第二幕3
次の部屋は魔法調理室だった。
ドアを開けた瞬間、今度はバターやシナモン、香ばしいスパイスの匂いが直撃。
「……これは、戦の飯場とは大違いだな」
思わずソウシの腹が鳴る。
その横で、まな板がトンテンカンテン自動で動き出し、見事なみじん切りを披露。空中をふわふわ漂う野菜たちは、風の魔法で刻まれていき、鍋の底では火精霊が踊るように燃えて。
赤い眼鏡をかけた女教員が指先でくるりと円を描くと、鍋、お玉、泡立て器が音楽のように舞い、リズムよく調理を続ける。
教室の隅では、失敗作のクッキーが勝手に動き出し、散弾のように跳ねて逃げ回る騒動が発生中。生徒たちが「待てコラ!」「またかよ!」と笑いながら追い回し、それを魔法クリーナーがパクッと吸い込んで、きれいな粉末へと再変換していく。
「凄い、無駄がないな。これも魔法か」
ソウシは目を細めながら、調理器具の舞いを静かに見つめる。
そのタイミングで、トレイに乗った小さなケーキが、ふわりと彼の前に差し出された。ふわふわのスポンジに、魔法のエッセンスで色づけされたクリームがきらめいている。
どうやら、試食用に先生が振舞ってくれたようだ。
遠慮なく、一口頬張ると、驚くほど軽くて甘かった。
その様子を見ていたイサミが、苦笑まじりに言う。
「調理室だけは、成績より味覚が物を言いますの。今度、私の作ったものも食べてくださいね」
その言葉を耳にした周囲の生徒たちが、ピクッと同時に肩を震わせた。
中にはスプーンを落として小声で「また被害者が……」とつぶやく者もおり。
何も知らない、ソウシはにこやかに微笑んでいた。
後は普段の授業を受ける講義室。
半円状に階段式の机と椅子が並び、中央の教壇から見上げるように作られている。
だが、目を引くのは天井近くに浮かぶ六重の黄金サークル。回転する無数の光符が、きらめきながら規則的な軌道を描いていた。
「さあ、集中してくださいねー」
教授が指をパチンと鳴らす。
その瞬間、魔法陣の外周がパキンと音を立てて弾け、教室に小さな衝撃波が広がった。
バサァァァッ!
風が講堂を駆け抜け、教科書やノートが舞い、学生たちのローブやスカートが一斉にはためく。
「きゃっ……!」
慌てて裾を押さえるイサミ。
だが、隣のソウシはまったくの無頓着で、ただ魔法陣をじっと見つめている。
顔を赤らめながらイサミは、咳払いひとつ。
「つ、次はこちらですわ!」
そそくさと講堂を後にする二人に、教室の風はまだ名残惜しそうに吹き抜けていた。
× × ×
最後に覗いたのは、魔具工房だった。
魔力を使う道具を研究・製作する場所で、金属の香りと、熱を帯びた魔素が空気を満たしている。
大きな作業台では、ひとりの男子生徒がゴーグルをずらしながら、小型の飛行魔具に羽根を取り付けていた。真剣そのものの顔で、何やら呪文を唱えながら、細かな調整をしている。周囲にも、透明なキューブに風を閉じ込めたものや、回転する書物の自動記録器など、用途不明な発明が山ほど転がっていた。
「……これはもう、鍛冶屋というより……発明狂か」
ソウシが半ば呆れたように呟くと、イサミは少しだけ困ったように笑った。
「ええ、ここだけは魔法というより趣味の集大成ですわ」
その言葉にソウシは納得したように頷き、ここが一番落ち着くかもしれないと苦笑を浮かべるのであった。
× × ×
夕闇が学院を包み、白霜寮の外壁が群青に染まり始めるころ。白亜の壁に絡まる蔦と尖塔のシルエットを見上げながら、ソウシとイサミは玄関ポーチで足を止めた。ホタルのような光虫がぽわりと浮かび、宙ごと淡い光をまとっている。
「ここから先は男子寮なので、私はご案内できませんの」
イサミが名残惜しそうに告げたちょうどその時、奥の廊下から背の高い青年が静かに歩み出る。漆黒の短髪に切れ長の灰緑の瞳、金ボタンの制服には寮長ワッペン。名は――ユリウス・クロイツ。やたら端正だが、表情は石像のように固い。
「ソウシ君ですね。部屋までご案内します」
「よろしくお願いします」
ソウシが礼を送ると、ユリウスは眼鏡をクイッと押し上げ、秒で問題なしと判定したらしい無駄のない頷き。
イサミは一歩下がり、スカートの裾をつまんで小さく会釈する。
「ではソウシさん、本日はここで失礼いたします。おやすみなさい――明日、教室で」
「ありがとう、イサミ殿」
「ふふっ、イサミで構いませんわ」
「そうか。おやすみ、イサミ」
別れ際、光虫の群れがふわりと二人の間を横切り、イサミの金髪に星屑のベールを掛ける。幻想的な一瞬に見惚れていたソウシは、ユリウスの「時間です」の低い声で我に返った。
案内された部屋は、木製ベッドと魔導ランプだけの質素な空間。
ソウシは菊一文字の鞘を丁寧に壁へ立てかけ、窓から覗く尖塔と三日月を確認する。
「また――知らない天井だな」
深呼吸ひとつ。目を閉じるのはもう怖くない。
穏やかにソウシが瞼を閉じるのに合わせ、魔導ランプがゆっくりと消灯していくのであった。