自称魔法使いと怪しい洋館
終礼のチャイムが鳴った。
校舎の開け放たれた窓からは、さようならの元気な声が溢れ、ランドセルを背負った児童が次々と校門をくぐって下校しはじめる。
高学年になると、完全下校の時間まで図書室に寄ったり、昇降口にランドセルを置いて、校庭で遊んだりとする児童もいる。
五年生の男子、ユウヤもそのうちの一人だ。彼は昇降口を素通りして、図書室に向かった。
図書室の中にはぽつぽつと人がいた。晴れの日はいつもだいたいこんなものだ。次の本を探していたり、席に座って何かを読んでいたり。
およそ図書室での過ごし方といえばそれが普通だろうが、ユウヤは、目立たない程度の早足で、気配をころして図書室の奥へと向かう。
奥の一面にある本棚は、黒板の前に置いてある。
もちろんこの黒板は使われていないので、背の高い本棚に完全に塞がれていた。黒板の出っ張りの分だけ、棚と壁との間に隙間ができていた。
誰にも見られていないことを確認して、その隙間に、ユウヤはするりと入る。
ここはユウヤの秘密の場所だ。
包み込まれるような狭い空間に、一人。けれど窓からの光や校庭にいる児童たちの声、図書室の物音は入ってくるので、孤独すぎずにちょうどいい。
友達がいないわけじゃない、特別一人になりたいというわけでもない。
けれど心地が良くて、ここで本を読むのが、ユウヤは好きだった。
ふと、この細長い空間の奥、つまり窓がわの壁を見やると、本が置いてあった。
（あれ？ なにか置きっぱなしにしてたっけな？）
そう思いながらユウヤは四つん這いでその本に近づき、手にとった。
自分が借りた本どころか、小学校の図書室には絶対に置いてないようなものだった。
古めかしくも立派な革張りの表紙の中はざらざらとした黄色みがかった紙。そこには小さな文字でびっしりとアルファベットが書いてあった。
この場所が自分だけのものではないことを少し残念に思いながら、物珍しい本をパラパラとめくってみた。英語ともちょっと違いそうだし、当然、ユウヤに読めるわけはない。
本から、はらりと何かが落ちた。メモ用紙のようだ。
『この本を拾った者は、ここに届けるように』
これは日本語で書いてあって、一緒に手描きの簡易な地図もついていた。
落とし物を持ってきて欲しい割には、横柄な態度だ。
けれどユウヤはまるで無意識に、メモと本を手さげカバンの中に入れた。
本棚の裏から少しだけ頭を出して、この場所から出るタイミングを伺う。
ほとんどの人は本の返却や貸出を済ませてしまえば図書室からいなくなるので、気づかれずに出ていくのはそう難しくない。
カウンターの前を通って図書室を出ようとする時だけ、「あら、いったいどこにいたの？」と司書の先生に聞かれた。
それには「すみっこの方？」とぶっきらぼうに答えて、ユウヤはさっさと学校を後にする。
なんだかとてもドキドキした。とんでもない秘密を抱えている気がして、胸元で手さげカバンを持つ腕に、ギュッと力をこめた。
学校から少し離れたところで、ユウヤはもう一度メモを見た。
地図を見るのは得意じゃないけれど、どこへ向かえば良いかはなぜかわかる気がした。
公園を抜けて、パン屋の角を左に曲がって、歯医者の角を右に曲がって……。
迷っているわけではないのにたくさん曲がって、時に同じ道をもう一度通ったりしながらたどり着いたのは、ユウヤの背丈をゆうに越える金属製の黒い門扉だった。
塗装のはげや錆は目立つけれど、佇まいは立派なその柵門からのぞくのは、いかにもといった古い洋館だ。
目的地はここだ、と直感でわかった。
到着したのは良いとして、だからといって訪ねるかどうかは別問題だ。
手さげを抱える腕にもう一度ぎゅっと力を込めながら、門を開けようか、チャイムを探そうか、声をかけようか、それとも引き返そうか、ユウヤは迷っていた。
（いや、それより、こんなところに人なんか住んでるのかな？）
その疑問を確かめるように二階の窓を見ると、ふわりとカーテンが揺れた。窓は閉まっているから、きっと中に誰かいるのだ。
「やあ、よく来てくれたね」
突然を声をかけられてユウヤは飛び上がった。キョロキョロと声の主を探すと、
「ここだよ、ここ」
と下から声が聞こえ、Tシャツのすそをひっぱられた。
門も開けずに、いつの間に外に出てきたのか。
──いや、二階にいると思った人とは別の人なのか。見ると、小学一、二年生くらいの男子だ。
もう夏休みも目前の今日、湿気も多く日差しも強いうだる暑さだというのに、引きずるほど長い黒いコートを着てフードをかぶるという奇妙な格好をしている。
ユウヤを見上げたその顔は、お客さんを歓迎しているとは到底思えない、しかめっ面だった。
「暑い！ いつまでここに突っ立ってるつもりなんだ？ 早く入れ！」
その勢いと偉そうな態度に圧倒され、ユウヤは「え？ え？」と声を漏らすのが精一杯。
何も言い返す間もなくあれよあれよと、洋館の中へと引きずり込まれた。
