ペリュトン:ルラン視点
この街の代表者の妻はアルク伯爵の末娘で、名はレディア。歳は俺と同じくらいだろうか。
嫁いだ時点で貴族ではないが、彼女が身に付ける衣装や装飾品を見る限り、同等の生活をしているのが窺えた。紫の髪も艶々としているし、手も荒れている様子はないしな。
『ルラン様、もっとお話を聞かせて下さいませ』
内心溜息が出る。さっきからずっとこれだ。
困ったな、窓の外は既に暗い。レディアの隣に座る肥えた男に目を遣る。彼がこの街の代表者で、レディアの夫だ。歳は40を越えているだろうか。
この男、俺がさっさと話を切り上げたいと思っている事に気が付いているようだが、レディアに注意もしない。
アルク伯爵の娘であり、更に親子ほどの歳の差がある若妻のレディアが可愛くて仕方ないのだろうが、いい加減にして欲しいものだ。
『ねえ、ルラン様。先程から心此処にあらずですが、もしかしてお疲れですの?』
『ああ、すみません。私も暇ではないので、任務の事を考えておりました』
しまった。ストレートに嫌味を言い過ぎたか……そう思ったが、くすくすとレディアは笑った。
『殿方は大変ですね。私が癒して差し上げたいですわ』
旦那の隣で何を言っているんだ、この人は。
レディアと代表者との婚姻……。政略的な意味も勿論あっただろうが、それ以上に、アルク伯爵はレディアの性格だと貴族家に嫁げないと見切りをつけたのかもしれないな。
ガンガンガンガン……
鈍い音が部屋の中に響いてくる。何だろう、警鐘の音だろうか?
『何の音でしょうか』
ソファから立ち上がり、テラスの方へと行く。
するとレディアも俺の後を付いて来て、腕に絡みついてきた。
『何でしょう?怖いですわ、ルラン様』
本当に止めてほしい。
『旦那様!』
俺達のいる応接室に、やや慌てた執事の男が入って来た。
『お、お客様のいる前での不作法をお許しください。しかし見張り台の者からペリュトンの大群が此方に向かってきているとの報告が……!』
ペリュトン?
人を殺す習性の魔獣か。
その時、門の方向で大きな火柱が立った。
門の傍にはシグラ様や奥様がいらっしゃる筈だ。そう頭に過った瞬間、俺の身体は動き出した。
『失礼!』
レディアの腕を乱暴に振りほどき、机に立てかけていた自分の剣を手に持ち、部屋の外へと駆け出す。
廊下を走る途中でイヤリングを弾いた。
【キララ殿!そちらはどうなっていますか!?】
【おお?ルランか。私はずっと車の中にいるから、状況はイマイチわからないが、シグラと親父が外に行ったみたいだぞ】
【奥様は?奥様は御無事ですか?】
【姉ならダイネットでオロオロしてる】
ホッと息を吐く。
屋敷の玄関まで行くと、そこにはマレインが居た。
『ルラン様!』
『戻るぞ。ペリュトンの大群が此方にきているらしい』
『ナギから連絡が来ました。あちらでは檻の結界が張られ、心配ないと。ルラン様はここに居た方が安全なのでは?』
首を振った。
『シグラ様が前線に出ているのに、俺が此処で籠るなんてあり得ない』
間違いなく奥様の願いでシグラ様は外に出たのだ。ならば、その願いを俺も叶えなければならない。
俺の言葉にマレインは表情を曇らせるが、すぐに驚きの顔に変わった。
『ルラン様、目の色が……金色に』
そうか、とだけ応えておく。
恐らく俺の意志がシグラ様の望みと一致したのだろう。
『俺は先に行く。後は任せた』
『る、ルラン様!』
反論を聞く気はなく、タッと駆け出す。
足に力が漲り、今までにないくらいに早く駆けることが出来た。
シグラ様の加護とドラゴンの血による力を得てから、全力を出す機会は無かったが、相当強化されているようだ。
屋敷の敷地を出て街に入ると、暴動が起きていた。略奪行為もされているようで、本当に浅ましい。
だがここで時間を取られることは出来ない。
街の鎮静は代表やレディアに期待する事としよう。
邪魔をしてくる暴徒を蹴り飛ばし、やがて門の前にそびえ立つ炎の壁に近づいてきた。
車の方を見ると、ナギの報告通り、檻の結界ががっちりと張られている。
よし、奥様の身の安全は確保されている。
門の傍では数人の冒険者達が腰でも抜けたのか、震えて立ち上がれずにいた。
そんな彼らを飛び越え、炎の壁へと突っ込んだ。
全く熱くない。アウロ殿のように俺には結界を視ることは出来ないが、シグラ様は予め俺にも魔法反射の結界を張って下さっていたようだ。
炎の壁を越え、門の外へ行くと立ち止まった。
あれだけ走ったのに、息切れをしていない。本当にとんでもない身体になっている。
『た、助けてくれー!』
馬に乗った冒険者が前方からやってきた。
『前線ではどうなっている!』
『助けてくれえ!!くそお、何だよこの壁!街に入れねえじゃねえか!』
話にならないな。
『残念だが、この炎の壁を越える勇気がなければ門の前で待機していろ』
『そ、そんな……うひゃっ!』
炎の壁に怯えた馬が冒険者の男を振り落とし、何処かへ行ってしまった。
また何かが走ってくる音が聞こえてきた。馬にしては軽やかで、羽ばたきも聞こえてくるので、馬ではない。
『ペリュトンの残党か』
『ひぇああああ!!もう嫌だあああ!!熱っ!』
落馬したくせに元気な冒険者だ。これだけ元気なら大した怪我もしていないだろう。
剣を抜いて構えた。
『……ん?』
ペリュトンの上に人間が乗っているようだ。
騎士か?
