10,人生初のお買い物デート(日本も含む)その3
そうして。
私は今、ぐいぐいとゼン様に腕を引かれて一見の食堂に連れてこられた。
いや、食堂じゃないな。レストランだ。それも個室。
「ひえぇぇ。ゼン様、私、こんなお店で食べられるほどお金持ってないですぅ」
こういう所って、お水頼んでも目玉が飛び出るほどお高いんですよね?!
あっあっ。席料というか個室代だけでも飛んでもないのかもしれない。
そう思いついただけで、私は落ち着きなく震え出した。
「俺に言うことは、それだけか?」
え? あ!
「ゼン様、私ごときに超絶お高い防具を買い与えていただいて光栄至極にございます。感謝感激です。大切にします。でも死なない約束を守るために毎日着倒す所存ですのでボロっちくはなっちゃうかも? でもでもちゃんとメンテに通う約束はしたので、手入れはばっちりします! ゼン様にもお約束します」
そうだった。誰かに奢って貰った時の基本は、『支払いを申し出て貰った時点でお礼を言う、支払って貰ってお店を出たところでお礼を言う、翌日お礼を言う、次に会った時にお礼を言う」それでようやく奢ってくれた人は納得するんだって祖父ちゃんが言ってた。
嘘です。デロッデロに酔っぱらって帰ってきた社会人一年目のおにいちゃんから、ウザ絡みされた時に、そう喚いていたのだ。
どうやら、その日の前の飲み会で奢ってくれた先輩だか上司から、酒を飲まされつつ、ねちねちと怒られたらしい。
でも高校生だった私には無関係、酒臭いダメ新社会人めって邪険にしちゃったんだけど。
今この状態になってみると教えて貰っといてよかったなぁと思ってしまう。
知らなかったらぽかんとしてたよ。
「……それだけか?」
えー…と? それだけ、と言われましても?
首を捻ってしばらく考える。
そのうちに、美味しそうなご飯がテーブルの上に並べ始めた。
ごくり。私、お金持ってないけど。
私の目がご馳走にくぎ付けになっているのに気が付いたゼン様が、何かを諦めたようため息交じりに
「話の続きは、これを食った後にしよう。食うぞ。つか、お前の為に用意させたんだ。食え」
ぐいっと自分は手酌でワインを一気飲みする。朝だけじゃなくてお昼もワインって珍しいな。
でも、これまで一緒にお昼を取ったのってほとんど外で携帯食が多いもんね。冒険中だし。だからか。あとは、街の屋台で買い食いか。
……あれも、ある意味私の教育の為だったんだろうなぁ。
お金の使い方とか、会話の運び方とか。
海外旅行もしたことなかったし。ビビりまくったっけ。今この瞬間もビビりまくってるけど。
基本的には日本で暮らしていた時と大して変わりないって今なら思うけど、最初の頃はそんな事まったく思えなかったし。
…………。
「早く、食え。冷めたら美味しくないだろ」
ゼン様の言葉に、こくこく頷く。
そうか。これも同じか。
私がひとりで暮らしていくために、まだ知らないそれを教えてくれる。
優しい人。
「イタダキマス!」
「おう。喰え喰え!」
たくさん並べられたカトラリーは、一応日本で教わったテーブルマナーとそれほど違いはないらしく、私はツタナイながらも懸命にナイフとフォークで白身魚のゼリー寄せと格闘を始めた。
「……ううう。魚をナイフとフォークで食べるの、難しいんですけど」
「それは肉用ナイフだ。魚は右手にフィッシュナイフを、左手にフォークを持つんだ」
そう言って、バターナイフに似た、頭のところに凹みが付いてるヘンな形をしたナイフを手に取り、器用に皮を剥ぎ、骨から身を剝がしていく。
「すごい! ゼン様、お貴族様みたいですねぇ!」
動きにソツがないってこういうことかと思うような、流れるようなナイフ捌きだ。
「……うるさい。早くお前もやってみろ」
「はーい! あれ? ん? こう、かな……あ。」
視線の先で、やっと乗せたフォークの腹の上からボロリと零れ落ちる。
「あー……」
ぷるぷる震える、何も乗っかっていないフォークを見つめる。
私って、不器用すぎない?!
目の前に座るゼン様が笑っているのが視界に入ってイタタマレナイ。
「そんな風にゼン様が見つめているから出来ないんですよっ むぐっ?!」
ヤツ当たりをしようとして口を開いたところに、スプーンが突っ込まれた。
「身が崩れやすいと思った時は、こっちのフィッシュスプーンを使うんだ」
平べったくて先に窪みのあるヘンな形のスプーンが私の口に突っ込まれた。
その上に乗せられていた柔らかな白身魚のムニエルは天国の味がした。
「おいひぃれふ」
じんわりと広がるバターと香草の香り。身のホロホロとした食感。魚の身の甘さ。
それらを次々と口の中で楽しんでいると、ゼン様が笑い出した。
「ホント旨そうに食べるな、お前」
?!!!
