4,運命の選択はその場の勢いで突然に
「とりあえず、すこしだけ考えさせてくれとは言えたものの。どうしようかな」
宿に戻って、ひとりベッドに転がった。
あの日から、ゼン様は必ず、私と隣になる部屋を取ってくれている。
さすがに同室はないけど。それでもそれがどれだけ安心できるか。
でもこれも、永遠に続けて貰える訳じゃない。
あの後、ユンさんから教えてもらったゼン様の偉業はそれはもう本当に凄くて。
冒険者登録から最速最年少でSランクに到達したということすら私は知らなかった。
ドラコン単独討伐、ある国のクーデターから王様を助け出した話、未踏破ダンジョン制覇数No.1等々。
『まぁウチも噂で聞いただけの話やから実際とは違うんかもしれんけどねぇ』
そう言いながらも、伝説クラスのSランクハンターについての噂話は冒険者なら誰でも夢見るようなお話のようで、ユンさんの語るゼン様の冒険譚は尽きることはなかった。
『でもそんな伝説級ハンターの荷物持ちさせて貰ろてるなんてなぁ。奇跡やん。ええなぁ。こりゃ、スカウト失敗かぁ』
あはははは、とユンさんは笑っていたけれど、私は同じテンションで笑えなかった。
ユンさんの申し出はとても嬉しかった。
渡りに船ってこういうこと? って思わなくもない。
でも。
「……ゼン様は、どう思うかな」
この申し出を受けるとゼン様に言ったとして、嫉妬してくれるだろうか。
「…………無いな」
即座に自分で却下する。アリエナイ。
では、寂しそうにお祝いを言われる? それとも、ホッとした表情をされる?
「!!!!!!」
その表情を思い浮かべただけで、胸がぎゅっと苦しくなった。
嫌だ。そんな表情は見たくない。でも。
「見たくないけど、でも多分きっと、ホッとされるんだろうなぁ……」
口に出してみればそれが事実であるような気がさらに増して、私はさっき思いがけない祝福を受けた時に流したうれし悔し涙とは違う、もっとずっと苦しい涙を流し続けた。
「いい度胸だな。荷物持ちごときが雇い主様より遅く来るとは。しかも、なんだその顔は。いつにも増してブサイクだな」
ううう。ヒドイ。ヒドイのは私の今の顔か。
あのまま泣きつかれて寝てしまった私の顔は、はじめてのアルコールと暴食もあって、むくみにむくんでいた。
特に目が。むくみ過ぎて視界が狭い気すらする。糸目か。
「どうした? 体調が悪いなら部屋で寝ててもいいんだぞ」
その口調は荒っぽくて突き放されたような気持ちになるけど、顔を見せろと顎を掴む手と覗き込んでくる瞳は優しくて、つい誤解したくなる。
不思議な緑色の瞳。でも、どんな宝石よりキレイ。
大丈夫。誤解は誤解だって知ってる。わかってる。
だから一歩後ろに下がって、その視線と手を避けた。
「どうした?」
「……昨日、Dランクになりました」
「そうなのか。言えば祝いの一つでもくれてやったのに。今からでも何か欲しいものがあれば言え」
でも体調悪いなら祝いは後日かな、なんて呑気に言われて胸が苦しくなる。
『何か欲しいものがあれば言え』
昨夜、そんなことを言われたら、勘違いした図々しいことを言っていたと思う。
『ゼン様のパーティに入れてください』
恥ずかしげもなく強請って、困惑させていたに違いない。
この世界のことなんて何も知らない、Dランクなりたてのビギナーの癖に。
伝説ともいわれたSランク冒険者様と一緒にいる資格をくれと強請ろうなんて。
なんて身の程知らずだったんだろう。
「Cランクパーティ轟雷団から入団しないかと、誘われて、います」
俯いたまま告げた言葉が、だんだんと小さくなる。
恥ずかしい。
この言葉を言っているのだって、もしかしたら引き留めてくれないだろうかと願っているからだなんて。
身の程知らず。
わかってるって、わかっているって知ってる。分かっているのに。
「そうか。良かったな」
分かっていたけど。ぐりっと頭を撫でられた、その手の優しさが苦しかった。
「お、世話に、なり、ました」
顔を上げられないまま、そのまま頭を限界まで下げる。
人生で、誰かに向かってこんなに深く頭を下げたことなんて、たぶん、無い。
「おぉ。いつか俺より金持ちになったら恩返しに来いよー」