騎乗者の実力はわからないが、しかしペリュトンが脅威なのは変わらない。ペリュトンから始末しよう。
キイイン、という声と共に、ペリュトンは門に向かって突進してくる。
好都合だ、カウンターにしてやる。
剣を横に構え、ペリュトンの翼と首めがけて思いきり振った。
ペリュトンの身体に刃が当たる。
『くっ』
強い力が加わり、ミシっと剣が音を立てる。
普通なら力負けして剣を落としてしまうだろうが、
『はあっ!』
今の俺には振り切る事が出来た。
深く斬られたペリュトンはキイイイっと悲鳴を上げ、仰け反った。これによって騎乗していた人間は遠くへと放り投げだされる。そして落ちた先でぴくりともしていない様子だった。騎乗者はペリュトンを此処に導くためだけの駒だったか。
一方、ペリュトンはのたうち回っているが、安心するのはまだ早い。
こいつは風の固有魔法を使う。
俺は恐らく大丈夫だろうが、後ろの男や街の門がそれを喰らって耐えられるか疑問だ。なので魔法を使われる前に止めを刺さなければならない。
『また来たああああ!!』
後ろにいる冒険者の男が泣き叫ぶ。
新手のペリュトンが同時に数頭やってくる。
―――気を引き締めていかないとな
剣を振って刃に付いた血をピッと飛ばす。
最初のペリュトンに止めを刺すと、そのまま俺は新手の方へと駆け出して行き、剣を振るった。
ペリュトンを12頭屠ったところで、シグラ様がアウロ殿を連れて戻って来た。その手には炎を内包した檻の結界を5つ、持っていた。
『うわ……本当にルランさん一人でこれを?』
少し疲れたような声でアウロ殿がペリュトンの死骸を指さす。
『はい。剣が駄目になってしまいましたよ』
4頭斬った辺りで俺の剣は壊れてしまった。なので、後ろで震えている冒険者の男に借りたり、ペリュトンに騎乗していた人間が装備していた剣で対処したのだが、全てボロボロだ。
『シグラ様、その炎はどうされたんですか?』
シグラ様の手にある結界の事を訊ねると、アウロ殿が“はあ”と溜息を吐いた。
『……まあ、その話は戻ってからにしましょう。私、疲れました。それにルランさんも血塗れですよ。怪我は?』
『大丈夫です。全て返り血です』
無我夢中に斬ったものだから、返り血でドロドロになっている自覚はある。
シグラ様はじろじろと俺を見て、アウロ殿に声を掛けられた。
『アウロ、ルランに水を掛けろ』
『へ?』
『恐らく、今のこいつの姿を見たらウララが倒れる』
確かに。
『あー……、ははは。じゃあルランさん、ちょっとじっとしていて下さい。攻撃じゃないですが、念のために魔法反射の結界は解いておいて下さいね』
アウロ殿の精霊魔法で水浴びをさせてもらっている傍らで、シグラ様は炎の壁を消失させた。
冒険者の男は半泣きで街へと入って行く。
シグラ様もすたすたと門を潜り、俺やアウロ殿もそれに続いた。
門の中に入ると、紫の髪を振り乱しながら『ルラン様~、赤毛の御方~』とレディアが駆け寄ってくる。一応代表者としてこの夫妻も門まできたようだ。
シグラ様はそんな夫妻に一瞥すらせずに車へと向かう。しかし空気を読まないレディアはそんなシグラ様の腕を取った。
『貴方様のご活躍は遠視の筒で見ておりましたの。わたくし、先程の事が怖くて眠れそうにありませんの……お強い貴方が傍にいて下されば心強いのですが』
『邪魔だ』
流石シグラ様だ。全く意に介さずレディアの手を振りほどくと、車の方へ歩いて行ってしまった。
断られたのが初めてだったのか、レディアはぽかんとしてシグラ様を見送った。
そして我に返って、今度は俺の方へ来た。
『ルラン様は……』
彼女に腕を取られそうになったので、それを躱す。
『それは夫君の役目ですよ、夫人。では、今夜はもう遅いので失礼致します』
それだけ言うと、俺もそそくさと車へ入って行った。
車内では奥様がシグラ様の身体をぺたぺた触って怪我の有無を確かめているところだった。




