新しい世界
闇と静寂の中、気配を感じる様になった・・・気がする。何となくではあるが、俺が寝ている周りに複数の人がいるような思えた。まさか生きているのか?昏睡状態で治療を受けているのだろうか?
それからまた、闇と静寂が続いた。時間の流れは判らない。手足が痺れる様な感覚を覚え、確かめようとしたが、身体を動かす事は出来なかった。
《どうなっているんだ?》
痺れの感覚が痛みや違和感、触られている感覚、寒さや暖かさが判って来ると、心臓の鼓動と思われる、定期的な力を感じた。思わず息を吸うと、周りの人が多分抱き着いたと思われた。今迄、呼吸していなかったのだろうか?文字通り『息を吹き返した』と言うところか。身体を触られた感覚がハッキリして来て、やはり治療を受けているのが判った。
時間の感覚も取り戻した。1時間程、何か調べているような感じや、マッサージを受けている感覚が繰り返され、上半身が起こされた。確実に起こされた感覚が判り、口の中に何かが入ってきた。味はしないが、流動食だろう。ちょっと不安だったが、無事に嚥下出来た様だった。
肩をポンポンとたたかれるのが、起き上がったり、寝たりする合図らしい。時々起こされたりするのが昼間で、寝かされたままの時が夜だろう。
夜になると有り得ない感覚?若い頃就寝時の日課の様に自らを玩んだ快感と、その最高の一瞬を感じていた。手は痺れ動かせていないし、仰向けで寝ているので、布団に押し付けたりしている訳でもなさそうだ、本当に不思議な感覚だ。まあ他の感覚も正しく感じているのかも怪しい所なので気にしても仕方が無い。死に直面すると、子孫を遺す本能が働くって事を聞いたことがあるが、そういった反応なのかも知れない。
昼間、上体を起こして過ごす時間が少しずつ長くなり、寝ている時間の方が短くなって来た。流動食は日に3食、途中水分補給も行われた。数日繰り返している内に、固形物も混ざる様になって来た。ただ味覚が戻っていないようで、何を食べているのかは、全く解らなかった。
咀嚼して食べる様になったある日、両方の頬を骨ばったカサカサの手の平で包まれた。温かい感触のあと、病院の匂い?消毒液のような匂いを感じる事が出来た。世話をしてくれているのは何となく、ベテラン看護師?高齢の女性のように思われる。匂いで人を識別する嗅覚も経験も無いので、ただ何となく、おばあちゃんの匂いっぽいと感じただけだ。
併せて味覚も回復したのか、その後に食べた食事は、食べ慣れない味だったが、なかなか美味しいを思う事が出来た。
更に数日、昼間の殆どをは、上体を起こして過ごすようになった。手足の感覚が極端に不自然な事と、ずっと排泄をしていない事が不思議だったが、全体としては回復方向に向かっている感覚は間違いでは無いだろう。因みに、不思議にな快感は毎晩続いてた。
朝(と思われる)、(たぶん)看護師さん二人掛かりで起こされ、いつもなら食事が始まる所だが、両方の側頭部、耳の辺りを手の平が覆った。臭覚と味覚が戻った時と同じ様な温かさを感じると、
「聞こえるかしら?」
少し掠れたお婆さんの声。4色の声がするので、4人居るらしい。
《はい、聞こえます!》
喋ったつもりだが声にはなっていなかった。慌てて頷くと、
「思ったより順調ね!来週には喉も治せそうよ!じゃあ、朝ごはん食べて体力付けてね!」
鼻先の爽やかな香りに反応して口を開けると、みずみずしい野菜サラダが丁度ひと口分入って来た。
「美味しい?」
首を縦に振って答えた。
聴覚を取り戻すと、現状把握に努めた。治療してくれているのは4人の女性で、看護師では無く、巫女とかシスターの様な職業と思われる。
思われると言うのは、どうも今迄暮して居たのとは違う所に居るらしい。聞いたことの無い神様を信仰している様だった。名前は無く、番号で呼び合っていた。
29号、36号、47号、55号。記憶を持たずに転生して来ると、番号が振られそれを名前のようにしてここで働いて暮らすそうだ。もう少し、味気のある名前にすればと思う、囚人じゃ無いんだから。
そしてここは、目覚舎と言う、転生者支援施設らしい。
天国でも、地獄でも無く『異世界』に来たって事なんだが、全く実感が湧かない。その手のマンガやアニメには疎いので、今がどう言う状況なのか理解出来無い。
何となく知識に有るのは、元の世界で死亡すると、異世界に生まれ変わる。元の能力のまま赤ん坊で産まれて来たり、特別なチカラを授かったりして、異世界で暴れまくるって位のイメージだ。こんなボロボロの主人公もいるんだろうか?途中、神様的な存在に遭遇した記憶は無いし、何か特殊な能力が付与されているのかは、いま時点では確かめる術は無い。
俺の治療も、医学と言うより魔術で行っている様なので、回復したら何かの魔法を使える様になるのかも知れない。来週、喉の治療が上手く行けば、話せる様になるそうなので、色々質問が出来る様になるだろう。もう少し我慢だな。
「今日は喉を癒やすわね。」
ベッドで状態を起こし背中をクッションで支えられた。両手で首を絞める様に手の平で包まれる、温かさを感じると、「スースー」とか「ハーハー」とか息の音だけだった発音(?)が、しっかり言葉になった。
「あのう?トイレはどうなってるんですか?」
思わず口にしてしまったが、最初の一言としては、不相応の様に思えた。
「膀胱や大腸の中身を魔法で転送していたんですよ。結構、魔力の消費が激しい魔法なので、今日からはオマルと尿瓶ですね。」
29号が説明してくれた。
先ずは自己紹介と思ったが、俺の事は皆んな知っていた。逆に俺が転生者だって教えてくれた。四人は魔術師と言うカテゴリらしく、異世界から紛れ込んでくる、俺のような人々の面倒を見ている。過去類を見ない瀕死状態で転生して来た俺の為に招集された腕利きらしい。昔は、重症の転生者が珍しく無かったが、ここ数十年は、殆どが健康な状態でやって来るので、かなり無理して貰っているようだ。
不思議に思っていた事を列挙、昼まで続けて、この世界の事が少しずつ解ってきた。時間の単位やカレンダーは元の世界と変わらないようだ、祝日なんかは違うけどね、各月のゾロ目の日と大晦日が休みとの事。日本語が通じるが、最近の流行り言葉や、外来語はダメな様だ。気候等もほぼ変わらく、冬は雪が積もるらしい。通貨は円と銭、少し過去に来た感じだろうか?あと、毎晩の快感については、今想像出来る唯一の事が、どう考えても有り得ない事なので、聞くに聞けず、視覚を取り戻してから自分で確かめることにした。