琴線
スマホを見ると、23時を過ぎていた。
皆の寝息が聞こえる。
保養地だろうが、ゴーアン家のカントリーハウスに戻ろうが、結局寝る場所はバスコンだなあと苦笑する。楽で良いんだけどね。
最近はキララを起こさない様にそっと寝室から出てシグラの元へ行き、そこで彼と少しだけ話をして、添い寝をしてあげるのが習慣になっていた。
隣で万歳の格好で眠っている妹に目を向ける。
夜に弱いキララだが、今夜は特に早く眠りについていた。歓楽街で遊んだりドラゴン騒ぎがあったりで、疲れが溜まっていたのだろう。
かく言う私も今夜はやけに欠伸が出る。
それでもシグラが待っているだろうから、今夜も寝室から抜け出した。
寝室を出ると、シグラは布団の上で胡坐をかいて待っていた。
「シグラ」
小声で彼を呼べば、此方に顔を向けてにっこり笑ってくれた。
「けっかい、はってるから、ふつうに、しゃべって、だいじょうぶ」
彼の隣に座ると、もっと近寄れとばかりに背中に腕を回される。彼の胸に耳がくっつき、規則正しい心音が聞こえてきた。
まるで恋人同士のようだと思う。一応夫婦だし、間違ってはいないだろう。
それに―――魔種の花の香りの事を思い出して、頬が赤くなる。
「うらら」
呼ばれてシグラの方を向くと、彼は自分の頬をちょいちょいと指で突いた。挨拶のキスをしろと言うことだろう。
今夜はまだ話せていないのに、もうお休みかと、ちょっと残念に思いながらそこに唇をつける。そして、彼も私の頬にキスを返した。
「シグラも今日は疲れた?」
「うららが、ねむそう、だから」
「私は別に……もう少しだけ傍にいたいし、いて欲しいし」
「ひうっ!」
「へ?」
シグラの身体が急にびくんっと跳ねた。
「どうしたの?」
彼の顔は真っ赤だった。まさかまた胸の病気だろうか。
「そ、そばに……って。しぐらに、そばにいてって」
「うん?傍に居て欲しいよ?」
「ああう……あお……」
ドラゴンの言葉を言いながら震えだしたかと思えば、急に私を横抱きにして立ち上がった。
「え?何?え?」
「ごめんね、うらら。ちょっとだけ、つきあって」
「え?」
私を抱えたままシグラは車から飛び出し、その勢いのまま翼だけを出して空に飛び立った。
「し、シグラ!?」
檻の結界は無いが、きつく抱きしめてくれているので怖くは無い。……のだが、あまりにも展開が急すぎて、気持ちが付いて来ていない。
「あお、ああお!」
戸惑う私をよそに、シグラは嬉しそうな声を上げながら、空を旋回する。夜空の散歩というロマンチックなものではない。スピードが早すぎて星の光などは全てブレて線に見えた。
乗り物酔いしやすい人だったら一発KOだろうが、幸い私はそう言うのは強い方で良かった。
そんな彼の気が済んだのは、既に空が朝焼けになる頃だったらしい。
らしい、というのも、私は途中で寝落ちしてしまったからだ。
断じて気を失ったわけではない、寝落ちである。
そして朝になってバスコンの寝室で目を覚まし「てんしょん、あがって、ごめんね」とシグラに謝罪されたのだった。
■■■
「奥様あああ!ブネさん、酷いんですよおお!!」
ゴーアン家のカントリーハウスに戻った次の日。
バスコンの前でシグラとナナーが何かを話していると思ったら、大泣きしながらナナーがそんな事を訴えてきた。
「どうしたんですか?」
「ビメさんの息子さん、昨日のドラゴンなんですが!」
「あ、はい」
シグラが話を付けて帰って貰ったあのドラゴン。
「ブネさんってば、あの時、そのドラゴンに私の郷に行くように言ったらしいんですよ!」
後ろでアウロが咳き込んだ。
ナナーの故郷はアウロの故郷でもある。
「おまえ、なんでも、いうこと、きくって、いった。めんどう、みてやれ」
「自分の住処に帰れって言えば良かったじゃないですか!ビメさんもいるんだし、そもそも成体のドラゴンなんですから、一頭でもやっていけますよ!」
「うららが、あいつ、かわいそうって、いった。びめから、かくまって、やれ」
確かにシグラとダブらせちゃって、ぽろっと言ったけど。
ナナーは「ああああ……!折角のバカンスが……!」と頭を抱えた。
ちなみに、一連の事情を聞いたゴーアン侯爵により、ナナーは滞りなくお暇を貰えたそうだ。
「荷造りしないと……じゃあ私、失礼しますね」
「あ、はい」
ションボリと肩を落とすナナーを見送る。
その背中を見ていると、私の発言のせいでと、とても申し訳なく思った。
「餞別に何かお菓子でも作ろうかな……」
バスコンの中に入ると、久々にキッチンカウンターに立った。
