第二幕1 『魔法学院の剣士』
王都の一角にそびえるルーヴェル・ウルフェン魔法学院。
空へと突き出す尖塔には、重力を無視するかのような浮遊の結晶が瞬き、空中に刻まれた魔法陣がゆっくりと回転していた。雲より高くそびえる観測塔の上では、天候を操る気象魔術の実験が行われ、頭上には光の道を駆ける飛行船が軌跡を描く。
広大な石畳の敷地内、浮遊する講義棟、半透明のドームに覆われた訓練施設、そして空中を舞う自律式魔導灯たち。そのすべてが、ソウシにとっては奇妙な夢のような現実だった。
「これは、本当に学び舎なのか」
思わず漏れた独り言に、隣を歩くイサミが微笑む。
「あれが第一演習場です。空中戦術と魔法弾の制御を学ぶ場所。奥の建物は錬成棟――魔導具の試作や魔晶石の研究が行われています。火や氷を扱う学科は、さらに地下深くに特別な訓練区画を持っていて……」
ソウシはイサミの案内を聞きながらも、まるで違う世界の「戦」の姿に目を奪われていた。
「……どこもかしこも、斬るには不向きだな」
「ええ。この世界では、戦闘の主力は魔法や術具、あるいは召喚獣ですから。剣は儀礼や償いの象徴には使われますが、戦場ではほとんど見ません」
石畳を歩く生徒の中には、腕に魔導石を組み込んだ義手を持つ者、空を歩くように浮遊魔法で移動する者、背後に自律式の魔法銃を浮かべている者もいた。
まるで剣という概念そのものが、過去の遺物だと言わんばかりの光景だった。
そんな時、演習場の一角で、雷と風が交差するような魔法剣が閃いた。
空中で蒼い魔力の刃を振るう青年が、標的となる幻影兵を一閃。着地の際も魔力で反発を制御し、無駄のない動作で体勢を整える。まるで計算された舞のような所作だった。
それを目にしたソウシの目が細まる。
「……あれは?」
問いかけに、隣のイサミが頷くように答える。
「セイラン=クロウ様です。学院首席の魔法剣士にして、名門クロウ家の次期当主候補。ああ見えて、まだ十六歳なんですよ」
魔力の剣を収めるその姿は、銀の短髪を風になびかせ、褐色の肌に映える蒼い制服が眩しかった。
切れ長の目と整った顔立ちは、演習場に集まる生徒たちの視線を自然と惹きつけている。
「剣士とは言っても、実際に刃を振るうことはほとんどありません。魔力で形成した魔法剣を用いて戦うのですわ。彼の戦いは、どこか――芸術のようにすら見えることがあります」
ソウシは無言のまま、その華麗な剣さばきを見つめていた。
だが、その眼差しは、ただの称賛とは少し違う。
イサミの説明の通り、訓練を終えたセイランが魔力で形成された剣――魔法剣から、すっと力を抜くと、淡い蒼光を帯びていた刃は、音もなく空気に溶けるように消え、柄だけが残ったかと思えば、それすらも指先から霧のように消失し。
その様子に、ソウシの目がかすかに鋭く開かれる。
やがて、セイランがこちらに気づき、まっすぐイサミへと歩み寄ってきた。
青銀の制服の裾を揺らしながら、礼儀正しくもどこか自信に満ちた足取り。
「イサミ。学院に戻っていたのか」
軽く一礼したのち、セイランはその隣に立つ人物に目を向ける。
剣のような眼差しを持つその男に、わずかに目を細めながら言った。
「そして、そちらは? 見慣れないけど……」
「ソウシ総司。ただの剣士だ」
「剣士? へえ、今どき珍しいな。まだ剣を使って戦う人って、学院じゃ滅多に見ないから」
セイランはソウシの腰にある刀へと視線を落とす。
その形状は、魔法学院で一般的な魔装剣とも、標準武器ともまるで違う。
「それ……剣、だよね? 見たことない形してる。面白いな」
彼の声音は柔らかく、興味の混じったものだったが、次の言葉は――時代の趨勢を語るものだった。
「でも正直、剣ってもう役目を終えてると思うんだ。近接戦より魔法の方が圧倒的に有利だし、防壁ひとつで斬撃は通らない。……つまり、剣の時代は終わった。今はもう、魔法の時代なんだよ」
そこに悪意はない。ただ、この世界の「常識」を語っているだけ。
その言葉に、ソウシ総司の脳裏で――遠い記憶が重なった。
白く濁った光の下、あの男――土方歳三が口にした、たったひとつの断言。
