マルコシアスとナベリウス:(後半からシグラ視点)
「……いつの間にか犬小屋が出来てる……」
お昼になって車大工にお菓子とお茶の差し入れをし、何気なく馬車の中を見てみたら、三角屋根の犬小屋が設置されていた。
「凄いだろ!私とロナで作ったんだぞ」
キララはとても得意げだ。
「え?マルコシアス、飼うの?」
「え?違うのか?」
ちなみに現在マルコシアスは日の当たる芝生の上で日向ぼっこをしている。可愛い。
横にいるシグラの顔を見上げると「うららが、いやなら、おいだすけど」と言われた。
「嫌じゃないけど、マルコシアスはそれでいいのかなって。帰りを待っている家族とかいないの?」
シグラは“うーん”と言いながら首を傾げた。
「あいつ、えるふと、くらしてる、はずだけど」
「エルフ?」
どういう事かと訊く前に、車大工達と共にお茶を飲んでいたアウロが「マルコシアスさんは名のある精霊ですよ」と口にした。
「そうなんですか?」
「はい。なので帰してあげないと郷のエルフが困ると思いますよ」
マルコシアス。彼女の郷に住み、加護を受けたエルフはありとあらゆる補助系の能力を授かる。
「マルコシアスさんの加護を持つエルフは物理攻撃や魔法の威力を上げたり、気持ちを高めたりすることも出来るそうですよ」
「気持ちを高める……。だから私達はあんなにマルコシアスのもふもふに夢中になったんですね」
アウロがジト目になる。
「いいえ、あれはウララさんの素ですから。シグラさんが目を光らせているのに、ウララさんに何か出来るわけないじゃないですか」
それにしても、私やキララがマルコシアスを撫でまわしている時にアウロが変な顔をしていると思ったけど、名のある精霊だったのか……。
「もしかして、ナベリウスもそうなんですか?」
「昔はそうだったと聞いた事があります。しかしナベリウスさんは長い間行方不明だったので、既に彼女の加護を持つエルフも彼女を祀る教会も存在していないと思いますよ。なので今は名のある精霊かどうかは微妙なところですね」
その行方不明というのは、きっとシグラを想って修行していた期間なのだろう。
何はともあれ、ナベリウスの方は問題ないようだが、マルコシアスは正式に名のある精霊だ。彼女の帰りを待つエルフ達がいるので、帰らせないといけないだろう。
「……帰しちゃうのか?」
「お家の方が帰りを待ってるからね」
「キララさん、ウララさん。先程から犬みたいに扱ってますが、名のある精霊ですからね?」
見た目が可愛いとは言っても、彼女は名のある精霊と呼ばれる高位の存在。私達が帰れと言っても、はいそうですかとはいかない。どうやって説得をしたら……
……と思ったんだけど、シグラの「郷に帰れ」という一言でそれは解決してしまった。本当に忠犬だ。
私とキララ、そして最後にシグラが頭を撫でてあげたら「きゃわん!」と嬉しそうに鳴いて、マルコシアスは帰って行ったのだった。
「帰っちゃったな」
「本人もシグラさんに会えたので、満足していたようです。それに郷の事も気になっていたみたいですし」
キララは「うん……」と頷き、ちょっと肩を落とした。私達の実家はペットNGのマンションなので、ずっと犬を飼ってみたかったのだろう。
「なあなあ、ちゃんと一匹で帰れるかな?」
「だいじょうぶ。たぶん」
「帰巣本能あるからね」
「だからマルコシアスさんは犬じゃないですってば」
マルコシアスを見送った後、視線を数メートル離れた先に向ける。
そこにはナベリウスが入った檻の結界が鎮座していた。布が被せられているので、彼女が中でどんな顔をしているのかはわからない。
「問題はナベリウスさんですね。どうなさるおつもりですか、ウララさん」
「……あいつは姉を殺そうとしてくるんだろ?どうするんだ?」
“殺す”という言葉に反応したシグラが、私の肩に腕をまわした。
「ずっとあそこに置いておくわけにはいかないだろうし、きっと私達の旅に同行させることになるだろうね」
見知らぬ土地で放したところで、どうせまた襲撃に来るだろう。なら、捕まえておいて傍に置いておくのが一番安全だった。しかしそれは、ナベリウスの自由を奪うことでもあった。
私にとってもナベリウスにとっても良い解決法があれば良いんだけど……。
■■■
ガギン、ガギンと不快な音が聞こえ、目が覚める。
ダイネットではククルアが魘されているようだ。
悪意を持った雑魚がこの車の近くに来ているのだろう。探れば、確かに外に雄の気配がする。
さて、どうするか。
「……」
寝室のカーテンをはぐると、ウララが気持ち良さそうに眠っていた。
こんなに幸せそうに寝ている彼女を起こすのか?
