2頭の狼
アオオーーーーン
アオオーーーーン
その日、二つの遠吠えが、カントリーハウスに響き渡った。
森の中なら珍しくも無い事だが、人が住む場所でそれが響くのは不気味だった。
しかも辺りは既に日が昇って明るく、獣が跋扈する時間帯では無かったので、更に異様さが増した。
「犬か?狼か?」
「キララ、危ないから顔を出しては駄目だよ」
その遠吠えが聞こえてきたのは、ダイネットでキララの勉強を見てあげていた時の事だった。
窓際にいたキララが窓から顔を出そうとしたので、それを慌てて止める。
ちなみにキララとククルアが隣同士で座り、その対面側に私とシグラが並んで座っていた。アウロとロナは外で車大工達と馬車を改装する作業をしているので、此処には居ない。
「別に、シグラの結界があるから大丈夫だろ」
「それはそうだけど。でも、怖い化け物がいたらどうするの。気になるなら、お姉ちゃんが見てきてあげるから」
「いや、姉は止めろ。また倒れるぞ。それに外にはロナ達が……」
キララの言葉が途切れる。
「おい、大丈夫か?ククルア」
キララの隣に座っていたククルアが胸を抑え、苦しみだしたのだ。
「ククルア君大丈夫?また嫌な意識が流れ込んできたのかな。シグラ、ククルア君を抱っこしてあげて」
私の言葉を受けてシグラは頷くと、ぐいっと彼の首根っこを掴んで持ちあげ、自分の膝の上に座らせた。そんな、猫の子を持つような……。
しかしククルアは少しは表情を和らげたが、全快とまではいかない。
その様子を見たシグラはククルアを元の位置、キララの横に座らせると、彼に檻の結界を張った。この結界の中にまでは悪意は入ってこないようで、ククルアはほっと息を吐いていた。
「酷い悪意が近くにあると言う事かな?でもずっと結界の中に入れておくわけにもいかないし、どうにかしてあげないと」
「……うらら。ちょっと、しぐらと、いっしょに、きて」
シグラが席を立つ。悪意の原因を探しに外に行くのだろう。「わかった」と了承し、私もすぐに席を立った。
「姉もいくのか?危ないぞ」
「此処には“男の子”のククルア君がいるから、私が残ったらシグラが嫌がるの。キララはククルア君の事、見ててね」
「はー……。姉も面倒くさい性格だけど、シグラも面倒くさい奴だよなあ」
「心外な。別に面倒くさくないもん」
シグラの後を追ってバスコンから降りると、外では作業をしていたアウロとロナと車大工達が、ある一点を見つめていた。
彼らの視線の先は、カントリーハウスの屋根だった。
「狼が2頭いる」
屋根の上には白銀の狼と、緑の狼が並んで此方を見下ろしていた。二頭ともシベリアン・ハスキーくらいの大きさぐらいに見える。先程の遠吠えはあの二頭の仕業だろう。もしかして悪意の原因もあの狼達なのだろうか?
