀の手入れでもするか。


 鞘から菊一文字則宗を抜き、まず、柔らかな布で刃をひと拭き。戦で浴びた名残の気配をぬぐい取るように、ゆっくりと、根から切っ先まで丁寧に。

 そして畳んだ布の上に静かに横たえる。

 次に取り出したのは水応粉。

 何の粉かは正直ソウシには分からないが、打ち粉に良く似た白い粉で指で触れると湿気を吸い取るのが分かる。

 刃全体に白い粒子を軽く振れば、汚れや微細な錆を共に浮かせあげ、刃の背から刃先へ拭うのに合わせ粉は瞬く間に小さな霧となって消えた。


 香油も馴染みあるものではないが、こちらはかつて使っていたものと大差ない。粘度の低い琥珀色の油を布に含ませ、刃紋に沿ってゆっくりと伸ばしていく。

 違いがあるとすれば、微かに残っていた血の香りを消し、変わりにどこか懐かしい白梅の香を匂わせたことだろうか。

 ソウシが思わず口元を綻ばせると、油が触れた部分はわずかに淡金色に光り、まるで刀が目を覚ましたようだった。


 最後は魔粒砂を指の腹でそっとまぶし、砥石の代わりに細かな傷をなぞって消し。

 鞘に納めるとき、刀は満足そうに澄んだ音をわずかに立てた。


 ドタドタドタ――!


 騒がしい足音が廊下を突き抜け、扉が勢いよく開かれる。


「ようっ、新入り! 迎えに来てやったぜ……って、もう起きてんのか?」


 声の主は、栗色の髪が跳ねた快活な少年。二十歳前後、制服の胸元は早くもネクタイが曲がり、瞳だけが人懐こくキラキラしている。


「誰だ?」

「おう! 俺は、フェイ=トード。クラスは君と同じだ! 昨日の模擬戦、すごかったなー! バッサリ!」

「トード……?」

「フェイって呼んでいいよ。で、君の名前は?」

「沖……ソウシ=オキタだ」

「ソーシ! ソーシだな~。よろしくな!」


 どこか旧き時代の藤堂平助を思い出させるその青年は、にこにこと興味深そうにソウシを頭から爪先まで遠慮なく眺める。


「なにか?」

「いや、それって着物っていうんだろ。珍しい服だしさ。それに刀だろ? 実戦用? 儀式用じゃなくて? 触っていい? あ、触らないよ? え、でも触っていい?」

「落ち着け」


 ソウシは少し呆れつつも柄に手を添え、その熱量に微笑を浮かべた――が、次の瞬間、ふと目を細める。


「……その言い方。刀を知っているのですか?」


 この世界ではまだ誰にも訊かれなかった問い。それを当然のように口にしたフェイに、ソウシは思わず問い返していた。

 するとフェイは「あー」と頭をかきながら軽く笑った。


「うん、まあ。俺のじいちゃん、昔から世界の歴史とか文化を調べててさ。世界中の古い道具とか服とかの資料、本とかいっぱい持ってるんだよ」


 そして、指を立てて続ける。


「ヤクモって国の話なんだけどさ。そこの戦士は、腰に刀を差して、着物って服を着てたらしいって。じいちゃんは『精神と刃が繋がっていた』って言ってたけど……まさか、本物見るとはな~!」


 フェイの目はキラキラと輝いている。

 ソウシは、彼の言葉を静かに反芻した。


「ヤクモ……八雲、か」

「おお、かっけー響きだよな! ヤクモって」


 フェイが無邪気に笑う横で、ソウシはその名を、胸の内にそっと刻む。

 それは、自分のいた国にもあった故郷の響き。脳裏には過ぎ去った国の空と風景がよぎっていた。


「で、触ってもいい?」


 フェイが再び身を乗り出してきた。両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、好奇心を抑えきれない顔。まるで、目の前の宝物に手を伸ばしたいけれど我慢している子どものような様子に、ソウシは苦笑をこぼす。


「触ってもいい。ただし抜くなよ」

「分かってるよ! おとなしく見るだけにしとく!」


 嬉しそうなフェイの姿に、幕末の京都で隣を駆けていた仲間――藤堂平助の面影が一瞬重なり、胸の奥が温かく疼く。

 藤堂は兄貴分の一人であったが、気が付けばいつの間にか彼の歳を追い越していた。


(「……平助」)


 名を声に出すことはない。ただ、懐かしさとわずかな寂しさを抱えたまま、ソウシは静かに立ち上がる。


「そういえば、迎えに来たと言ってましたよね?」

「あぁ、そうそう。まずは朝飯だろ、それが終わったら大講堂で魔力測定だぜ!」


 フェイが満面の笑みで刀を返し、ふと、ソウシの姿を見て首を傾げた。


「って、ちょっと待った! その格好で行くのか?」

「? 何か問題が?」

「いや、めっちゃ目立つっていうか、浮いてるから。制服があるだろ、サイズとか合わなかったら交換してくれるから。ちゃっちゃと着替えた方がいいぞ」

「制服……支給品ですか。では、着替えてきます」


 ソウシはフェイに示されたクローゼットを開け、中に掛かっていた学院指定の制服を手に取った。布の質感や裁縫の細やかさに少し目を細めながら、さっそく着替えを始める。

 ただ思った以上に時間がかかった。


「……こっちは前か? いや、裏……?」


 シャツの前後を確かめるのに一拍、ボタンのかけ違いに気づいてもう一拍。ズボンのベルトには手こずり、調整しながらため息をひとつ。

 ネクタイだけは帯を締める要領で手際よく巻き始める。多少形は粗いが、要領を掴むのに時間はかからない。すぐに取りかかり、フェイの首元を一瞥して、簡単にしめれた。


「お、やるじゃん。意外とすんなり巻けたな!」

「帯と似たようなものだ。形が違うだけで理は同じ」

「くくっ、何だその真顔。でも、ボタン苦戦してたのは見逃してないからな~。意外と子どもっぽいとこあるじゃん?」


 ソウシは眉をぴくりと動かし、黙ってフェイの方へ歩み寄る。そして――


「お前の、曲がってる」

「え、マジで?」


 フェイが首を傾ける間に、ソウシは静かに一歩前へ出て、フェイのネクタイを掴むと、指先で軽やかに結び目を正した。あっけにとられたフェイが、ぽかんと口を開ける。


「……今、仕返しした?」

「さあな」

「くっそー……でもありがとな!」


 二人は目を合わせて、思わず笑い合った。


「なあ、俺たち同い年なんだし、そんなに堅くしなくていいぜ? 敬語とかさ」

「あぁ、わかった。よろしくな、フェイ」

「おっ、いいじゃん! よーし、じゃあ今度こそ行こうぜ!」


 薄荷と魔力触媒の香りを背に、制服姿の二人は部屋を出る。


「安心しなって! 全部俺に任せとけって! さあ、先輩たちに食べつくされる前に急ごう!」


 無邪気なフェイの背を追いながら、ソウシはふと考える。

 異世界で生きるというのは、こういうことかもしれない。

 刀の手入れも、稽古の型も、日々の礼儀も、この世界に馴染ませていく。

 それでも、刀を手放さぬ限り、自分は自分でいられる。

 魔法学院での、初めての一日がようやく本格的に始まろうとしていた。

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