私の方が殿下より上手(うわて)です(コミカライズ)
学園の夏の長期休みが明けた日。
その日は学園の創立記念日でもある為、毎年その日の夜に講堂にて、先生や生徒が一堂に会し記念のパーティーが開かれる。
皆は銘々が着飾ってパーティーに参加し、学園のシェフが腕によりをかけた料理に舌鼓をうち、夏の思い出に花を咲かせる。
パーティーが中盤に差し掛かった頃、この国の第1王子であり生徒会長でもあるエドガーが、生徒会のメンバーでもある側近達4人と1人の女生徒を連れて、講堂のステージの上に上がっていった。
エドガーは胸を張りこの時を待っていたと意気揚々と歩き、ステージの中央に立った。
「静粛に!」
エドガーが講堂中に響く大きな声で告げると、エドガー達に気づいた生徒の視線が集中する。何事かとざわつく生徒達の声も、側近であり近衛騎士でもあるカイルがエドガーの代わりに『静粛に』と再度大声で叫ぶと、ざわつきが波が引くように静まっていった。
生徒が静かにエドガーに視線を集めると、エドガーは満足そうにたっぷり頷いた後、口を開いた。
「歓談中失礼する。このたび公爵令嬢クリスティアーナとの婚約を破棄をし、男爵令嬢フィオナと新たに婚約することに決めた。」
エドガーの宣言に、会場全体の空気が大きく揺れる。
蜂蜜を1匙落としたような艶やかな金の髪に、翠色の瞳に端正な顔立ちのエドガー。プラチナブロンドに淡いピンク色の瞳の可憐な少女フィオナ。2人がステージ上に並ぶ姿は、正にお似合いの美男美女カップルに見えた。
「お待ちください。」
その空気を裂いてステージの前に進み出たのは、エドガーに婚約破棄すると宣言されたクリスティアーナ本人であった。
ブルネットの髪を緩く編み上げ、赤いルージュをひいたような艶やかな唇のクリスティアーナも、フィオナとはまた違ったタイプの美しい少女であった。
クリスティアーナはステージから少し離れた場所に立つと、ステージ上に立つエドガーを見上げる。
エドガーはクリスティアーナから守るようにフィオナの前に立つと、鋭い眼光でクリスティアーナを見下ろした。その眼光を物ともせず、クリスティアーナは告げた。
「私と殿下の婚約は、王家と公爵家との約定で決められたもののはずです。その婚約破棄は、国王陛下の許可を得ているのですか?」
クリスティアーナの言葉に、エドガーは痛いところを突かれたと苦い顔をするが、すぐさま頭を振る。
「その様なもの、そなたの悪行を知ればすぐにでも許可を得られる。クリスティアーナは王妃にはふさわしくないとな。」
エドガーが言い放つと、クリスティアーナは赤い唇の両端を上げ、妖艶に微笑んで見せた。ともすれば負け惜しみにも見えるそれは、エドガーの心に不安を掻き立てさせた。
クリスティアーナは目を細め、何故か声を弾ませて嬉しそうに告げた。
「悪行とは、男爵令嬢フィオナへの嫉妬からノートを焼却炉に捨てた事でしょうか?それとも下駄箱の靴をゴミ箱に捨てた事?それとも………階段から突き落として怪我を負わせた……とか?」
次々とクリスティアーナが白状する悪行に、事の次第を見守っていた他の生徒達のざわつきが大きくなっていく。
この学園の生徒は大半が国の貴族子息や子女だが、高い学力を持つと認められた優秀な平民も、何人か奨学生として通っている。
クリスティアーナは品行方正で、平民も貴族も分け隔てなく接し、次期王妃として申し分ない女性と言われていた。
それだけに、クリスティアーナの口から飛び出す悪行に生徒達が驚くのも無理はなかった。
しかしクリスティアーナが悪行の内容を口にするたび、何故かエドガーとその側近達は狼狽え、視線を泳がせ始めた。
「どうかされまして?エドガー殿下やその側近様方が私を貶める為に捏造した悪行を、何故、私が知っているのか気になっておられます?」
ふふっと声を上げて楽しそうに笑いながらクリスティアーナが畳み掛けるように告げると、その言葉を聞いた生徒達がぎょっと目を剥いてエドガー達を見る。
クリスティアーナの瞳は笑っておらず、獲物を狩る猛禽のようであった。
エドガーは動揺を押し隠すように大袈裟な咳払いをすると、気を取り直してクリスティアーナを睨み付けた。しかしその口から漏れ出す声は、明らかに震えていた。