狼達は私達が車から降りてきたのを確認すると屋根から飛び降り、ととんっと地上に降り立った。
そして此方を見定めるような視線を向けてくる。
「綺麗な狼ー……」
「うらら、だめ」
私はもふもふした動物が好きだが、その中でも猫派か犬派かと問われれば犬派なので余計に可愛いなあという目で狼を見てしまう。それが危なっかしく見えたのか、シグラが私の身体を抱き寄せた。―――と、その瞬間。
「ッ!」
白銀の狼にぎょろりと睨み付けられ、息が一瞬止まった。
いや、息だけではない。金縛りになったかのように身体が硬直してしまう。
しかしすぐにシグラが狼の視線を遮るように私の前に立ってくれたので、体に自由が戻った。
「ご、ごめん。ちょっとびっくりしちゃったみたい」
「おりのけっかい、はるね」
「ありがと……」
「アオオオーン!」
私とシグラの会話に被せるように、白銀の狼は胸を張りながら遠吠えをした。
「え……えええ……?」
可愛かった狼の身体はメキメキと膨れ上がり、5メートルほどの巨体となってしまう。
この姿は可愛いよりも怖いという思いの方が勝る……そんな事を思っていると「ガウ!!」と吠えられた。
「ひえっ」
「うらら、こわい?ほかのけっかい、はる?」
「防視と防音は余計に怖いから、本当に見ない方が良い時以外に張るのは止めて」
「わかっ……」
「ガウウウ!!」
狼は私達が会話をするのが相当嫌なのか、また吠えて会話の邪魔をする。
そして突進してくる―――かと思ったら、急に後ろに飛び跳ねた。
時を置かずして、狼が走り込んでくる予定だったであろう場所に空の檻の結界が出来上がった。
シグラは狼を結界に閉じ込めようとしたようだが、それを狼が察知して避けたのだ。
私が見ているから、シグラは残酷な手は使わずに狼を檻の結界で捕まえるだけにしておきたいようだけど……その意図に気付いたのか、狼はその場でくるんくるんと回転し、キラキラした光を纏った。
その光を見たシグラは面倒そうに顔を顰める。何だろう?結界除けの効果でもあるのかな?
試しにシグラが狼に結界を張ろうとするも、その光に当たった瞬間、結界が砕けた。
「むう……、めんどう」
結界での捕獲を封じられたシグラが次の一手を考えている隙に、狼は頭を振りあげ、薙ぎ払う様に紫色のブレスを吐いた。
しかしそれはシグラが自分自身に結界を張ることで弾いて四散させる。
紫色のブレスだが、その四散したブレスを浴びた草は瞬時に溶けだし、更にじわじわと辺りを侵蝕して他の草も溶かしていく。
……単純に炎とかそういった要素のブレスでは無さそうだ。絶対に当たりたくない……。
「ガウウ!!」
狼はブレスの後も攻撃態勢は崩さず、再度駆け出した。巨大な身体に見合わない猛スピードに、シグラは少し身構える。しかし狼はそのまま彼の脇をすり抜け……
「えっ?」
何故か私の方へ向かってきた。
「ガアアアッ!!」
「ひいっ!」
大きな口を開け、牙がぎらぎらと鈍色に光るのが見えた。こ、怖い!
だが、すぐに巨体がぎゅんっと引き戻される。
シグラが狼の尻尾を掴み、力任せに放り投げたのだ。
投げ飛ばされた狼はすたんっと綺麗に着地し、また駆け出してきた。その目は完全に私をロックオンしている。シグラの檻の結界の中にいて安全とはいえ、その憎悪を湛える目とむき出しの牙に泣きそうだ。
一方、シグラも狼の狙いが完全に私だとわかったのか、拳を固く握りしめ、大きく息を吸い込み……
≪ ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!! ≫
威嚇だ!
「―――……っくうッ!!」
普段の遊びのようなそれではなく、本気の彼の威嚇。ピシピシっと辺りの木や建物が軋むほどの衝撃で、檻の結界の中にいて影響を受けない筈の私ですら気圧されそうになる。
番の私を害されそうになったから、相当怒っているようだ。
白銀の狼も流石に圧倒されたようで、その足が止まった。静観していた緑の狼に至っては尻尾を股の下に巻き込み、恐怖している仕草をしていた。
それでも白銀の狼は「グウウウっ」と唸りながら、頭を振るい、果敢にもまた駆け出してきた。そのスピードは先程よりも随分と遅いものだったが、私への憎悪は消せないらしい。
「グアウ!?」
そんな白銀の狼だったが、すぐにそれ以上の前進はできなくなる。シグラによって、あのキラキラした光ごと狼を囲う檻の結界が構築されたからだ。どうやら狼の動きが鈍ったので今度は簡単に捕捉できたようだ。
これで決着がついたと思い、ほっと息を吐く。
しかし、シグラにそのつもりは無かった。
「よくも、うららを……」
シグラの周りに陽炎が出始め、彼の姿が不鮮明なものとなる。それは何か恐ろしい事が起きる前触れのようなものに感じられた。




