第四幕2
生徒たちは山のふもとより一斉に飛び出し、登山試験が始まった。
わあっと騒ぐ声、誰より先にと走り出す足音。中にはすでに魔法を使って加速する者もいる。
競争だとは明確に言われていないが、誰より先にゴールしたいと思うのは自然なことだろう。
「よし、行くぞソウシ!」
「待ってくれ!」
先陣を切るように駆け出すフェイが、肩越しにソウシを振り返る。いつも以上にテンションが高い。
何となく感じていたが、こういうお祭り騒ぎのような催しは好きなのかもしれない。
ソウシも笑いながら答え、ノワールに落ちるなよと囁き直ぐに後を追い駆け出した。
山は、どこまでも連なる黒々とした木々。天を覆うように枝葉を絡めたその森は、昼間であるにも関わらずうっすらと薄暗く、湿った土の匂いと、かすかな苔の香りが立ち込めている。
まるで、森そのものが何かを喰らおうとしているかのような、圧迫感すら感じるほどだ。
登山試験が始まってから、すでに一時間以上が経過した頃。
この試験が、ただの山登り”ではないことを、ようやく実感しはじめることになる。
最初こそ勢いよく駆け出していた生徒たちも、今ではすっかり息が上がり、所々で足を止めては膝に手をついて肩を上下させている。
重く湿った空気、ぬかるんだ地面、絡みつく蔓草。気づかぬうちに結界の一部に迷い込み、同じ場所をぐるぐるとさまよってしまう生徒もいれば、急に視界を覆った幻影に驚き、腰を抜かす者もいたり。
山道と呼ばれる小道は、獣道のように狭く、草や蔓が左右から絡みついてくる。一歩間違えれば足を取られ、崖下に転がり落ちかねないような箇所も珍しくない。湿った石畳には、誰のものとも知れない足跡が泥に沈み、ところどころに朽ちた荷物や折れた杖が残されていた。
ある少年は、息を切らせて木の根元に座り込み、震える手で水筒を握り。彼の足元の地面には、爆裂魔法の罠なのか黒く焦げた跡が丸く残されていた。
何せ彼らは普段は魔法で、空を飛んだり転移したりするのが当たり前なのだ。
空を飛べば、下から狙い撃ち。上級生の放った魔法で撃ち落され。
転移魔法を使おうとすれば、この場に張られている特殊な結界が邪魔をしているようで、空間に関する魔法は阻害されており。少なくとも、新入生の中で、それを破るだけの力がある者はほぼ居ない。
結果、大半の工程を地道に自力で登るしかない。いわば、魔法学院流のサバイバル登山となっており。
すでに、脱落する生徒がぽつぽつと出始めていた。
「……無理だよ、こんなの聞いてない……っ」
「……はあ、はあ……どっちが北だっけ……?」
「もう、足が……魔力も、切れそう……」
「オレ、これ以上は……」
斜面をよじ登っていた生徒たちは、次第に疲労に足を取られ、各所で倒れ込む者も現れ始めていた。
中には位置特定系の魔法を駆使して最適なルートを見出そうとする者もいたが、多くの場合、肉体の限界の方が先に訪れる。
そうして脱落した者たちは、上級生や教師によって見つけ出され、出口まで連れ帰られていくようだ。
森の入り口へと戻っていく彼らは、皆どこか悔しげでありながらも、ほっとした表情を浮かべていた。
そんな中、息ひとつ乱さず進んでいく二人の姿があった。
「……ったく、ほんとにお前、初等生かよ。スタミナお化けじゃねえの?」
「フェイがバテてないのも凄いけどな」
「へっ、これでも俺は鍛えてんだよ」
互いに笑い合いながら、ソウシとフェイは順調に山道を登っていく。
ソウシは立ち止まり、太陽の位置を見上げると、軽く方角を確認してから再び歩き出す。
「よし。方角は合ってる。あの尾根を越えたら、たぶん次のポイントが見えるはず」
「へえ……お前、そういうの得意なんだな」
「長距離の移動、昔やってたからな。勘だけど、体が覚えてる」
実際、ソウシの言葉には根拠があった。
彼はかつて、幕末の動乱を生き抜いた人間。当然、便利な乗り物も不思議な力もない。
旅に次ぐ旅、山を越え、峠を抜け、地図もろくにない時代を、己の感覚だけを頼りに駆け抜けていた。