「お前に教えて貰ったのは、餌付けの楽しさだな」
Oh……ペット枠。
迷子の異世界人ですらなかったよ。当たり前か、私のことずっとウサギ獣人だって思ってたんだし。
あ。
「えーっと? ゼン様、もしかして……怒って、ます?」
いや、違う。もしかして、じゃなくて、これは怒って当然だ。
「私が…むぎゅっ」
またスプーンを突っ込まれた。
「喰え。話は後だと言った」
「ひゃい」
むぐむぐと口に入ったものを懸命に咀嚼してから返事した。
美味しかった。
「申し訳ございません!」
がばっとその場に土下座する。
個室だしね。他のお客様に迷惑を掛けなくて済むのは良かった。
「……それは、何に対する謝罪だ?」
「……じゅ、獣人じゃないって、誤解を、解かなかったこと、デス」
「…………」
「不誠実でしたっ。最初は流されてただけですけど、なんかこう、そのまま言いそびれてしまったといいますか……ウサギでいる方が、気が楽だったといいますか」
「…………」
「ゼン様を信じてないとか、信頼してなかったとかいうことでは全然なくてですね。なんかこう……うー」
うまく言えない。どうしよう。そういえば私は、『今日こそゼン様に獣人ではないこと』を告白しようと思って意気込んでいたのだけれど、その意味や理由についてあんまり考えたことはなかったんだと気が付いた。
「確かに、最初はどこまで手の内を見せていいのか分からないとは思ってたんですけど、でも、そんなのはすぐに無くなって。うん。ゼン様の優しさをいっぱい知って。誠実さとか。私が危ない目に合っている時は絶対に助けてくれるし、戸惑っている時はすぐに教えてくれるし、ホント、さりげなく、ずっと守って貰ってきたって、知ってるし」
「もういい。止めろ」
「ホントに。ゼン様みたいに良い人、他に知らないです。ただ魔獣に襲われている所に居合わせただけの異世界人に、こんなに優しくしてくれて。生活も整えてくれて。教えてくれて」
「もういいって言ってる」
「全部、貰った……」
ぐずぐずと、涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになりながら、私はゼン様に、ゼン様にしてもらった事と、ゼン様にどれだけ感謝しているのかを伝え続けた。
土下座したまま。
「お前が獣人でも人間でも、別にどうでもいい。隠されていたっていうのはちょっと……アレだったけど。いいんだ」
ゼン様の言葉を、思いを、こうして聞けるのも、あとちょっとなのに。
涙が溢れて、自分の鼻水をススル音がうるさくて、困る。
「……まぁいいか。いいんだ、もう。お前が決めた、お前の歩いていく道だ」
涙でゆがむゼン様の顔が、なぜか、寂しそうに見えた。
「ただし。絶対に、あれだけは使うな。使っていいのは、お前が、本気で死ぬと感じた時だけだ」
真剣なゼン様のまなざしに、頷いた。
「絶対だ。そうして、もし、お前がそれを使う時、誰かが傍にいたなら……これを掛けながら使うんだ」
そういって、ゼン様は懐から綺麗な香水瓶のようなものを取り出した。
微かに光る何かが中で舞うような、不思議な液体で満たされたそれを、ついと手渡された。
「これは?」
「これは?」
「万能薬の偽物だ。誰も見たことない幻の薬だ。見られてもバレやしない」
…………?
効力のない偽薬を渡されて、瀕死の時に使えと言われて混乱していると、ゼン様が呆れたように教えてくれた。
「それを飲むなり患部に掛けるなりしながら、あれを使うんだ」
!!
「なるほど! この薬の効果だと思わせることができるんですね。さすがゼン様、悪賢い!!」
感心してると、ぽかりと頭を叩かれた。
「ひと言多いぞ」
「えへへ。すみません」
ふたりでくすくすと笑いあって、そうして、その笑い終わったゼン様は、寂しそうに見えた。
なんて。私の願望が乗ってそう見えるだけなんだろうけど。
「俺から餞別として1本だけ譲り受けたと隠し持ってろ。お前以外に絶対に使うなよ」
最後の最後まで、この人はどこまで私に甘いのだろう。
「ゼン様、ありがとうございましたぁ」
「うわーん、だいすきですー」とドサクサに紛れて抱き着いておいた。
まぁ足元にだけど。
うん。ビビりだからね。胸に飛び込んだりは、できないんだよっ。