――「剣の時代は終わった。これからは銃の時代だ……」
そのとき、ソウシはただ咳き込み、言葉を返せなかった。
否定すべき言葉を、否定できなかった。
自分の剣が否定された瞬間だった。だが――今、言葉よりも先に、身体が動いた。
――シュルン。
鞘から抜かれる音が、空気を裂いた。
ソウシ総司は、ゆっくりと刀を抜き、静かに構える。
「終わったかどうか、まだ試してもいないだろう」
セイランの瞳が、初めてわずかに揺れた。
「……挑むと?」
「いや、違う」
ソウシは一歩、草の上に踏み出し、静かに刃を向けた。
「これは――言葉で否定できなかった、あの時の続きを。剣で、俺自身に問い直すだけだ」
その場の空気が、ぴたりと止まった。
空に浮かぶ灯り――浮遊灯が、まるで空気の張りつめた気配を察したかのように、ゆっくりと明度を落とす。
風も止まり、ただ草木だけがかすかに揺れている。
ソウシの刃は微動だにしない。だが、それを見ている者たちの肌には、確かに切先の気配が突き刺さっていた。
その沈黙の中で、セイランが一歩、前へ出た。
彼は一瞬、ソウシの刀に視線を落とす。
その眼差しに敵意はなかった。ただ、純粋な興味と、かすかな戸惑いがにじむ。
「……いいですよ。それ、試してみましょうか」
彼の手元に、ふわりと光が集まった。
柄など存在しない。蒼い魔力が掌から伸び、空気を裂くように――一本の魔法剣が、静かに形を成していく。
蒼い魔法剣が、空間を震わせながら形を取った。
セイランが構えると、風がざわめく。刃先には雷の紋が走り、魔力の密度がぐっと高まる。
ソウシは、ただ静かに、刀を正眼に構えただけだった。
「魔力反応、なし? まさか、本当にただの鉄の剣なのか」
騒ぎに集まってた 生徒たちの間で、イサミは不安そうな表情を見せる。
「いくぞ!」
セイランの剣が、雷鳴と共に走った。
一歩で距離を詰め、踏み込みと同時に魔法を重ねる。
雷と風の二重魔法剣が、空間を裂くようにソウシの肩を狙った。
「――遅い」
ソウシの唇が、静かに動き。次の瞬間、視界が、止まった。
いや――動いたのは、たった一つ。ソウシ総司の刀。
空気が吸い込まれるような音と共に、刀がわずかに滑り。素早く放たれた一閃。
魔法剣の刃が、まるで幻でも見ていたかのように、軌道を逸らされた。
「なっ……!?」
セイランの目に、確かな驚きが走る。
見ていた他の生徒からも驚きの声が上がる中、セイランは後退しながら、両手で強化魔法を重ね。
「雷槍――閃斬槍!」
空から雷が集まり、魔力槍の衝撃波と化してソウシへと放たれる。
通常の剣技では防げないはずだ。
それでも、ソウシは、刀を構えた。
刀身が抜き放たれた瞬間、ソウシの全身から静かな気配が広がる。
雷の槍が地を突くその刹那。 空間が切り裂かれた。
「――何っ……!? 雷が、斬られた……だと?」
ソウシの一刀が、魔法の構造そのものを断ち切る。 魔法と物理の境界線を、まるで理解したかのような直感と技で。
そして、更に一歩。草を踏み鳴らす。
まるで舞でも始めるかのような、流れる所作。だが、次に現れたのは、切っ先だった。
ソウシの刀の先端が、セイランの喉元、寸分違わぬ距離に止まっている。
ほんの少し、ソウシが前に踏み込めば、セイランの命は確実に刈り取られていた。
光を放っていた魔法剣は、力なく霧散しセイランの身体は静止した。
沈黙が、全体を包む。
誰も、動けなかった。
それは、動いたら斬られるという、理屈ではない本能の警鐘。
鬼――そう。そこに立っていたのは、人ではなかった。
剣に取り憑かれた異才、否、剣そのものが生きているような存在。
剣鬼――ソウシ総司。
静かに、セイランが喉を鳴らす。
「……ははっ、キミの勝ちだ」
ソウシは、刀をすっと引き、静かに鞘へと納め、カチリと小粋な音をたてた。
その音が、決着を告げる。
そして、淡々とした声が空気を切り裂く。
「時代がどうとかじゃない。斬るべきものがある限り――剣は、終わらない。私が終わらせません」
その背に、誰も言葉をかけられなかった。
ただ一人、剣を信じる男の気配だけが、静かに風を裂いていた。