時代が違えど、山の空気や太陽の動き、風の流れに対する身体の反応は、今なおその記憶の奥底に刻み込まれている。
それが、魔法の世界に召喚された今も、自然と道を選ばせていた。
だが、そんな順調さが、次第に違和感へと変わっていく。
――景色が、同じだ。
何度も同じ岩を通り、同じ倒木の横を歩く。そして、何より太陽の位置すら微妙に合わない。
「なあ、ソウシ……これって……」
「ああ。たぶん、俺たち、同じ場所をぐるぐる回ってる」
「まじかよ!? じゃあ……迷ってんのか!?」
フェイが焦り気味に辺りを見回すが、見覚えのある景色ばかり。何かの魔法だ。それも、認識を歪めるタイプの幻惑か空間干渉系。
「くそっ、どうすりゃいいんだ……!」
フェイが頭を抱える中で、ソウシはじっと一ヶ所を見つめる。
そこだけ、木々の揺れ方が妙に不自然だった。風に逆らうように、葉が逆巻いている――そういう風にソウシには見えた。
「……あれか」
ソウシはゆっくりと刀を抜くと、一歩前へ出て、違和感の中心を真一文字に斬った。
刹那、空間に走るきしみのような音。風が砕け、色が反転し、見えていた景色がまるで皮を剥ぐように剥がれ落ちていく。
魔法トラップを解除したのだ。力技で。
「うおっ……マジかよ……」
フェイがぽかんと口を開けている。
「……斬った、のか?」
「多分。今のって、幻覚か何かか?」
「お前、もしかして刀でどんな魔法でもぶった斬れんのかよ……」
「さあ、何でも斬れるか分からないなど」
フェイが呆れ半分、感心半分で言うと、ソウシは苦笑して刀を鞘に戻した。
実際、彼にも斬れるか分からないというのは本音だ。
斬れそうだから斬ってみた。それだけなのだ。
進んだ先は、切り立った崖だった。どう見ても、これ以上は道がない。地図があれば確認したいところだが、もちろん、そんな便利なものはない。
「こっちも、行き止まりか?」
「いや、道は……あったようだ。向かいの岩場、あそこに木杭の跡がある。昔はつり橋がかかってたんだろう。でも、今はもう千切れてる」
フェイが風の流れに目を細めた。下から吹き上げる強風が、崖の間を激しく駆け抜けている。
「この風じゃ、飛んで渡るのは無理だな……今の俺じゃ、制御しきれない」
「だろうな。うかつに飛んだら吹き戻される。真下は谷底だ」
フェイは少し考えたあと、一歩前に出る。ふう、と息を吐いてから、すっと手を前に出した。魔力が指先に集まり、冷気が渦を巻く。
次の瞬間、空中に一本の橋が凍てつくように出現した。氷の板が、崖から崖へと一直線に渡っている。
「よし、急げ。この氷、あんま持たねえから!」
「了解。行くぞ!」
二人は軽快に氷の橋を渡り、さらに上へ。
山の最上部に近づくと、辺りが霧に包まれていた。足元も、おぼつかないほどの視界の悪さ。音すら、白に吸い込まれていくようだった。
「見えねぇな……どっちだ、ソウシ」
「大丈夫。こっちだ」
迷いなく進むソウシの姿に、フェイが思わず言葉をこぼす。
「……なあ、お前、もしかして見えてんのか? この霧の中で?」
「ノワールが教えてくれてる。な、ノワール」
頭の上でくるりと尻尾を振った黒猫は、気まぐれに「ニャ」と鳴いた。
なるほどドラゴンの目であれば、確かか。とはいえ、それを信じて、迷いなく進むソウシも凄い。
そして霧が少し晴れた先に、石の台座が現れた。
その上には、金色の光を放つバッジ――まさしく試験のゴールだ。
「やった……!」
思わずフェイが駆け寄り、手を伸ばしかけた――その瞬間、ソウシが腕をつかんで止める。
「待て」
「えっ……?」
「それ、偽物だ」
ぴたりと空気が止まる。
フェイは訝しげに目を細め、改めて目の前のそれを見つめた。
さっきまで確かに希望に見えた台座。しかし、よく見れば、その周囲の地面――岩の質感が不自然にぼやけている。
風の流れに合わせて揺れているようにも見えたが、岩が揺れるなどということは本来あり得ない。
フェイは小さく息を吸い、手のひらに魔力を込める。
指先から淡い冷気が漏れ、台座の周囲に向けてそっと放たれる。
