バブル
「あ・・・お、お帰りなさいユーリさん!」
ギルドの扉を潜り、その中へと足を踏み入れたユーリに浴びせかけられのは、トリニアの無理に作ったような明るい声と突き刺さるような好奇の視線だった。
「おっ、噂のがっかり騎士の御帰還だぜ」
「おいおい、マジで万霊草の採取なんてやってるよ。信じられねぇ~」
「あんな誰でも出来る仕事やってもなぁ・・・本当、がっかりだぜ」
彼らの視線は、ユーリが抱えている籠に注がれている。
彼らはそこに噂されている通りのものが山積みされているのを目にして、口々に失望の声を漏らしていた。
「これ、お願いします」
「納品ですね、分かりました!わぁ、こんなにたくさん!凄いですね、ユーリさん!」
背後から漏れ聞こえる溜め息の数々に、ユーリは肩を縮こめる。
そんな空気を打ち消すように、トリニアは努めて明るい声を上げると両手を元気よく合わせていた。
「トリニア、駄目よ。受け取っちゃ」
「え?でも・・・」
しかしユーリから受け取った万霊草を早速清算しようとしていたトリニアを、レジーが冷たい声で制止する。
「困るんですよねぇ、ユーリさん。万霊草の採取なんて、駆け出しの冒険者のための仕事なの。そのためにギルドからしたら大してお金にもならないこんな依頼をずっと張り出しているんです。それを貴方みたいな実力のある人にやられちゃうと、こちらが一方的に損をするだけ・・・分かります?」
「は、はぁ・・・」
レジーはこんな依頼をユーリのような人間にやられても困るのだと、ニッコリと笑みを作りながら口にする。
その得も言われぬ迫力に、思わずユーリは頷いてしまっていた。
「分かってくださいます?でしたら当然、この依頼辞退してくれますわよね?」
言質を取ったと、レジーは手を合わせユーリにこのまま帰れと告げる。
その目は冷たく、彼の事を見下していた。
「そ、そんなの駄目ですよ!!」
「どうして?向こうが辞退すると言っているんだから、問題ないでしょ?ギルドの規定に抵触してもいないと思うけど?」
ユーリに冷たく圧力を掛けるレジーの前に、トリニアが両手を広げて立ち塞がる。
しかしそんな彼女にも、レジーは理路整然と言葉を並べ自分は間違っていないと主張していた。
「そ、それは・・・も、もう私が受け取っちゃいましたから!!ほら、もう清算も終わりです!ユーリさん、これが報酬ですから!もう帰られても大丈夫ですよ!!」
「えっ?あ、は、はい!」
レジーの理屈に押し込まれ口籠るトリニアは、ユーリから受け取った万霊草の清算を手早く済ませると、彼に報酬の硬貨を渡してしまう。
そんな彼女の振る舞いに呆気に取られるユーリは、そのまま押し出されるようにして帰路についていた。
「どうですか!?まだ何かありますか、先輩!?」
「・・・ないわよ。あーぁ、こんなのお金出しちゃって。ただでさえ経営が苦しいのに・・・」
「うっ!?で、でも!もしかしたこれが急に高く売れるかもしれないじゃないですか!?」
「ないない。こんなどこででも採れる草、碌に売れる訳ないじゃない。ましてや高値でなんて」
万霊草、百薬の元とも呼ばれる薬効が著しく高い野草。
その名の通り、ほとんどの薬に原料として使用されるというほど高い需要を持つ野草であったが、反面その強い生命力でどこにでも自生し大量に採れることから、その取引額は常に安値であった。
そんな高値で取引される訳のない万霊草、しかしその野草にはもう一つ顕著な特徴があった、それは―――。
「すみません。ここに、万霊草が売っていると聞いたのだが・・・?」
「あ、万霊草ですか?それなら今丁度ここに―――」
「あるのか、本当に!!?あ、あるだけだ、あるだけくれ!!金なら幾らでも払う!!!」
環境の変化に敏感で容易に大量発生し、時に大量死滅もするという事であった。
「えっ、えっ!?幾らでも払うって、この万霊草にですか!?」
「そうだ!どれだけ出せば売る?一万か、二万か?そこにある分なら、十万でも出すぞ!!」
万霊草を求めて現れた商人に、それが売れる訳がないと口にしていたレジーへとドヤ顔を見せていたトリニアはしかし、その商人の余りの勢いに今や慌てふためいていた。