しかしアウロとククルアがいる場所にウララを置いて行くことは出来ない……。
人差し指で彼女の頬をふにっと押す。
柔らかい。
つい、もう二度、三度と、ふにふに押してしまう。
「ふふふ」
つい笑みが零れる。
ウララはマルコシアスの毛並みが良いと言っていたが、私は断然ウララの肌の感触の方が良い。
ふに、ふに、ふに
―――おっと、外の慮外者の事を忘れるところだった
しかし、どうしようか。ウララと離れたくない。
……よし、慮外者など放っておこう。
ゴーアン家が襲撃されればウララの心が傷つくだろうと思って対処しようと思ったのだが、それ以上に眠っているウララを私以外の雄がいる空間に置いておく事は出来ない。
慮外者を放置したところで最悪、ゴーアン家の人間が何人か死ぬだけだ。
「なに、悪戯してるの、しぐらー……」
ひゅっと息を吸う。しまった、夢中でつつきすぎてウララを起こしてしまった!
「ご、ごめんね、うらら」
「んー、良いよ別に。……起きちゃったの?」
ウララは寝惚けながらも寝室から出てきた。む、これならウララを連れて外に出れるか。
「もう一回、添い寝、してあげるから」
「あ、あの。うらら」
「ん?」
「ねてていいから、ちょっと、ついてきて、くれる?」
ぼーっとしながらも、ウララは「良いよー、また夜のお散歩?」と笑い、私の首に腕を回した。
外に出ると、ガギン、という不快な音が大きく聞こえた。
ウララを怖がらせない為に彼女だけに防音と防視の結界を張る。
この二つを同時に張るとウララは怖いと言っていたが、ほぼ夢の中の今なら気にしないだろう。
不快な音は、ナベリウスを閉じ込めている檻の結界を叩いている音だった。エルフの力が籠められた虹色の棒で叩いているようだが、あんなもので私の結界が壊れるわけがない。
叩いている人影の主はルランの叔父だ。名前はロークだったか?
ゴーアンに追い出されて逆恨みでもしたのだろう。度々、邪な意識を感じるとククルアが言っていたが、奴が近くでこの屋敷を窺っていたのかもしれない。
『何だこの結界は!くそっ!この狼さえ出せば、屋敷の人間を皆殺しできるのに!!』
ナベリウスが暴れていた所を見られていたのか。
まあ、構わないが。
相手をするのも面倒なので、さっさとロークを檻の結界に閉じ込め、結界ごと屋敷の玄関の方へと蹴り飛ばしておく。
これで朝になったら屋敷の人間が見つけるだろう。
「……ん?」
ふと視線を感じて其方を見れば、ナベリウスがじっと私を見ていた。奴の結界に掛けていた布は何処に行った?
ナベリウスは何か喋っているようだ。だが、今こいつを閉じ込めている檻の結界には空気の流れは許可しているが、防音の結界を重ねがけしているので、何を言っているのか聞こえない。聞きたくもないが。
それよりさっさと車に戻って、ウララをベッドに寝かさないと。そう思って踵を返そうとした時、目の端に鮮血をとらえた。
ナベリウスが結界に頭突きをして、自傷し始めたのだ。
『止めろ。血塗れになっていたら、それを見たウララが傷つくだろう』
防音の結界を解除し文句を言うと、すかさず奴から『ブネ殿!』と声が飛んできた。
『何故そのような雑魚を番にされているのだ!!』
『おい、人の話を聞け。これ以上そこを血塗れにしたら、消すぞ』
『ブネ殿、お願いだ。私の話を聞いてくれ!私は貴方に相応しくなろうと、必死で努力をしてきた!貴方の番になるのは、私だ!』
こいつは何を言っているんだ。
『私の番はウララだ。貴様じゃない』
『ブネ殿!!』
ナベリウスはその場で一回転し、その身を人間の身体に擬態させる。
『貴方が人間の身体を気に入ったなら、私もそうしよう!』
此方に向けて尻を高く上げるナベリウスに、思わず舌打ちが出る。
私はウララ以外に興味は無い。それよりもウララに人間の女の裸を見るなとお願いされているのに、面倒なことをしてくれるものだ。
奴の結界に掛けていた布を見つけ、結界の上に掛けた。
『ブネ殿!私を見てくれ!そのような弱い雌の何処が良いんだ!』
『煩い』
『ブネ殿!私は貴方の事が好きなのだ!ずっと!私の想いを前に、そのメスなど足元にも及ばない!!』
苛々する。私を所有したいと言って良いのは、ウララだけだ。
私の腕の中で安心して眠る彼女に頬を寄せ、唇の端に口付けた。
『自分を見ろと貴様は言うが、貴様は私をきちんと見た事があるのか?』
『勿論!貴方の強さは全ての雄を畏怖させ、雌を虜にする!』
『……別に私である必要はないだろうが。少なくとも貴様よりも強い存在なら、他にも多くいる』
再度ナベリウスの結界に防音の結界を重ねて張った。