「な、何を馬鹿なことを言う。そなたは己の悪行をよくよく理解しているようだな。その悪行を示す生徒の証言の書かれた書面がこちらに……。」
「その書面の写しでしたら、もう持っています。そして、その悪行とやらを私がしていないと証明する準備もできておりましてよ。」
クリスティアーナがそう言うやいなや、彼女の友人の令嬢4人が書面の束を携えて現れ、クリスティアーナの左右に並ぶ。
エドガーは鯉のようにパクパクと口を開いたり閉じたりすると、誰が漏らしたのかを確認するようにばっと後ろを振り向けば、側近達はとんでもないと一斉に頭を振って否定する。むしろ誰が漏らしたのか疑うように、互いの顔を見て睨み出す始末。
その様はあまりに滑稽だった。クリスティアーナはまるで姫君に手を差しのべる騎士が如く、恭しく手を差し出した。
「そんなところに居ないでこちらにいらっしゃい、フィオナ。」
「え?」
エドガーはその言葉に耳を疑い、聞き間違いかとクリスティアーナとフィオナの両名の顔に視線を行きつ戻りつさせれば、フィオナは頬を薔薇色に染め、とてもとても嬉しそうに表情を緩めた。
「はい!クリスティアーナ様!」
呼ばれたフィオナはエドガーには目もくれず、喜びいさんでステージに横付けされている階段を降りると、クリスティアーナの傍に駆け寄った。それはまるで、大好きな飼い主のもとに走り寄る飼い慣らされた愛らしいペットのようであった。
事は2ヶ月くらい前に遡る。
夏休みが始まる2週間前、フィオナは俯き、とぼとぼと1人で学園の中庭を歩いていた。
彼女がこの春に学園に入学して、はや数ヶ月。いつもなら第1王子エドガーやその側近が常に彼女と共に居た。しかし長期の休み明けに男子生徒全員が参加義務のある剣技を競う大会があり、強制参加の練習があった為、珍しく1人で過ごしていた。
「フィオナさん、少し宜しくて?」
そこに声をかけたのは、エドガーの婚約者のクリスティアーナだった。
フィオナは他の男子生徒や女生徒とは一切関わることなく、エドガーやエドガーの側近達ばかりと過ごしていた。
エドガーは勿論の事、エドガーの側近達全員に婚約者がいる。それは周知の事実で、いくらフィオナでもそんなことは知らないとは言えない。にも関わらず、彼女は婚約者のいる彼らから離れることをしない為、多くの生徒から非難の目を向けられていた。
クリスティアーナがエドガーを諌めても、『学園に慣れぬフィオナの為に、学園のことを教えてあげているだけだ。』と聞かない。
このままではエドガーが王位を継いだ後の民心の求心力にも影響を与えかねない。
だから、エドガー達と彼女が離れる機会を狙っていたのだ。
クリスティアーナが友人と連れだって彼女に声をかけると、突然、フィオナは顔に両の手を当てて泣き出した。
端から見ればクリスティアーナがフィオナを苛めているようにも見える構図に、クリスティアーナの友人が『泣き真似なんてなんと浅ましい!』と止めようとすれば、フィオナは嗚咽混じりにか細い声でクリスティアーナに告げた。
「助けてください……。」
フィオナは子どもに恵まれなかった男爵夫妻が養護施設から引き取って養子とした子どもで、本当の貴族の娘ではなかった。
貴族の中では養子であるが故に肩身が狭く、また貴族に迎え入れられた為に平民と交わることもできず、どっちつかずなその立場において学園での生活は物凄く居心地の悪いものであった。
更にエドガーに気に入られ、エドガーがその傍を片時も離れようとしない。エドガーがどうしても傍にいられない時は、自分の側近に彼女を見守らせていた。他の生徒からは婚約者のいる高位貴族を虜にした悪女のように見られて敬遠され、学園生活はもっと苦しいものになっていた。
養い親である男爵はフィオナを貴族社会に慣れさせ、貴族社会を勉強させる為に、彼女を学園に進学させた。けれどそれもエドガーのせいでままならない。
養父養母に相談しようにも、養子であるが故に心配をかけたくなく、学園生活は楽しいと嘘をつく日々。
誰も話しかけてくれず、友人もできず、学園生活が辛くてたまらず、どうにかなってしまいそうだった。
そんな時にクリスティアーナに話しかけられ、彼女なら救ってくれるのではと、思わず泣き出してしまったのだ。
