はじまりのとき
「やっぱり、何かを忘れている気がする。」
いつもの道を駅へと向かうチカの胸には、「行ってきます。」と言ってドアを開けたときにはまだ小さかった違和感が、歓迎もしていないのにむくむくと育っていた。
家を出るときには大して気にもとめていたかったが、やっぱり大切なことだったのだろうか。
宿題を忘れたとか、教科書を間違えたとか、そういった感じのものではない。
どちらかと言えば、日常生活的な何かだ。
昨日家を出たときにはこんな感じはなかったから、たぶん、何かがあったのは昨日学校に行ってからのことか。
「学校でなんかあったかな。」
昨日、友だちとした会話を思い出す。
思い出す。
だめだ、断片的にしか憶えていない。
というか、目新しいことを何か話した覚えがない。
「なんだっけ?」
と考えながらもしっかりと足はチカを駅に運んでいた。
「まあいっか。今さら思い出してももう取りに戻れないし。」
チカはギリギリまで朝寝ているタイプではないが、かといって、せっかく着いた駅から家にとって返してまた駅に戻ってきたら遅刻するくらいの余裕しか無い。
「まあ、学校で誰かに聞いてみよ。」
というか、SNSで今聞いても良かったのだが、もし、家に取りに帰らなきゃならなくなったら大変だから、SNSで聞いてみることを思いつかなかったことにしてしまった。
割り切りのいいチカは、学校に着くまでチクチクと存在を主張する違和感を心の別室に閉じ込め、最近気になっているアニメをスマホで見始めた。
電車に乗っている時間は長くないし、1話を全部見終わるためにはあんまり悩んでいる時間は無かったのだ。
だが、残念なことに、アニメの方も何となくもやもやする感じで次回に続き、もやもやがさらに倍増して学校に着いた。
「まあ、いいか。大事なことなら誰かが教えてくれるだろ。」
チカの友だちには「みんなのお母さん」と呼ばれている世話焼きの子がいるから、きっと忘れてしまったことでも思い出させてくれるだろう。
「おはおう。」
それなりに元気よく教室に入ったチカは、さっそく「みんなのお母さん」ことアユムに近づいた。
「ねえアユ。」
もちろん、チカは寝ぼけたとき以外でアユムに「お母さん。」なんて呼びかけた事なんて無い。
「なに?あ、持ってきてくれたの?」
その途端、チカは忘れていた事がなんだったのかを思い出した。
昨日、前にチカが買ったマンガが面白かったという話になって、興味を示したアユに持ってくる事になっていたのだ。
朝からチクチクしていたものの正体がわかって、チカは、すまなさで一杯になった。
昨日、「じゃあ明日貸すよ。」とアユムに言った時のアユムの嬉しそうな顔が蘇ってくる。
いつもだいたい朗らかで笑顔のアユムだったが、その時の笑顔はとびきりだった。
「なんで忘れちゃったんだろ。」
アユムはいつも「みんなのお母さん」をしているけれど、「チカのお母さん」がかなり大きな役割だった。
そんな大事な友だちとの約束だったのに。
だが、隠しても仕方が無いので、チカは正直に申告した。
「ごめん。持ってくるの忘れちゃった。」
きっとアユなら「明日は忘れないでね。」と言ってくれるだろうから。
でも、アユミの口から出た言葉はチカの想像とは異なっていた。
「そう・・・・。」
まずは、本当に残念そうに。
続けて、いつもの姿からは全くかけ離れてると言って良いくらいにおずおずと。
「じゃあ、今日、チカの家に・・・マンガを読みに行っても・・・いいかな。」
最後は、すごく慌てたように。
「昨日からとても気になってたから、嫌だったらいいの、無理にってのじゃ絶対無いから。」
ちょっと頬を染めながら、不安そうな視線をチカはに送ってきたアユムに、チカは・・・