賢者への感謝と不安
温泉が出る保養地を抱えるフラウの街の傍には、大きな火山がある。南へ行くには、その火山を迂回する必要があった。
フラウを出て東へ大きく迂回して車を走らせると、広大な麦畑が見えてきた。
そろそろ収穫期なのか、黄金色の穂が風に靡いていた。
キララは窓越しにスマホを向け、楽しそうにはしゃいでいる。
「凄いぞ、姉。さわさわしてる」
「綺麗だねー」
ロナやアウロにとっては、この麦畑の光景は珍しい物ではないようで、キララの様子に首を傾げていた。
さて、現在このバスコンには助手席にシグラ、ダイネットにキララとロナとアウロとククルアが乗っていて、ルランと2人の騎士は馬車の方に乗車している。
馬車の居住空間はおよそ長さ2.5メートル×幅3メートル。
前方にロフトがあり、そこで大人1人が眠れるようになっている。子供だったら2人は余裕だろう。
ロフトの下はゆったりとしたカウチソファとテーブルが置いてあり、快適リビング仕様になっている。
そこで作戦会議でもしているのだろう。
ゴーアン侯爵家は師団相当の兵力を保持し、今回ルランが指揮するのは1つの連隊だそうだ。連隊は2つの大隊で編成され、総勢1000人での行軍となる。
ルランが先行する為、任務地まではルランの副官と大隊長2人が、その1000人の兵士たちを指揮して行軍する。ルランがフラウに連れてきた5人の騎士のうちの3人が、この副官と大隊長2人である。
そして残り2人の騎士、馬車に乗りルランと行動を共にしている彼らはルランの補佐と護衛だ。
補佐の方は50代の眼鏡をした気難しそうな男性で、名をマレイン・ゴーアンラ・サー。元々彼はゴーアン侯爵の補佐をしていて、かなり有能なのだそうだ。
護衛の方は20代後半の茶髪のツーブロックの男性で、名をナギ・フラウ・サー。彼はルランの乳母兄弟だそうだ。
ちなみに彼らの“サー”は家名ではない。この国では騎士だからと言って全員が貴族というわけでは無く、爵位を持たない場合は家名の代わりに騎士を示す“サー”を付けるらしい。
エアコンの冷気に交じって、生暖かい風が開けた窓から入ってくる。
「夏だね」
「なあなあ、この国の四季ってどうなってるんだ?」
「温暖期と寒冷期が交互に来ますよ。今は7月の温暖期で、2か月後から徐々に寒くなってきます」
賢者の存在があるからか、この国もグレゴリオ暦が採用されているようだ。
そして季節のタイミングも日本とそう変わらないようなので、ちょっとホッとした。
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長閑な道を走る事4時間。
フラウのカントリーハウスを出たのは昼食を終えてからだったので、現在の時刻は18時を回っている。
まだ外は明るいが、1時間もすれば日が暮れてくるだろう。
「そろそろ今日はこの辺で停まりますね。アウロさん、ルランさんに念話送って貰えます?」
今走っている場所は火山迂回路の途中で民家も無い、森に囲まれた道だった。
人気のない寂れた道とは言え、道の真ん中に停まるわけにはいかないので、少しだけ道を外れて停車する。
「晩ご飯、何するんだ?」
「カレーとシチュー、どっちが良い?」
「カレーが良い!」
キララは機嫌良さそうにバスコンから出て行った。
従軍の準備の為にと、数日前からフラウの街にあるお店を見て回ったのだが、そこで見つけたのがカレー粉だった。
キララなんてこれを見つけた時、賢者に感謝の祈りを捧げたくらいだ。
私もスパイスを組み合わせてなんちゃってカレーなら作れると思ってたけど、カレー粉があるなら喜んで使わせてもらうよ。
さて、どれだけ作れば良いかな。
成人男性4人(アウロ、ルラン、騎士2人)。子供2人(キララ、ククルア)。
シグラとロナは規格外。そして私。
ご飯はフラウに居る時に追加で飯ごうを買ったので、炊飯器と4合炊きの飯ごう3つ。これで何とかなるよね?