クリスティアーナ達はフィオナから話を聞くうち、彼女に対し同情を禁じ得ず、彼女の力になってあげることを決めた。
フィオナを守るようにクリスティアーナが立ち、エドガーを見据える。
「エドガー殿下、私と貴方は政略関係で結ばれた婚約者です。想う相手がおられるのは素敵なことですし、できるなら想う相手と結ばれたいと考える気持ちもわかります。ならばその気持ちを素直に私に伝えてくだされば、お二人が一緒になれる助力をする心づもりは御座いました。しかしあろうことか、もともとの婚約者である私を貶めてまでフィオナを婚約者にしようとするなんて。しかもフィオナの本心を一切無視して。」
クリスティアーナの言葉に、エドガーは唾を飛ばして食って掛かった。
「何を言う!フィオナは俺に好意を持っている!嫌ならばあんなに共に過ごすわけがないではないか!」
「殿下はフィオナが男爵家の養女であり、この学園に入学する数年前まで、平民として過ごしていたことは聞き及んでいることと思います。王族である殿下に誘われて、元平民であった彼女が断れるとお思いですか?」
「………っ…………しかし、フィオナは尊敬する人の傍に立つ為に、努力をしていると言っていた!それは俺の事だろう?フィオナは俺の事を好いているのだ!」
エドガーが尚も食い下がると、クリスティアーナは傍に立つフィオナの背中を押した。
「フィオナ、きちんと言わねば伝わりません。」
クリスティアーナが彼女に、貴女には私がついているとばかりに目線を合わせて頷けば、フィオナは意を決してエドガーの方に向き、口を開いた。
目を見て、はっきりと伝える。
「私は、殿下に対して恋愛的な意味での好意は持っておりません。」
「…………え…………。」
彼女の心は自分にあると思い込み婚約者にしようとしていただけに、その落胆は大きかった。エドガーが間の抜けた声を出すと、パーティーに参加していた生徒達が失笑する。
彼女に代わり、クリスティアーナが続いた。
「彼女は貴族社会に慣れておりません。この学園は貴族社会の社交を学ぶ場。殿下はフィオナと共に過ごす理由を私には、『学園の事を教える為だ』とおっしゃいました。学園に慣れぬ彼女の為に学園のことを教えようとするならば、殿下はただフィオナを囲いこむのではなく、盛大な茶会を催すなどして彼女に社交を学ぶ場を作るべきでした。社交も出来ぬ彼女に、他国との社交も必要となる王妃が務まるとお思いですか?」
ぐうの音も出ないクリスティアーナの論に、エドガーはまたパクパクと鯉のように口を開けたり閉じたりする。
クリスティアーナは長期の夏休みの間、公爵家や自分の友人達のツテを使い、学園の女生徒全員を集めた茶会を複数回行い、他の女生徒と交流できるように努めた。そのおかげで学園の女生徒がフィオナに対して持っていた悪感情を払拭させ、誤解を解いて見せた。
また自分主導の茶会で彼女を紹介することで、フィオナは公爵令嬢クリスティアーナの庇護の下にあることを知らしめ、彼女を蔑ろにしてはいけないと周知させたのだ。
自分のために力になってくれたクリスティアーナのことを、フィオナが敬愛するようになるのは当然の事だった。
長期休み中、エドガーはフィオナと更に懇意になる為に、何度となく遊びの誘いをしていた。
しかしクリスティアーナの入れ知恵で『尊敬する人の傍に立つ為に、夏休みの間に努力して勉強したいのです。』という理由で断らせた。今となってはその尊敬する人というのが誰のことを言っているのか、輝く彼女の目線の先を見れば明らかであった。
フィオナの話から、エドガーがクリスティアーナと婚約破棄をする為に、長期休みの前から生徒会室で側近達と相談して妙な動きをしているのを知り、人を使って探らせていた。
「あと……殿下が私に婚約破棄を申し出ると同時に、殿下が用意した偽造書類と、私が用意した反証の書類が国王陛下の手元に渡るように準備しておりました。すぐにでも国王陛下は、私と殿下の婚約破棄に応じてくださるでしょう。それと共に、新たな王太子として殿下の5つ下の弟君が内定することとなります。」
「は!?下の弟が?それはどういう意味だ!?」
