賢者:ジョージ視点
賢者は王宮の中の限られた空間に閉じ込められる為に、この境遇から逃げ出してこの世界から消え去るか、王宮に留まってその身をこの国に捧げ、異性との縁もなく一生独身で終えるかが殆どだ。
しかし、稀に婚姻を結ぶ者もいた。賢者と面会出来る者は限られているので、相手は世話係の女官か護衛の騎士か、はたまた王家の人間かの何れかではあるが。
やがて生まれた賢者の子供は、その境遇を公表しない事を条件に、王家もしくは先祖が賢者であるという同じルーツを持つ貴族家に属する事ができ、成人すると新たな爵位と領地を与えられる。それによって一つの貴族家として立つこともできるし、同じルーツを持つ貴族家にそのまま吸収される形で安穏とした生活を送る事も出来た。
[御祖父様が身罷られた]
そう父上から聞かされたのは去年のまだ寒い時期だった。
父上は王家に属する事を選んだ為に、成人した際に新たに公爵家を立ち上げた。しかし公爵と言えども、新興だ。賢者の祖父様がいなくなった今、後ろ盾が必要であった。
しかし俺の祖母様は女官だったので、王家からの後ろ盾は薄い。俺の母上は伯爵家の出だが、そこまで強力な家ではない。そこで新たな後ろ盾としてニホン公爵と婚姻による結びつけを得ようとした。
ウララに会ったのはそんな時だったのだ。
ニホン公爵に所縁のある者かと思ったのだが、彼女自身が賢者であることには驚いた。
現在のユーケー公爵家が欲する後ろ盾になる事はできないが、しかし賢者そのものに価値がある。もしかしたら交渉次第ではニホン公爵と手を組むこともできるかもしれない。
ウララは歳も俺と釣り合うし、見目も悪くない。
既に夫がいるようだが、平民ならばなんとでもなる。そう思っていたのに。
―――人間の女性を番にしたドラゴン
そんな事あり得るのかと一笑に付した情報だったのに。
[お、お前達だったのか……!?]
階段から飛び降り、それと対峙する。帯剣して来なかったことが悔やまれた。
俺の剣幕にただならぬものを感じたのか、ウララは咄嗟に奴を庇う様に手を広げた。だが、すぐに奴がウララを抱き寄せた。
『貴様、ウララを離せ!』
『私に命令できるのは番のウララだけだ』
人間に擬態したところで、人間の女性の柔肌など容易く引き裂いてしまうくせに!
[ウララ!危険だ!それから離れろ!]
しかしウララは俺の警告を無視し、奴に抱き付いた。
恋は盲目と言うが、ウララには奴の獰猛な目が見えていないのか?
[形に騙されるな!それはドラゴンだぞ!!]
[彼の事を物みたいに、それそれ言わないで下さい!]
そんな事を言っている場合ではないだろうに。
きっと異世界から来たゆえに、彼女はドラゴンの恐ろしさを知らないのだろう。
[ウララ!ドラゴンはブレスという能力を持っている!強力なワザだ、それによって数多の精霊付きや勇者たちが葬られて来たんだ。君など跡形も無く消えてしまうぞ!]
[知ってます!だって、求愛行動でブレス吐かれましたから!]
[なっ!?]
確かにドラゴンの求愛行動はそういうものだが、……そう言えばどうやってウララは求愛を成立させたんだ?
賢者とはそれ程の力を持っているのか!?
[勿論ドラゴンの姿の彼も知っています。人間の姿に騙されているわけではありません]
思考の沼に入りかけていたが、ウララの言葉に我を取り戻し、弾かれたように彼女を見た。
[知って尚、異形なそれを夫と言うのか!君はどうかしている!]
[彼が彼である限り、どんな姿であろうと私の夫です!そもそも悪さもしていないのに、ドラゴンだからといって討伐しようとする方がどうかしています!]
[何かがあってからでは、遅いんだ!それ程にドラゴンは恐ろしい生き物だ!]
俺との会話で益々頑なになったのか、ウララは奴の頭にしがみ付いてしまった。
彼女の腕の間から覗く奴の金の目はギラギラと光り、険しさを増していく。その眼光だけでウララの肌は引き裂かれてしまいそうだ。
[竜族は頭の良い種族で、とても理性的です。攻撃をする前に話をしたら良いじゃないですか。どんな性格の持ち主なのかわからないから、怖いんですよ!]
[油断すればドラゴンの機嫌次第で消される立場にある人間の俺達に、そんな余裕はない!]
無防備に近寄った途端に殺されるのが目に見えている。それだけ力の差があるのだ。
[君がそのドラゴンの番だから、そのドラゴンは君に優しく理性的に見えるように振舞っているだけだ。しかしその本性は獰猛で、人間などただの肉塊にしか見ていないだろう]
[シグラの事を何も知らないのに、そんな事……!]
[何も知らないのは君の方だ!]
ウララは何かに耐えるような仕草をし、“ジョージさん”と落ち着いた声で俺を呼んだ。
[仮に貴方の言う事が全て正しくて、シグラが私に気遣って本性を隠し、良き夫としてそう言う風に振舞ってくれているなら……]
[そうだ、全てまやかしなんだ!ドラゴンの本性は……]
ウララの心がぐらつき始めた。そう感じたので追い打ちをかけようとしたが、思わずその言葉は飲み込んでしまう。彼女があまりにも悲しそうな顔をしていたからだ。
[……私が彼に嬉しそうに笑う演技をさせてしまっているなら、とても悲しいです。私は彼に幸せになって欲しいから……]
ウララは奴に日本語で何かを話しかけた。俺は話している言語が日本語だとはわかるが、会話の意味まではよくわからない。
彼女の視線がもう一度俺に向いた。
[私に近寄らないで下さい]
それは先程も言われた言葉だった。
[ウラ……、…ッ!]
それに気を取られた一瞬。奴はウララを抱きかかえたまま、常人離れをした跳躍で階段に跳び乗り、駆け出した。
俺も慌てて階段を駆け上ったが、展望台に上りきった時には既にその姿は見えなくなっていた。
[……行かないでくれ!]
祖父様と同じ世界から来た人。
彼女に言った“祖父様と同じ立場の君を守りたい”という言葉は嘘ではないんだ。
俺は祖父様が好きだった。大英帝国、太陽の沈まない国。アーサー王物語。日英同盟、東洋のネルソン……祖父様が聞かせてくれた話は全て覚えている。
祖父様が死んだのに、今の俺には泣く暇すら無い。
だから、公爵家の事情は抜きにしても、祖父様と同じ賢者のウララに傍に居て欲しいと思った。
[ウララ……]
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やがて迎えに来た部下たちに促され、保養施設へと戻った。
『今この施設にゴーアン侯爵夫人が逗留されているそうです』
ゴーアン侯爵夫人と言えば、先代のニホン公爵の娘だ。
とても陽気に話ができる気分ではないが、挨拶だけはしておかねばならないだろう。
通された先に居た夫人は、日本人のウララとは似ても似つかない顔をした、この国の貴族の女性だった。
ニホン公爵は数百年の歴史を持つ公爵家だ。途中で別の日本人の賢者の家族が新たに取り込まれていっているのかもしれないが、それでも彼女を見る限り、その血は既に地球の日本人のものとはかけ離れているだろう。
『お初にお目にかかりますわ、ユーケー卿』
夫人は軽くカーテシーをし、俺の方に手を出した。
差し出された手を取り、キスの仕草をする。
『お会い出来て光栄です、ゴーアン侯爵夫人』
夫人はふふふ、と笑う。
挨拶を終えると、お茶の準備がされている席にお互い座った。