「十万!!?ちょ、ちょっと待って!?こんなどこででも取れる草に十万!?分かってます?これ、ただの万霊草ですよ!?幻のエリクシル草とかじゃなくて!?」
そしてそれに慌てふためいているのは、何もトリニアだけではない。
彼女の背後からレジーが大慌てで身を乗り出し、周囲のギルド職員や冒険者達も驚きの表情のまま固まってしまっている。
「・・・万霊草だから、こんな大金を払うのだが?何だ、知らないのか?世界的に万霊草が全く採れなくなっている事を」
「・・・全く採れない?万霊草が?」
「そうだ。私も知り合いの商人から話を聞いて、半信半疑でここにやってきたのだが・・・まさかこんな量の万霊草が見つかるとはな、独自の仕入れルートでも持っているのか?まぁいい・・・まさに金塊だよ、これは」
自らの荷物から大量の硬貨の詰まった袋を差し出し、商人は万霊草が詰まった籠を受け取る。
そしてそれを赤子のように愛おしげに抱きしめた彼は、それを丁寧にしまって去っていく。
「おいおいマジか!?十万マルツなんて大金・・・凄いじゃないか、トリニア!!」
「えっ!?そんな私は何も・・・」
「いやいや、お前がさっきちゃんと受け取ったから取引出来たんだろ?お手柄だよ!!」
「そうよ!よくやったわトリニア!これでギルドの財政もだいぶ立て直せるはずよ!それに引き替え・・・」
嵐のように騒動を巻き起こした商人がいなくなると、一瞬の沈黙が訪れる。
しかしそれはすぐに大騒ぎへと変わり、歓声を上げるギルド職員達がトリニアの周りへと集まってきていた。
彼らは口々に今回の事はトリニアのお手柄だと褒め称え、逆にそれを台無しにしようとしていたレジーへと冷たい目線を向ける。
「す、過ぎた事はもうどうでもいいでしょ!?それよりも未来に目を向けるべきじゃないかしら!!万霊草の在庫ならまだあったはず、それを売れば―――」
「あ、それなら前に来た商人さんに全部売っちゃいました。定価で」
「はぁ!!?」
周りから一斉に責められたレジーは、話題を逸らすことによってその追及から逃れようとする。
しかし彼女が口にしたその提案は、あっけらかんと笑いながら頭を掻いている若いギルド職員があっさりとぶち壊しにしてしまっていた。
「何でよ!?何で定価で売っちゃったのよ!?全然取れなくて貴重だって、高騰してるって知ってるでしょ!?それなのに・・・!!」
「いや、その時は知らなかったですし。でも今思えば、あの太っちょで人の良さそうな商人さん、そのこと知ってて買いにきたのかなぁ・・・何か在庫があるって聞いて驚いてたし」
「完全に知ってたに決まってるでしょ、それ!!何でその時に聞かないのよ!!?」
「あははは、何ででしょうねー?」
「あー、もう!!あー、もう!!」
レジーに首根っこを掴まれ、激しく揺すられてもその若いギルド職員はのんびりとした態度を変えない。
そんな彼の態度に怒りのやり場をなくしたレジーは、激しく地団太を踏んではそれを発散していた。
「ふふふ・・・まぁいいわ。とにかく万霊草がお金になる事が分かっただけでも収穫よ!!あのがっかり騎士にだってあれだけ採れたんだから、他の冒険者に取れない訳がないわ!!うちに所属する全ての冒険者に呼び掛けましょう!万霊草、一斉収穫キャンペーンを張るのよ!!!」
「おぉ、いいなそれ!!」
「手の空いてる職員にも呼び掛けて、皆で行きましょう!!」
レジーの提案に、盛り上がるギルド職員達。
そんな中で一人、トリニアだけがどこか不安そうな表情を浮かべていた。
「そんなにうまくいくのかな?だって、全然取れないからこんなに高騰していたのに・・・」
万霊草が高騰したのは、それがそれだけ採れなくて稀少になったからだ。
それを思えば、そう簡単に事が運ぶとは思えない。
そう一人呟いたトリニアは、ある事実に気付き顔を上げる。
「あれ?だとしたら、ユーリさんはどうやってあんな量の万霊草を・・・?」
ふと思い浮かんだ疑問に、トリニアは視線を向ける。
そこにはもう、ユーリの姿はどこにもなかった。