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ヘイニー・ユークレール

「ま、待て!話せば分かる!!」


 そう口にしながら手を伸ばし後ずさったユーリは、その背中を背後の机へとぶつけていた。

 衝撃に机の上に置かれていたコップが倒れ、その中身がぶちまけられる。

 机の縁を伝い床へとぶちまけられたそれは、そこに散乱していた書類に吸い込まれる。

 見ればその部屋の中には、まるで激しく争い合ったかのように書類がばらまかれていた。


「・・・問答無用」


 緊張した空気の室内には、しばらく掃除をしていないのか埃が舞っている。

 それが窓から差し込む朝日に、キラキラと輝く。

 そしてユーリの首筋には、それ以上に輝く剣先がぴたりと突き付けられていた。


「これ以上は我慢なりません!今すぐお休みください、マスター!」


 そうしてユーリの首筋に剣先を突きつけているエクスは、叫ぶ。

 自らの主人を何が何でも休ませようという、強い決意をその瞳に宿らせて。


「い、嫌だ!!」


 ユーリはその言葉にエクスから背を向けると、彼女から庇うように机の上に積み上げられていた仕事の山を抱きかかえていた。


「いけません、マスター!!一体何日、休みなしで働き続けていると思っているのですか!?いい加減、お休みください!!」

「あ、あともうちょっとだけ!あともうちょっとだけだから!この山を終わらせたら休むから!な?それならいいだろ、エクス?」

「駄目です!!!貴方はそう言って、何度約束を破ったかもうお忘れですか!?今度という今度は許しません!!必ず休んでいただきます!!」

「うわー!?嫌だ嫌だー!!俺はこの仕事をするんだー!絶対するからなー!!」


 書類の山へと抱き着いてはそこから離れようとしないユーリを、エクスが無理やり引き剥がそうとしている。

 目の前の事務仕事に夢中で完全に仕事中毒になっているユーリと、そんな彼を傷つけないように引き剥がそうとしているエクスの争いは絶妙のバランスで成り立っており、いつまで経っても終わりそうはなかった。


「な、何事ですこれは!?と、とにかく二人ともいったん落ち着いて!!」


 そこに人の良さそうな紳士が現れると、慌てて二人の間へと割り込んで彼らを制止する。


「ユークレール様!?私は何も恥じ入る事などしておりません!全て、頑なに休もうとなさらないマスターが悪いのです!」

「ち、違うんですヘイニーさん!俺は悪くありません!!俺は任された仕事を一生懸命こなしてただけなのに、エクスがそれを止めて休めって言うんです!!おかしいと思いませんか!?」


 ヘイニーと呼ばれた男に引き離された二人は一旦は落ち着くが、すぐに再び興奮し始めると互いに意見を主張する。


「まぁまぁ、エクスさん。ここは私に任せて、貴方は自分の仕事を」

「むっ・・・ユークレール様がそう仰るなら」


 お互いに自分は悪くないと主張する平行線に、ヘイニーはまずはエクスの説得を試みていた。

 この場を任せてほしいと口にする彼に、抵抗すると思われたエクスは意外にもあっさりと引き下がる。


「では、私は騎士達の調練へと戻りますので。ユークレール様、後の事はよろしくお願いします」


 ヘイニーに一礼してこの場を去ろうとするエクスは、これからの予定について口にする。

 それを耳にした誰かの悲鳴が部屋の扉の向こうから聞こえ、それらの主はどうやら慌ててその場から逃げ出そうとしたようであった。

 しかしすぐに再び響いた悲鳴に、それがどういった結末を迎えたかは見るまでもなく明らかであった。


「ふふん、正義は勝つのだ」


 立ち去ったエクスに、ユーリは彼女を見送りながら勝ち誇った表情を浮かべている。


「ユーリさん、貴方も貴方ですよ?彼女が言うように少しは休みを取るべきです。一体いつから身体を洗ってないのですか?後でお湯を用意させるので、それで身体を拭いてきなさい。その間にこの部屋も一度掃除させます」

「えっ!?で、でも仕事がまだ・・・」


 そんなエクスに、ヘイニーは冷や水を浴びせかける。

 淡々としたその言葉に、てっきり彼は自分の味方をしてくれるものと考えていたユーリは、虚を突かれたような表情を見せると思わず言い淀む。


「い・い・で・す・ね?」

「はい・・・」


 しかしそれもヘイニーには通じず、彼はニッコリとした笑顔のまま圧を掛けてきていた。

 その圧力にはもはやユーリも何も言い返せず、ただ黙って頷くことしか出来なかった。


「しかし不思議なものですね・・・あの時娘を助けてくれた方々と、こうして一緒に過ごす事になるなんて」


 床に倒れたままであったコップを拾ったヘイニーはそれを机の上に置き直すと、そのまま窓際にまで歩いていく。

 そこにはこの館の中庭で楽しそうにはしゃいでいる彼の娘オリビアと、ネロとプティの姿があった。


「それには感謝してもしきれません、ヘイニー・ユークレール公爵様」

「ははは、そんな堅苦しい呼び方はよしてくださいよユーリさん。公爵といっても名ばかり、単に歴史が長いだけの家ですよ」


 ヘイニー・ユークレール、彼はユーリ達が誘拐から救い出したお嬢様、オリビアの父親であり、最果ての街キッパゲルラの領主でもあるお方であった。

 そして彼の家であるユークレール家は、ユーリの家であるオブライエン家と同じ、四大貴族の一つでもあるのだ。


「いえいえ、そうは言われましても。庶民の身では、とてもとても・・・」

「ははは、それこそ詮無き事じゃありませんか。ユーリさん達とは既に家族も同然、それに余計な気を遣わせるなど・・・それに貴方がたは娘の命の恩人、寧ろ本来はこちらこそへりくだるべきでしょう。ユーリ様をお呼びしても?」

「それは・・・困りますね」

「でしょう?ならば、お互い気を遣わずやっていきましょうではありませんか!実の所、私としてもこの方が楽でしてな。はっはっはっは」


 そして彼は、ユーリがそのオブライエン家の者であることを知らなかった。

 リグリア王国の王都近郊で主に活動しているオブライエン家と、その最果てであるキッパゲルラを住処としているユークレール家。

 四大貴族と並び称されていても、実際には天と地ほどもある力の差に、その二つの家は交流も乏しかった。

 そして何よりユーリは余り社交界に出ることを好まず、引きこもって事務仕事ばかりに勤しんでいたため、こうして姓を変えてしまえばその顔を知っている者はほとんど存在しないのだった。


「それにしても・・・ユーリさん達を誘いに行ったとき、あの時にはこんな風になるとは思ってもいませんでしたなぁ・・・」

「本当ですねぇ・・・」


 窓の外へと視線を向け、しみじみと当時の事を振り返るヘイニーに、ユーリも横に並ぶと同じように視線を向ける。

 そこには、楽しそうにはしゃいでいる彼らの娘の姿が、

 そして遠くからは、ヘイニーの部下である騎士達が上げる苦悶の声が響いてきていた。

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