氷の霧が地面を覆った、その瞬間だった。
――ズン、と何かが地中から鳴動する。
「な……っ!?」
フェイの足元がひび割れ、突然、黒い霧とともに巨大な手が地面から這い出てくる。
台座もろとも地面が割れ、その裂け目からは無数の手が蠢き、フェイの足を掴んだ。
「うわっ……!? な、なにこれ……っ!」
冷気をまとおうとするも、あまりに多くの手が一斉に伸びてきて魔力の集中が追いつかない。
フェイの身体は宙に持ち上げられ、握り潰される寸前に――
「フェイッ!!」
ソウシが駆け込むように飛び込んだ。
しかしその直前、目の端に違和感が映る。空間の“揺れ”。いや、それは微細な気配の“ずれ”だった。
ソウシはその違和感に即座に反応し、迷いなく振り返り、腰の剣を抜き放ち、風を裂くように一閃――。
刃が霧を切り裂いたその先で、確かに“何か”が裂ける感触があった。
ソウシの剣は狙い違わず、空中に浮かんでいた一枚の紙――魔法陣が刻まれた紙片を断ち切る。
紙片は破れ、そこから溢れていた魔力の流れが乱れた。
地面を這っていた“手”の魔法陣がバチッと音を立てて一部が霧散し、フェイを締めつけていた腕が弾け飛ぶ。
「……へぇ。気配だけで当ててくるとはね」
低く、どこか楽しげな声が霧の奥から聞こえる。
次の瞬間、そこに姿を現したのは――スラリとした銀髪の青年、セイラン=クロウだった。
霧を押しのけるようにして一歩踏み出すと、すでに細身の魔法剣を抜いており、そのままソウシの剣に正面からぶつける。
――キンッ!
鋭い金属音が響く。
火花が散り、二人の剣が空中で競り合った。
セイランは口の端を上げながらも、視線は真っすぐにソウシを捉えている。
「まさか、ホントに反応して斬ってくるとはな。やっぱお前、ただ者じゃないよな」
「先輩の方こそ……試験でこれって、性格悪すぎます」
ソウシが低く構え直し、剣に力を込める。
セイランもそれを受け止めるように剣を押し返し、二人の刃は激しくきしんだ。
その瞬間、何かが解けるように空気が変わった。
バラバラと音を立て、霧が崩れるように晴れていく。
同時に、地面を這っていた残りの“手”も、まるで潮が引くように霧へと還っていった。
自由を取り戻したフェイが、その場に膝をつきながら息を整える。
「ぐはっ……心臓に悪すぎだぜ……」
彼は睨むように見上げるが、セイランは剣を下げてひとつ息をついた。
「ま、これくらいのプレッシャーに耐えられないと、外じゃ生き残れないだろうな」
セイランは剣を収めると、懐から二つの金色のバッジを取り出した。
それをソウシとフェイに向かって、ひょいと片手で放る。
「ここからが本当の試験って言いたいとこだが合格だ」
「いいんですか?」
バッジを手で受け止めながら、ソウシが眉をひそめる。
「預かった魔法符はお前に斬られた。俺としては、物足りないが……反応、判断、行動、どれも合格ラインだろう」
セイランは口元に笑みを浮かべながらも、目だけは真剣にフェイを見る。
「お前も、なかなかの判断力だな。直前にガード入れたか……体の表面に氷の防壁。あれがなきゃ、本気で締め潰されてたぞ」
「当然だろ。あんなの、まともに食らってたまるかよ」
フェイは一瞬目を見開いたが、すぐにふっと鼻を鳴らした。
口では強がるものの、その声にはわずかに安堵が混じっていた。
「それに嫌いではない。自分の身より先に仲間を助けようとする姿は」
フェイもバッジを見下ろし、ゆっくりと立ち上がる。
その胸の奥に残る緊張と達成感が、静かに波のように広がっていた。
そんな二人を見ながら、セイランはふっと笑い、肩越しに軽く言い放つ。
「ま、とにかく合格だよ。よくやった。……ただし、気を抜くなよ? 帰り道まで含めて試験だからな」
その言葉を聞いた瞬間、ソウシとフェイの肩から同時に力が抜けた。
「……マジかよ」
「もう帰りは魔法でワープでいいだろ……」
二人が揃って空を仰ぎ、どこか諦めたようにため息をつく。
霧の晴れた空は高く、どこまでも青かった。