まずはボールにバターを入れてかき混ぜ、柔らかくなった所で砂糖を入れていく。
「何作ってるんだ?」
キララが脇からにゅっと顔を出し、私の手元を見る。
「クッキー。ナナーさんに持たせてあげようかと思って」
「私も食いたい。沢山作ってくれ」
「はいはい」
焼き上がった事を報せるオーブンレンジの軽快な音楽が鳴り始める。
「良い匂いだな」
匂いにつられてキララが近寄ってきたが、危ないので離れておくように言い置き、ミトンを装備して天板を取り出す。
「うん、結構良い感じ」
「出来立て食べさせてー」
「ほら。熱いから気を付けてよ」
材料で足りないものは屋敷の方で融通してもらったので、我ながら見栄えの良いナッツクッキーが焼き上がったと思う。
ナナーにあげる分は綺麗にラッピングし、残りは今日の皆のおやつだ。
天気が良いので、屋敷からテーブルと椅子を貸してもらい、外でお菓子を食べる事にした。
テーブルを設置したのが大きな木の脇なので、少々強めの陽の光は木陰に遮られ、テーブルにちらつく程度だ。
夫人から貰ったお茶を入れて、まったりと6人でおやつを食べる。
「ククルア君はこういうの、口に合うかな?」
ククルアに手作りの菓子を食べさせるのは初めてなので訊ねると、アウロが「美味しいそうですよ」と言ってくれた。
「外で食べるのも良いな。偶には飯もこんな感じで食べたいぞ」
「そうだね。でも手持ちの折り畳み式のキャンプテーブルだと、沢山料理は載せれないからねえ」
レジャーシートを引いてピクニックくらいなら出来るだろうけど。
「しゃお!」
一生懸命にクッキーをさくさく食べていたロナが手を上げた。
「しゃおおしゃお」
「ロナが、テーブルならロナが作るって言ってるぞ、姉」
そう言えばロナはモノ作りが好きな子だったっけ。うーん、でもバスコンとは言え、空間が限られているのであまり嵩張る物は載せれないしなあ。
そんな事を雑談していると、アウロがお茶を飲みながら「だったら」と提案した。
「トレーラーのようなものを牽引したらどうです?それなら荷物も増やせますよ」
「トレーラー……キャンピングトレーラーですか?」
アウロもそれなりにダイネットで私達の世界の雑誌を読んでいるようだったが、その中にアウトドア系の雑誌があったそうだ。
キャンピングトレーラーとは、居住空間を備えたトレーラーのことで、それ自体は自走できないので車両で牽引する必要がある。欧米に比べたら日本ではまだまだ知名度が低いけど、大きなキャンピングカーを買うよりも安価で快適な居住空間を購入可能ということもあり、じわじわと人気になりつつあるものだ。
「荷車の時はともかく、今回の侯爵家の馬車は問題なく牽引できていましたし」
確かに何の問題も無かった。まあ、侯爵家の馬車だから特別製なのかもしれないけど。
「それって簡単に用意出来るものなんですかね?」
「さて。ゴーアン侯爵に馬車を見せてもらって、構造さえわかればロナでも作れると思いますが。ああ、でも車輪は購入しないと無理ですかね」
そんなに簡単なものかなあ?
特別な技術が必要そうだけどと思うが、ロナはとてもやる気満々だったので、水を差す事はしなかった。
おやつの時間を終えた後、私はシグラを連れて、餞別のクッキーを渡すためにナナーの元へ訪ねた。
ナナーは既に荷物をまとめ終えていたようで、足元に大きなトランクケースを置き、シグラをじとっと見た。
「もう発たれるんですか?」
流石に早くないかと思ったが、ナナーは深い深い溜息を吐いた。
「早く戻ってあげないと、ドラゴンに郷が壊されても困りますから」
それもそうか。
「あの、ナナーさん。これ、つまらないものですが、どうぞ」
先程焼いたクッキーですと渡すと、ナナーはぶわっと涙を出した。
「奥様、私の嫁になって下さいいい」
「すみません、私はシグラの妻なので」
「一晩中奥様を振り回すようなドラゴンなんて捨てて、私と一緒になりましょう!人間をよく知らないドラゴン相手では到底味わえない幸せを、私ならたっぷりと味わわせて差し上げれますからー!」
昨日の夜の事、ナナーは知っているみたいだ。
「お構いなく、間に合ってます」
「女の子の身体は女の子が一番よく…痛い痛い!やめ、痛いです!」
シグラがナナーにアイアンクローを喰らわせる。2人は旧友なんだし、じゃれ合っているだけだろう。
でも何だかむかむかするので、一応牽制も兼ねて、惚気ておこう。
「私、シグラが傍に居るだけで幸せですから」
「奥様!今、ブネさん煽るの、本当に止めて!!」




