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43/136

43,ついに私たちはそれを目撃する。

 


「準備はいいか。こんな騙し討ちのような依頼に、命を懸けるつもりは持たなくていい。が、俺たちはSランクパーティ疾風団だ。その誇りに懸けて、やるべきはやる」

 お師匠様の決意表明に、私たちは静かにうなずいた。


 依頼人から、完全に騙された訳じゃない。

 ただ、相手が隠していた情報カードが多すぎるだけ。

 それを不快だと一蹴するのは簡単だけれど、できませんと最初から投げるのも違う気がするんだよねぇ。


 だってウチ等は疾風団。

 Sランクパーティなのだ。

 お師匠様の後ろについていけば、出来ないことなんで何もないんだから。




 昨日のあの後。

 トゥルートさんは、他には何も教えてくれなかった。

 ただ、綺麗な笑みを浮かべたまま、黙って自分の部屋へと戻っていってしまった。


 追っていって問い詰めようとしたんだけど、それはお師匠様に止められた。

「ああいう表情をした人間に問い詰めても無駄だ。殺されようとも、口を割ったりしない」

 ”殺されそうになっても”、じゃなくて、”殺されても”、口を割らないって、一体。

 お師匠様にそこまで言われて、騒ぎ立てる気にはならなかった。


「あの男が嘘を言っているようには見えなかった。だが、暦司の情報が間違っているとも思えない。だが、依頼達成のチャンスがそこにあるというならば、俺たちはそれを掴む。その努力を怠ることだけはするな。今回の件については明日がカギだ。今日はもう寝ろ」

 お師匠様のその言葉を最後に、私たちは寝ることになったのだった。



 そうして、そのカギとなる日、この島にしては珍しく、朝からまだ地響きも、地震も、そうして噴火もしていなかった。

 日が昇り始める前に食事を済ませ、装備を身に着ける。

 本当に今日中に金環日食が起こって溶岩鯨の出産が始まったとしても、島のどこに出産を終えた母鯨が落ちてくるのか、幾つの龍涎香(アンバーグリス)が出るかも分からない。

 だから、島を3等分した地点に分散して待つことにした。


 出産を確認した後、落ちていく母鯨を目視できない場合は左周りに移動、捜索するということも確認し合った。

 ただし、噴火に巻き込まれそうな場合は、なによりその場から離脱することを優先すること。

 協力する相手が傍にいない可能性も含めて、より慎重に行動すること。


 なにより、「目の前に龍涎香(アンバーグリス)が転がっていようとも、命と天秤に掛けるな。その時は逃げること、背を向けることを躊躇うな」ですって。

 グッと来た。

 ウチのリーダー、恰好良すぎませんかね?



 と、いう訳で。

 一番下っ端で使えないヤツである私が、一番神殿に近い場所に配置された訳なんですよ。


 それはありがたい。

 でもそれよりなにより、だ。


「今日の、何時ごろから開始なんだろ。だいぶ陽が昇ってきたよねぇ」


 私の身長よりずっと高い溶岩の壁の上。

 そこによじ登って、その時を待っている訳なんだけどね。

 あまりに変化のない状況に、困惑するばかりだ。


 今日は、この島に上陸してから一番の快晴といっていいんじゃなかろうか。

 だって雲がかかっているのは山頂付近のほんの少しだけだ。

 そこだけ、後ろに見える青空とのコントラストのせいかいつもよりずっと黒い雲が居座っている。

 山頂に掛かる黒い雲を除けば、青い空に浮かんでいるものといえば、明るい太陽、そうして離れたところに、真昼の透き通るような青い月だけ。雲一つ、なんなら飛んでいる鳥一羽見つけることは出来ない。


 それにしても。日食って、月と太陽の軌道が並んで、太陽が月の後ろに見えた時に起こるんだよねぇ。

 あんなに離れたところにあるのに、あと数時間したら重なって見えるものだろうか。

 これって、トゥルートさんに担がれちゃったのかなぁ。でも。


『あの男が嘘を言っているようには見えなかった』

 お師匠様が、そう判断した。

 ならば、一番弟子としてはその言葉を疑う訳にはいかないのですよ!


