どこにでもいる三兄弟
私の名前は善治。
読みは「ゼンジ」ではなく「ヨシハル」。そう、日本将棋連盟会長の羽生善治氏と一緒の読み。
でも、生まれてこのかた、大半の知り合いは、私のことを「ヨシハル」と思っている。現在もである。
ほぼ誰からも「ゼンジ」と呼ばれ続け、自分でも、本名は「ゼンジ」なのかな?と錯覚を起こしそうである。
私は、数年前に退職して、いわゆるサービス業分野で第二の人生を送っているが、前職は、とーってもお堅い仕事をしていた。
ただ、その職場は、同僚の名前を勝手に呼びやすいようにアレンジする職場だった。
例えば「文章」という名前だったら、「ぶんしょう」。「直行」という名前だったら「ちょっこう」。
だから、私は、前職の時には、ずーっと「ゼンジ」だった。
こういうことがあった。私がたまたま出演したテレビで、アナウンサーから「ヨシハル」と名前を読み上げられたのを見て「いや、間違っている。ゼンジさんやのに」と、一緒にテレビを観ていた者に、あえて訂正のコメントを発した奴がいた。
でも、小学生のころ、一度だけ「ヨシハル」と本名?で呼ばれた記憶がある。
小学6年生の時の運動会の100メートル走で、学年一位になった時、校長先生が表彰状を読む時に、初めて「ヨシハル」と読んでくれたっけ・・・
それはさて置き、なぜ、私みたいな平凡な?オヤジ、いやジジイが小説?なんか書こうと思いついたのかというと、動機は単純である。現在NHKで放映されている「かぞ・かぞ」で、「小説家になろう」というサイトの存在を知ったから。
なんか、ドラマを観ていたら、自分にも何か書けそうな気がして?いや、つたない文才しかない私にも書けるという根拠のない自信が猛烈に湧き出してきてしまった。
私は昭和36年生まれ、私の下には昭和38年生まれと昭和43年生まれの弟が二人いる。
どこにでもいる三兄弟なのだが、兄弟と言えども、三人三様。当然、外見も異なる。
私は、体格と顔立ちがごっついことから、孫たちからも「ゴリ爺ちゃん」と呼ばれているが、さすがに、うまいことを言うなぁと感心してしまう。でも、自分でも納得せざるを得ない。もし私がゴリラだったら、イケメンゴリラのシャバーニとまではいかないまでも、そこそこイケメンだったろうと自負している。
そんなことはどうでもいいが、私と三男は、ごっつい感じで、なんとなく似ているが、二男の顔立ちは違う。
なんと二男だけが可愛い顔立ちをしていて、兄弟とは思えないイケメンなのである。
赤ちゃんのころの写真を見ると、本当にモデルにしてもいいくらいの可愛さだった。でも、この二男も既に60歳を超え、オヤジとなっている。
この二男は、ティーンエイジャーのころは手を付けられないほどのヤンキーだったが、高校を2年でドロップアウトした後、理容界に入り、今では、三兄弟の中で一番の稼ぎ頭となっている。こいつは、同じオヤジでも、三兄弟の中で唯一「イケオジ」となったのは、言うまでもない。
三男は、スナックを経営しており、夜食の食いすぎで、かなり膨れ上がっている。
こいつは、晩婚であったため、50歳半ばで、小学1年生の息子がいる。
私の孫の一番上が中学3年生なので、この孫からすれば、叔父さんが随分と年下ということになり、我々も時に頭が混乱してしまうことがある。
この三男も、今でこそ落ち着いているものの、若いころは職を転々と変え、どうしようもない奴だった。
経営の才覚がないと言っても過言ではないくらい、てきとうな経営をしていたので、一度は、店の賃貸料を何か月もため込み、連帯保証人になっていた私に、三ケタ台の督促状が届いたことがあった。
この時は、二男と私で、なんとかその額を支払い、事なきを得たが、それ以降、二男が自分の仕事を終えた後、毎日、三男の経営状態の確認と経理のアドバイスを続けてくれたので、三男の経営状態も現在では落ち着いている。
ざっと、私達三兄弟は、こんな感じの人生を送ってきたが、私と二男の容姿の違いは、母方の祖母の扱いにも影響を与えていた。
特に、祖母によるこども時代の私と二男の扱いの違いは、傍目で見ていた者たちにもハッキリと分かるほどだった。
どこにでもいる三兄弟だが、そこは、昭和のクソガキ。笑えるエピソード満載なのである。