第三幕4
魔物の襲撃を乗り越えた後、黒猫はソウシの元に連れて帰られ、寮の部屋で一緒に生活することになった。
本来、召喚獣というのは、それぞれの世界や住処に留まり、主からの呼び出しがあれば一時的に応じるものだ。
だが、あの黒猫はどうやら例外のよう。
呼び出されたその日から、当然のようにソウシの傍に居座り、離れようとしない。
見た目こそ、片耳が折れたただの小さな黒猫だが、その正体は闇をまとう古の魔獣、ダークドラゴンなのだから。
机のそばの隅に、ふかふかの布と毛布で寝床を作れば言うまでもなく、そこを居場所としたのか、黒猫はその上に優雅に丸くなっていた。
こうしていると、どこからどうみても只の黒猫だ。
「こいつが、本当にダークドラゴンだったんだよな。全然、見えねー、想像つかないよな」
「フェイだって目の前で見ただろ」
そうだけどさーとため息混じりに笑いながら、手近の椅子を引き寄せ、フェイはソウシの座るベッドの向かいに腰を下ろす。
「いやー、それにしても無事に召喚獣を得られて良かったよな。最初、こんな黒猫では測定不能だって言われてたから、どうなるかと思ったけど」
「……何も出てこないかと思ってたよ」
「出てきたのが猫……いや、ドラゴンってのが逆に笑えるけどな。先生たちも、まだ気づいてねーんだろ」
フェイが苦笑いしながらそっと黒猫に手を伸ばすと、「フシャァッ!」と、ノワールはすばやく身を起こし、耳を伏せてフェイを威嚇した。
細くしなやかな尻尾が、ぴしりとフェイの手を叩く。
「いって、そんなに怒るなよ……やっぱ嫌われてんのかな、俺……」
「そうかもな」
「お前にはやたら懐いてるくせになー……ずるいぞ」
「……まあ、そういう性格なんだろ」
ソウシが肩をすくめて笑う。黒猫はソウシには懐いているようで、先ほどからすっかりリラックスし、時折小さく喉を鳴らしている。
「で、名前決めたのか? 『ブラック』とか『にゃん太』とか?」
ちゃかすフェイの声に、再び黒猫の尾がぴしゃりと払う。
「どうやら、お気に召さなかったらしいな」
苦笑しながら、どうしようかとソウシは黒猫の鋭い金色の瞳を覗き込んだ。よく見れば、その瞳はあの時、ドラゴンとして姿を現した際と同じ強い輝きを宿していた。
ソウシの小さな呟きに反応したのか、黒猫の耳がぴくりと動き、わずかに顔をこちらへ向ける。
その瞬間、不意に、ソウシの頭の中に静かな声が響く。
――ノワール=ディアヴェル=ヴァルドラ。
「……ノワール」
「おぉ、意外とオシャレ……」
「ノワール=ディアヴェル=ヴァルドラって言うそうだ」
「長っ……!?」
フェイは思わず目を見開き、ソウシの方を振り返る。
「なにそのどこかの王族みたいな名前!」と大げさに手を広げた瞬間――その手を、またしても黒猫の長い尾がぴしゃりと打った。
「いてっ……! って、またかよ!? お前絶対わかってやってるだろ!」
フェイが手の甲を押さえている隣で、ノワールは軽くにゃあと鳴くと、しれっと毛づくろいを始めていた。
「特別に、ノワールと呼ばせてやるってさ」
「なんで上から目線! ドラゴンだけあって偉そうだな」
フェイが思わず突っ込みながらも、どこか楽しげに笑う。
それに応えるように、ノワールの尾がふいに揺れて、フェイの足元を優雅にひとなでしていく。
「お、俺のこともようやく認めてくれたのか。よろしくな、ノワール」
フェイは肩をすくめ、苦笑混じりに呟いた。
ソウシはその様子に微笑む。ノワールはそんな二人のやりとりなど我関せずといった風に、ゆっくりと身を丸めて眠る体勢に入っていた。
「ま、とにかく。今日のとこは安心したわ。ほんと、これからどうなるか楽しみだな。お前と、ノワールも」
「ああ」
短い返事を交わして、フェイは「じゃあな」と軽く手を振って部屋を出て行った。静寂が戻ると、ソウシは机に向かって椅子に腰を下ろす。
引き出しからノートとペンを取り出し、静かに日記をつけ始める。
――今日、初めて召喚に成功した。出てきたのは黒猫。だが正体はドラゴン。名前はノワール。
筆を走らせる手は、穏やかに今日一日の出来事をなぞっていく。書くという行為が、どこか心を整えてくれる気がした。
ふと、視線を横にやり、ベッド脇の鞄から魔導書を取り出す。そういえば――と思い、ページを開いてみると、そこにはびっしりと、見たこともない文字が並んでいた。
なのに、不思議と意味が頭に入ってくる。読み方も、内容も、自然に理解できる。
(やっぱり、普通じゃないな……)
いくつかの書類に名前を書く機会があったが、それも特に何かを言われたことはなかった。
もしかすると、自分の書いた日本語の文字も、この世界では自然と翻訳され、現地の文字として映っているのかもしれない。そんな仮説が思い浮かぶ。
ソウシはページを閉じ、ベッドに腰を下ろした。毛布の上には、いつの間にかノワールが移動しており、堂々とした顔で寝床を占領していた。
「お前というやつは、どっちが主かわからないな」
小さく呟いて笑いながら、ソウシはその隣にそっと横になった。
柔らかい毛並みに指先が触れると、ノワールは軽くのどを鳴らす。
灯りを落とし、静寂に包まれた寮の部屋に、心地よい安らぎの空気が流れていた。




