左翼指揮官ユーリ・ハリントン
「ひ、ひぃぃぃ!!?あ、あんな大軍に勝てる訳ないだろぉぉぉ!!!」
迫るこちらの倍はあるかのような大軍の姿に、左翼の指揮官ボロア・ボロリアは情けない悲鳴を上げながら一目散に逃げだしていた。
「やれやれ・・・では皆様、後の事はお願いいたします。あんな主でも私には大事な坊ちゃまですので。坊ちゃまー、お待ちくださーい!!そちらは毒蛇が出ますよー」
「ど、毒蛇!?うわぁ!?セ、セバス!早く、早く助けろー!!」
逃げていくボロアの姿にセバスは肩を竦めると、こちらに向かって深々と頭を下げる。
そしてボロアが驚き転んでしまうようにわざと声を上げたセバスは、割とのんびりとしたペースでその後を追って駆けていくのだった。
「・・・何がしたかったのかしら、あの子?」
「さぁ、別になんだっていいじゃねぇですかい?あんな奴がいなくたってこっちにゃ・・・」
「えぇそうね、こっちには―――」
任された役割を放棄し慌ただしく去っていくボロア達を見送りながら、シャロンは頬に手を当てては首を傾げている。
その横には肩を竦めるエディと、いつものように腕を組んだままむっつりと押し黙っているデズモンドの姿があった。
一軍の指揮官が敵前逃亡する、そんな重大な事態を目撃しながら彼らの顔に悲壮の色はない。
何故ならば彼らには、もっと頼れる指揮官がいたからだ。
その名は―――。
「ユーリちゃんがいるもの!」
「兄さんがいやすから!」
ユーリ・ハリントン、彼らが頼れる指揮官だ。
シャロンとエディは同時に振り返り、その名を呼ぶ。
その先には彼らの指揮官、ユーリ・ハリントンの姿があった。
「あわ、あわわわわ!?ど、どうしよう!?あ、あんな大軍相手に、ど、どうすれば!?」
ただし、先ほどのボロアと同様に、いやそれ以上に取り乱した姿で。
「ちょっと!?もぅ、この子は・・・ほら、しっかりしなさいユーリちゃん!」
予想だにしないユーリの姿に、シャロンとエディの二人は言葉を失い固まってしまうが、シャロンはその硬直からいち早く立ち直ると、ユーリを落ち着かせようとその肩を掴む。
「はっ!?シャ、シャロンさん?」
「どう、少しは落ち着いた?」
掴んだ肩を軽く揺すりその目を覗き込んだシャロンに、ユーリは正気を取り戻す。
「はい・・・でもシャロンさん、落ち着いたところであんな大軍相手じゃどうしようも」
「あら?でもあたし達、これまでもずっと勝ってきたじゃない。いつもと同じようにやればいいだけでしょう?」
シャロンの瞳は確かにユーリに正気を取り戻させた、しかしそれは事態の解決を意味してはいない。
ユーリは相変わらず迫る大軍に竦み、俯いてしまっていた。
「その時と今じゃ敵の大きさが全然違うじゃないですか!?あんな大軍、今まで一度だって・・・」
「そうね。でもあたし達も以前までとは違うでしょ?ほら」
「えっ?」
あんな大軍、今まで一度も相手したことがないと怯えるユーリ。
そんな彼に、シャロンは背後を示していた。
「おい、命令はまだかよ?敵がもうそこまで来ちゃってるぞ?」
「それが指揮官が逃げたってよ」
「指揮官が!?やばいじゃねぇか・・・って、ボロアの方かよ。なら安心だな」
「なぁ、ユーリ・ハリントンつったか?俺達を助けてくれた時みたいに、あの魔法みたいな指揮をもう一度見せてくれよ!皆、あんたの命令なら聞くからさ」
そこには彼の、ユーリの指揮を待つ部隊の面々の姿があった。
それらは以前に彼らの部隊、懲罰部隊が救援に向かった部隊の者達であった。
例え一度だけでも、ユーリの能力による魔法のような指揮を見た彼らには絶対の信頼があった。
ユーリ・ハリントン、彼が指揮を取れば絶対に負けないのだと。
「皆さん・・・分かりました、俺頑張ります!!うおおぉぉぉ!!!」
ユーリからの命令を待つ、それぞれの部隊の指揮官達。
その信頼の瞳は、ユーリを勇気づけるには十分のものであった。
立ち直った彼は、すぐに手元で何事かを書き上げ始める。
その能力を使って書き上げる、この戦場全ての情報を。
「全く、手間が掛かるんだから・・・それじゃ、後はよろしくね」
「あぁ、任せろ」
立ち直ったユーリの姿に、シャロンはエディとデズモンドを連れたってその場を離れる。
そして彼らと入れ替わるようにして、ユーリの情報をもとに全軍を指揮するシーマスが彼へと近寄っていく。
「さぁ皆!ユーリちゃんが復活したからにはもう心配いらないわ!!あんな敵ちゃんなんて、けちょんけちょんにやっつけちゃうんだから!!」
ユーリが書き上げた情報へと目をやり、作戦を考えるシーマス。
その姿へと一瞥をくれたシャロンは、左翼の全兵に向かって声を張り上げると、堂々と勝利を宣言していた。
「今度こそ、今度こそ手柄を上げるんだ。そうすればユーリにあたいを・・・」
シャロンの声に応え、雄たけびを上げる兵士達。
その声は明るく、誰一人勝利を疑ってはいなかった。
そんな兵士達の中で一人、炎のように真っ赤な髪をした彼女だけが何かに取り憑かれたように、ぶつぶつと何事かを呟き続けていた。