薄暗い洋館の中はヒヤリと涼しく、ボロボロの外装からは想像できないほど綺麗に整えられている。映画やアニメでしか見たことがないような、西洋貴族が住んでいそうな、そんな内装だ。
二階へと続く立派な階段を登り、ある一部屋に入ると、黒いコートの子どもはふぅとため息をついた。
書き物机と革張りの立派な椅子が出窓を背に置いてあり、部屋の中央には飾り木彫りのローテーブルとソファ。本がぎっしりつまった本棚が壁を覆いつくしている、そんな部屋だった。冷房がよく効いていて寒い。
「まあ、座りたまえよ、お客人」
「ああ、はい……」
言われるまま、ユウヤはソファに座った。家主らしき彼も向かいのソファに座り、フードをとった。
あらためて見ると、今まで流暢な日本語を話していたことが信じられないほど日本人離れした顔立ちの子どもだった。
肌は透き通るほど白く、髪は赤毛、緑の瞳をしている、など特徴をあげることはできるけれど、まずはともかく、美しいという言葉が似合う。
背はユウヤよりずいぶん低いのに、彼のほうがずっと大人っぽく見えた。
黒いコートの下にはワイシャツにベストまで着込み、赤と黄色の縞々のネクタイをしめている。
（部屋を寒くするくらいならその厚着をやめれば良いのに）と思いながら、Tシャツ一枚のユウヤは震えた。
「僕様はケヴィン、魔法使いだ！」
ソファにふんぞり返った彼の口から放たれた自己紹介で、ここまでの全ての出来事に混乱していたユウヤの脳みそに、トドメが刺された。
「ええっと、ぼくは何から質問したらいいのか……。いろいろ聞きたいことや言いたいことはあるんだけど……」
「僕様が名乗ったのだ。君もまずは名乗るのが礼儀だろう？」
「……ユウヤ」
「そうか。ユウヤ！ なあ、この格好はどうだ？ 映画を参考に、かの有名な魔法学校の制服を着てみたんだぞ？ どこから見ても魔法使いだろう？」
「ああ、どこかで見たことがある服装だって気がしたのは、そういうこと……」
（──いや、だからって！）
ユウヤはすかさず、心の中でツッコミを入れる。
テーマパークでも売ってるような衣装を着たから魔法使いなんだって、そんな乱暴な話はない。
「ユウヤ、君が来てくれて嬉しいよ。さあ、お茶にしよう。ゆっくりと語らおうじゃないか」
ケヴィンはコートのたもとから得意げに棒を取り出すと、すいっと振ってみせた。
目の前のローテーブルの上に、ケーキやスコーン、サンドイッチの乗った三段がさねのケーキスタンドや、ジャムやバターの小皿、ポットとティーカップが手品のように現れる。
「えっ？ 本当に魔法使いなの？」
「なんだ、信じていなかったのか」
「普通、信じないよ」
「そういうものか？ なるほど、そうなのかもしれないな」
勧められるままに美味しい紅茶をすすって、ケーキや、ジャムのついたスコーンをいただき、ユウヤはすっかり腰を落ち着けてしまった。
ケヴィンから紅茶の銘柄や茶菓子の説明を聞き「甘くておいしいね」などと笑いあいながらの優雅なティータイム……──。
「そうだ！ 何をしに来たか、すっかり忘れてたよ！ 本を届けに来たんだ！」
ユウヤはハッとしたように手さげカバンに手をつっこんだ。
ケヴィンは、差し出された古い本を受け取った。
「ええと……ああ、この本は。どこか初等学校の本棚の裏に落としておいたものだな。置いた僕様がいうのもなんだが、よくもまあ見つけたもんだ」
「いや、別に……偶然……」
本棚の裏によくこもっていると説明するのは、なんとなく恥ずかしくて、ユウヤはモゴモゴと言いよどんだ。
「狭いところが好きなのか。ならば、ひとつクローゼットを空にして君の部屋にでもするかね？ あいにく他の部屋は広いからな」
「いらないよ！ 別に狭くないといけないってわけじゃないし！」
「君にはこれから、この屋敷に通ってもらうことになるのでね。必要ならば快適な部屋も用意しよう。紅茶とお菓子は飲み放題、食べ放題だ」
「いったい、なんの話？」
「君は夏のあいだ、僕様の遊び相手に選ばれたのだよ。光栄だろう？」
「光栄って……。それって、友達になろうっていうこと？」
「厳密には違うが、それで理解が早いならそれでも良いぞ？」
完全にケヴィンのペースで、強引に話がまとまっていく。
ユウヤはあっけに取られながらも、最後には大笑いをした。
このひと夏がどうなるのだろうとワクワクした気持ちが、なによりも大きくなったのだ。
ユウヤが急に笑い出したものだから、次にあっけに取られるのは、偉そうな僕様の番となった。
ケヴィンはひとつ咳払いをすると、あらためてユウヤにまっすぐ視線を向ける。
「ともかく、君を歓迎するよ。この屋敷は、僕様の夏の間の仮住まい、いや別荘……いいや、もっといい言い方はないかな？」
自称魔法使いケヴィンは、整った顔をニヤリといたずらっぽく歪ませ、握手を求めるように右手を差し出した。
「ようこそ、僕様たちの秘密基地へ！」
お題は「秘密基地」でした！