車外に出ると、ルランと騎士2人が既に外に出て火を焚いてくれていた。
彼らに飯ごうの事を言うと、それは我々がしますとのことだったので、お任せする。
馬車からジャガイモと人参と玉ねぎを取り出し、キララとロナにそれらの皮むきをしてもらう。
そして“クーラーボックス+精霊魔法の氷+檻の結界合わせ技”のなんちゃって冷凍庫から鶏肉を取り出し、車内へと戻った。
「シグラは大きい具と小さい具、どっちが良い?」
「んー……、わからない」
「そうだよね、まだカレーは食べた事ないもんね」
苦笑しながら、一口サイズで肉を切っていく。これが一番無難だよね。
下処理を終えた野菜を持ってキララが車に入ってきた。
「そう言えば、車で食べる?外で食べる?」
「外にしよう。ロナが作ったテーブル使いたいし」
「わかった。じゃあアウロさんと一緒に準備しておいて」
「りょ!」
カレー粉なのでカレーベースを作り、それからはいつも通りの手順でカレーを作っていく。
煮込んでいる間にレタスと胡瓜でサラダを作ろうかな。
サラダにシーチキンを和えたいところだが、流石に缶詰までは売っていなかった。頑張れ、賢者。
鍋の具材に火が通ると加熱を止め、カレーベースを入れてカレーの完成だ。
「かいだこと、ない、におい」
「カレーって言うんだよ。さ、運ぶの手伝って」
「うん」
外に出ると、フラウ滞在中にロナが作ったテーブル2つと、車大工が手隙の時に遊びで作ってくれた折り畳み椅子が人数分用意されていた。
ロナは6人用の折り畳みテーブルを2つ作ってくれたので、この人数でも座る事が出来て良かった。
テーブルにカレーの鍋2つとサラダを入れたボールを置く。騎士達も飯ごうを使いこなし、美味しいご飯が炊きあがっていた。
ロナとキララがカトラリーを用意し、アウロは冷蔵庫からお茶を取ってきてくれた。
「じゃあ、配膳するね」
そしてみんなが席に着いたのは、もう空が夕陽から紫になりかけていた頃だった。
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食事を一緒にとったからか、キララとロナは騎士の1人であるナギとかなり打ち解けたようで、ククルアも連れて4人で遊んでいた。アウロはそれを見守っている。
ルランは食事をとったテーブルでもう一人の騎士、マレインと何か話をしている。
そして私とシグラは車内に入り、ダイネットで桐の小箱を前にしていた。
この小箱はカントリーハウスを出発する前、ゴーアン夫人から私にと渡された物だ。
貰った時にアウロに中身の詳細を訊いてもらったのだが、『奥様一人だけの時に開けて下さいまし』とのことだったので、まだ何かわからない。
シグラが隣にいるから一人ではないけど、彼なら別に構わないだろう。
「開けてみるね」
手に取り、かぽっと蓋を開けた。
そこには千代紙で折られた1羽の折り鶴が入っていた。
―――そう言えばゴーアン夫人はニホン公爵家の娘だったっけ
ひょいっと鶴を持ちあげる。
「うらら、これ、なに?」
「これはね、折り鶴っていうの。紙を折って作る……あれ?」
折り紙は千代紙のように綺麗な模様に見えたが、手に取ってよく見ると何かがおかしい。
折り鶴を広げてみると、模様に見えたそれは色鮮やかな色で書かれた日本語だった。
“貴女は日本人ですね”
「!」
“探るつもりはなかったのですが、貴女と念話をした際に偶然知ってしまいました”
念話……。そう言えば、私が調子を崩した時に夫人と念話をした覚えがある。確かにあの時、シグラの事以外にも日本の家族や友人の事も思い浮かべていた気がする。私は念話に慣れていないので、思った事全てを向こうに伝えてしまったのかもしれない。
“決して賢者だと言いふらしてはいけません。それでも何か困った事があれば、私か、ニホン公爵家の元へ行って下さい。公爵家には賢者とその関係者を助ける準備があります”
「……。」
読み終わり、紙をまた折り鶴に折り直す。
「うらら?」
「……ゴーアン夫人に私が賢者だってバレてたみたい」
折った鶴を箱に入れた。
彼女は日本語がわからなかったのではなく、私の正体を知っていたから、私達が日本語で喋っていても何も言わなかったのだろう。そして、こうしてそっと教えてくれるくらいに、賢者だとバレるのは危険と言う事なのだ。
今、私やキララの素性を知っているのは、シグラ、アウロ、ロナ、ルラン、ジョージだ。
シグラ達ならお願いすれば黙っていてくれるだろう。ジョージも、何もしないとは言っていたけど……。
そう言えばナナーはどうだろう?彼女は私達の喋っている言葉が日本語だと知っている。
考え込んでいると、そっと抱き寄せられる。
「どうしたの?ふあん、なの?」
「やっぱり賢者だと知られるとマズいみたい。知られたらどうなるんだろう、監禁されるのかな。それに王宮から逃げた賢者は姿を消すって、アウロさんは言っていたけど……」
シグラの腕の力が強くなった。