やめて。そんな絶対にアリエナイ再会を持ちかけるのはやめて。
「あー。でも、あれな。あれだけは、絶対にばらすなよ? ちゃんとケアもしとけ。今日はその顔を誰にも見られるな。新しい仲間に会うのは体調がよくなって、アレが使えるようになってから、な?」
俺の手持ちにある分は全部祝儀としてくれてやるけど、それが尽きる前にどっかで仕入れろと優しく言われて、何度も頷いた。
そう。私が獣人扱いされているのには、もうひとつ理由がある。
そしてそんな風に自分を偽っている理由も、ある。
今日は目がメチャクチャむくんでたから、それは使えなかった。
どうせ糸目だし、分かんないかなとも思ったし。
でも、ゼン様から離れると決まってしまったからには、そんな風に甘えることもできなくなるんだ。
私の瞳は黒い。本当は髪も黒いんだけど、これは染めているので今は濃いめのミルクティー色だ。
その黒目の外側。白目の部分を、ゼン様の勧めにより私は赤く染めていた。
あの転移してきた日。おっきな巨獣(魔獣だった)に襲われて、額も腕も血塗れの裂傷を負っていることに気が付いて命の恩人であるゼン様に置いて行かれそうになった私は、大泣きして、泣きながらいきなり光りだして怪我を治してしまった、らしい。
あの後、沢まで連れていかれて泥と固まった血を洗い流して貰った肌に、傷跡ひとつなかった時のあの衝撃は忘れられない。
「お前、癒し手の持ち主だったのか」
呆然とした様子で呟いたゼン様が教えてくれたのは、この世界に魔法はあるけど、怪我や病気を癒す回復魔法の使い手は存在しないという更なる衝撃の事実だった。
「でも、癒し手っていう名前? は、あるんですよね?」
回復魔法は無いのにその名前はあるって、ヘンじゃない? って思って詳しく教えて貰ってもっと吃驚した。
「この世界の人間には使えないとされている。魔獣にそれを持つものがいないからな。ただし、他の世界からたまに落ちてくる、お前みたいな異世界人の中には極稀にそれが使える者がいるんだ。癒し手の持ち主の一族と呼ばれているその者たちは皆、黒髪黒瞳を持つ同じ一族なのだと伝えられている」
なんとビックリ。黒髪黒瞳の異世界人とな?!
マヂで興奮したね。回復魔法チートは日本人限定なんだ! って。
どこのラノベかゲームに転移したんだろう、私☆ って思わずテンションが上がった。
いや、そんな設定の話、知らんけどね?
それにね、フツー、ゲームの中に転生とか転移するなら、今やってるゲームとか思いっきり思い入れのあるゲームの中にするのがお約束だと思うんだけど、全然設定に思い当たるものはないんだよねぇ。
でもホラ、これって転移・転生物にはありそうなシチュエーションじゃない?
「黒髪でもない、ましてや獣人か。癒しの手の一族以外にも使える者がいるんだな。伝承は伝承でしかないってことか。いや、これまで知られてなかっただけか。異世界がいくつあるかなんて判る訳ないもんな。そういう異世界から初めて落ちてきたというだけか」
すみません。黒髪の人間種です。私、思いっきり癒し手の一族の一員だと思います。でも。
「落ちてきたというか……」
んー、と。なんとなく、ゲームやっててアイテムの効果で画面が光っただけだと思ったのに、それが私の全身を包んで……気が付いたら、ここにいたんだよね。
たぶん、そう。あんまり思い出せないけど。
感心するように私を眺めまわしていたその人が何かに気が付いた様子で、「んー?」と私の顔を覗き込んだ。
うっ。男の人のドアップなんか見たことないからドキッてしまった。
「お前、瞳は黒いんだな」
ま、まぁね。その癒し手の持ち主の一族である、純粋な日本人ですからね!
「実はこの世界には黒い瞳を持っているのは魔獣だけだ。人族にも獣人にもいない。だが、この位の距離でないとお前の瞳の色が黒いとは判らないし、まさかそこから癒し手の持ち主だとバレる可能性は低いと思うが、念のために手は打っておいた方がいいな」
悪かったわね、目が小さくて! なんて怒る前に、それ以外の部分に、引っ掛かった。
「……その、癒し手の持ち主? 回復が使えるってバレると、なにかマズいんですか?」
私の疑問に、その人はヒジョーに残念なものを見る目を返してきた。なによ?