「うん。気合入った」

 私は、できるだけ大きく背伸びをした。



 …………。


 静かな怒れる神々の山なんて、ひと月滞在していて初めてだ。

 静かすぎて、何もなさ過ぎて、時間が経つのが遅すぎる。


 太陽がずっと同じところにいる気がする。

 流れていく雲の形さえ、変わらなく見える。

 

 まだだろうか。

 本当にそれは起こるのか。


 わからないことだらけで、頭の奥がジリジリする。


 …………。



「ダメダメ。集中を切らしてヘタをこく訳にはいかないんだってば」

 もう何度目か分からないけれど、背筋を伸ばしたりして軽く身体をほぐしては、心を入れ替えて山頂を見上げる。


 …………。


 でもね?

 人間、そんなに長く緊張し続けてはいられないものなのだ。

 小学校の授業が45分なのは、人が集中していられるぎりぎりの時間だって聞いたことがある。

 そこから長い授業時間に耐えられるように訓練を重ねて、大学の授業は90分になるのだと。

 つまり、どんなに訓練しようとも、丸一日は無理ということだ。



「うー。そろそろお昼になっちゃうかな」

 手を翳して、正午を示す、真南に差し掛かろうとしている太陽を見上げる。


 その時だった。


 ず、ずずずずずずずずずず


 神殿がある筈のそこから、黒いなにかが湧きだした。

 濃い黒い霧のようなもの。

 ううん。濃色の霧。

 トゥルートさんの髪の色。


 おもわず神殿に向けて走り出そうとした足が、大きな地鳴りに驚いて止まる。

 地鳴りはそのまま大きくなって、細かな振動となり、地震となって、私を揺さぶった。

 見回しても、何も見えない。誰も傍にはいないのだ。

 ハッとして空を見上げる。

 そこにある太陽と月の位置は先ほど確認した時と、変わらずそこにあった。


 ただし、先ほどとは確実に違うものが、そこにあった。

 濃色の霧が、細く高く、太陽に向かって伸びていく。

 異様な光景から、目が離せなくない。動けない。


 そうして、私の動かせない視線の先で、ついにはその濃色の霧は、濃い陰を生んで、太陽の光をこの世界から遮る。

 暗くなっていく世界。

 その時だ。


 ドドドドドドドーーーーン

 

 ついに、それが、私たちの前に、姿を現した。



 黒い体躯に、紅蓮の炎を身に纏い、うねるように空へと跳ねた。

 水面を飛び跳ねる魚の様子を「ライズした」というらしいけど、正にそれだ。

 火口という水面を跳ねる鯨。


 クジラか、あれ?


 太く丸みを帯びた胴、ひれになった手と足、鰐に似た大きく開く口には、鋭くてギザギザがついた歯というか牙が何重にも生えているのが、遠目にもわかる。

 それは、私が知っている他の生物にそっくりだ。

 博物館に飾ってあった、海竜の標本。もしくはそのCG。

 生きた海竜が、私の目の前で暗い空を飛び跳ねていた。


 夜の闇とは違う、薄いベールに包まれてしまったような、不思議な暗さに満ちた真昼。

 金色の輪だけが、照らす微かな明かりの下で、その大きな体躯をくねらせて、身体に纏わりついた溶岩を飛び散らせながら、空をライズする溶岩鯨。


 巨大な体躯を捩りながら、ひと際大きく跳ねあがると、その丸く膨れていた胎から、それは、ずるりと生れ落ちた。


 絡み合う、大小2つの体躯。

 ううん。まだそのふたつは、厳密にはひとつだった。

 細い、とても細いなにかで、まだ繋がっている。

 寄り添うように、最後の瞬間ぎりぎりまで、心を通わすように、踊るように、それは暗い昼間の空をライズしていた。


 その幻想的な光景に、私の視線はクギ付けになった。



 それが、襲ってくるなど、思いもせず。


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