「どういう意味も何も、エドガー殿下が王位を継ぐには、私との婚約が必要不可欠だったからです。私の協力があれば、公爵家の後ろ楯を保ち、王太子という地位を持ったまま婚約解消をすることも可能だったのでしょうが……。どうやら、都合の悪いことはお忘れのようですね?」
クリスティアーナの言葉で事の次第に気づいたエドガーは、顔色を青から真っ白に変えその場にへたりこんだ。
エドガーの母は侯爵家の出身の王妃であったが彼が3つの頃に亡くなり、国王は別の貴族の令嬢を新たな王妃として迎え入れた。
またエドガーの母方の祖父はエドガーが10歳になる頃に亡くなり、エドガーが王になるための後ろ楯が無くなってしまった。それを補う為に公爵令嬢であるクリスティアーナが婚約者となったのに、エドガーはそれを忘れていたようだった。
クリスティアーナはエドガーのいるステージに背を向けると、パーティーに参加していた全員に語りかけた。
「楽しい歓談の場を邪魔して、申し訳ありません。殿下に代わって謝罪いたします。まだまだパーティーは続きます。皆様、ごゆっくりお楽しみ下さい。」
クリスティアーナが口角を上げて微笑めば、誰とはなしに拍手の嵐が巻き起こった。彼女は友人達とフィオナに礼を言うと、会場を後にした。
クリスティアーナは会場を出て人の目がなくなると、スカートの裾を持ち、履いていたヒールをカツカツ鳴らしながら走り出した。
学園の中庭を駆け抜け、たどり着いたのは校舎の裏手にある花壇と木立に囲まれたベンチ。
街灯に照らされたその場所は、日中であれば木陰となり昼休みを過ごす生徒に人気の場所である。今は皆が講堂におり誰もいないはずの静かなその場所で、1人の男性が彼女を待ちわびていた。
「終わりました。やっと、婚約破棄できます。」
クリスティアーナがそう言って歩み寄った相手は、現国王の年の離れた王弟イアン。彼は王族としての地位を返上した後に一代限りの公爵の地位を得た後、クリスティアーナが通う学園の国語教師をしていた。
「ようやく……か。」
イアンがクリスティアーナを抱き寄せると、彼女はイアンの背に手を回した。
「それにしても、本当に俺は出なくてよかったのか?生徒会室からエドガー達の偽造書類を取ってきたのはこの俺なのに。」
イアンがクリスティアーナの耳元で囁くと、クリスティアーナはその吐息にくすぐったそうに目を細めて呟く。
「ええ。だって、裏切ったのが自分の大好きなフィオナだと知った方が、エドガーの精神的ショックが大きいでしょう?」
「……悪い子だな、君は。」
イアンはクリスティアーナのブルネットの髪を撫でると、その頭にそっと唇を寄せた。
クリスティアーナと恋仲であるイアンは生徒会の顧問をしており、生徒会室に自由に入れる存在であった。クリスティアーナはイアンを通して、エドガー達が準備した『クリスティアーナがフィオナを苛めた』とする偽造書類を手に入れていた。
よく落ち着いて考えればフィオナだけではその書類を手に入れるのは難しい。誰か手伝っている人物がいると見当がつきそうなものなのに、そこに考えが至らないあたりエドガーの考えが甘いのだ。
「そんな悪い子は、お嫌いですか?」
クリスティアーナがイアンの胸に埋めていた顔を上げて少し不安そうな表情を見せれば、イアンは彼女に優しく微笑み返した。
数日後、クリスティアーナが言った通り、国王の宣言によりエドガーの5つ下の弟が王太子として内定した。
エドガーは廃嫡となり臣籍降下、学校卒業後に他国の令嬢の婿となることが決定。クリスティアーナは学校卒業後、公爵家の婿としてイアンを迎え入れることとなる。
よくある婚約破棄ものを書いてみました。
長くなるので書きませんでしたが、クリスティアーナの友人4人は、エドガーの側近4人の婚約者です。
あの後エドガーに協力した側近4人は、彼女達に何をされたかは想像にお任せします。
一部表現を修正しました
【補足エピソード】
クリスティアーナはイアンと恋仲にはなっていましたが、王命で婚約していたので学生時代のみの(プラトニックな)束の間の関係と割りきっていました。ただ
エドガーがフィオナのことを気に入っている様子なので、エドガーとフィオナ、2人の気持ちが本当なら円満に婚約解消できないか思案していたところ、自分を陥れて婚約破棄をしようとしていたので動いた顛末が、この短編です。
ありがとうございました。