わざとらしく大きなため息を吐いてみせてから、教えてくれる。
「この世界に回復魔法を使える者は存在しない。しかし、世界には怪我人も、重病患者も溢れている。そんな中で、たったひとりその奇跡の魔法を使えると知られたら、そいつの運命はどうなると思う?」
…………。
「すみませんでした。お願いします。どうか私に、黒瞳を隠す方法を伝授してやってくださいませ」
思わず土下座してた。
以来、私はゼン様から貰ったルビーアという染料を愛用している。1日1回。朝点眼すれば丸一日持つ。
ただし、点眼っていっても日本にいた頃みたいな容器がある訳じゃない。
小皿で水に溶かしたその染液を、指先でチョンと付けるのだ。眼球に。塗り薬か。
その時は、これほどいい人だなんてわからなかったし、なんとなく白状しそびれていて、実は本当に、癒し手の持ち主の一族でぇす♪ って告白も宙に浮いたままだ。
ちなみに。この染料はもうひとつを隠すのにも大いに助かっている。
カラーリング剤なんて手に入らないんだもん。ミルクティー色に染めるのは無理。
でも、だ。
ゲームが上手くいかなくて、胡乱な瞳でネットを徘徊した時に見つけた脱色の裏技。それを使えばイケるハズなのだ。
それは、レモンと炭酸をぶっかけた髪を日差しに当てとけば、色を抜くことができるというもの。
まぁね、その代わり、ぼろっぼろのごわごわになるってオチだったけどね?
でも、そのごわごわ髪に、この目薬を溶いたお湯を掛けるとですね、なんか柔らかな赤味が乗ってツヤッツヤになるんですわ。
ちょっと色味が変わっちゃってるけど、元のミルクティー色に近い色合いになる。
その位は、生活環境変わったし食生活も違うしね程度の言い訳で通じそうってレベルかなと思ってる。
本来は髪に艶を出すことに使うんだそうな。女性冒険者達ご用達の品。
ちなみにゼン様は装備を磨くのに使っているんだって。
髪に素晴らしい艶を出せるこのルビアは、革製品の防具にも良くて、いい艶としなやかさを維持できるらしい。
だからだろうか。こっちの世界には赤味がかった色合いの髪色の人はたくさんいる。
ゼン様も、その一人だ。
だから髪を染める使い方が本来の使用法で、目を染めているのは単に「目に入ると別に失明とかしないし痛くなったりもしないけど丸一日は赤く染まったままになってしまう」という性質を利用しているだけなのだ。
黒い瞳自体はほとんど色は変わらないんだけど、周りの白目が赤いだけでなんとなく赤茶色に見えてくる不思議。
目の色を変え、髪の色を変え、さらに魔力が低いとされる獣人を偽ることで、癒し手の持ち主の一族だと思われる可能性を低しているのだ。たぶん。
まぁね、最初の日のように、自覚なく使っちゃうことはあるかもしれない。
でもあんまり発動したことないんだよね。
その証拠に私の指先はEランククエで森の中を這いつくばるように歩き回っていることで、かすり傷でいっぱいだ。でも発動しちゃったことはない。
だから、あんまり気にしたことはないんだけど。
でもこれからはどこでばれるか分からないし、そういうことになっても守ってくれる人もいなくなる。
自分で全部しなくちゃいけないんだ。
そう思った途端、ぞくりと怖さが足元から這い登ってきた。
いっそ、本当に本物の癒し手の持ち主の一族だって告白してみる?
優しいゼン様なら、そんな危険な身の上にある私を、ずっと保護してくれるかもしれない。
ううん。きっと文句を言いながらも、助けてくれる。
あの日のように。
…………。
ダメだ。そんなお荷物になりたい訳じゃない。
ソロとして生きていく勇気がなくて縋りたかったのは間違いないけど、取り扱い注意の危険物として完全なお荷物になりたい訳じゃなかったの。
今は足手まといでも、いつかは隣に立って一緒に冒険ができる存在になりたかっただけ。
その権利が欲しかった。
……これ以上は、ダメだ。今はそれに気が付きたくない。
ぐるぐるする思考に引き摺られるように、視界まで回ってきたような気がした。
足元がぐずぐずのずぶずぶで、まっすぐ立っていられなくなって、ふらついた身体を、ゼン様の腕が支えてくれる。
このまま縋りついてしまいたい。でも、縋りつくことだけはできない。
「大丈夫か? ……今日はもう帰って寝ろ。明日の体調次第だけど、お祝いにお前の新しい防具を買ってやる。一緒に探しに行こう」
楽しそうに明日を語るゼン様の姿も、もうすぐ見納めだと思うと、泣きたくなる。
でも、見ていられるのもあと少しの間でしかないから。
「ありがとうございます! 食い詰めたら換金できるような最高級品でお願いしますねぇ」
笑えているといいな、と思いながら、そう口にした。
※ルビーアの粉は想像上の物です。