遭遇
「姉、寝不足か?」
ふわあ、と欠伸をしながらしゃこしゃこと歯を磨くキララに指摘される。
「……もしかして、クマできてる?」
「できてないけど、何か怠そう」
「何かさあ、昨日のお酒がまだ残ってるみたいで、夢見が悪くて」
“ふーん”と頷いてキララはうがいをし、歯磨きを終えた。
……実はお酒が残っているのは嘘だ。私の夢見を悪くしたのは酒池肉林の方だった。タオル一枚を装備しただけの男女数名に散々追いかけられる夢を見たせいで気分は最悪だ。
今日もあの保養地で過ごさなければならないのかと思うと、本当にげんなりである。
保養地なのに疲れるってどういうことなの。
寝室へ戻った私はキララにワンピースを着させ、髪を結ってやる。何となく今日はお団子に結ってみた。
私もキララにワンピースの背中のファスナーを上げてもらい、支度を終えると寝室から出た。
「だったら、気分転換に街に行ってみないか?朝飯もそこで済ませてさ!」
朝御飯は保養施設で適当に食べる予定だったので、別に構わないけど。
「街って?フラウの街に今から行くの?」
侯爵家の馬車を牽引している状態なので、勝手に動かしても良いものか。
ダイネットに行くと、シグラとアウロがシートに座って何か話していた。
シグラの傍に寄り、首元にリボンタイを結ぶ。そして髪を梳かして三つ編みに結った。
それから彼は「ん」と頬を此方に向けてくる。わくわくしてて可愛いなあと思いつつ、キララがロナと話をしていて此方を見ていないのを確認してから、そっとキスをすると、彼も私の頬にキスをした。
「昨日ナナーが言ってたけどな、この保養地の傍には保養地に来る人間目当ての店が沢山集まってできた歓楽街あるらしい。それで毎日お祭り状態なんだってさ」
「へー。まんま温泉街だね。でもそれなら、今日はそこに行ってみようか」
「やったー!」
キララはいつものリュックサックを背負うと、ぴょんっとバスコンから降りた。
それに私とシグラが続く。
ロナはエントランスに座ってククルアに靴を履かせてやり、そして彼の手を取って降りてくる。
最後にアウロが降りて、車の鍵を閉めた。
「まだ換金しなくても手持ちの所持金は大丈夫なのか?」
「うん。まだ十分あるよ」
遊びに行くので資金は潤沢かと気になったのかな。全く、この子ったら。
「無駄遣い禁止だからね。これはシグラのお金なんだから」
「観光地に来てそれはないだろー。シグラー、姉の財布のひもを緩めさせてくれー」
「ほら、銅貨2枚までなら好きに使っていいから」
財布から銅貨2枚を取り出し、キララに渡す。日本円で2000円くらいだ。
「ロナとククルアの分は?」
うーん。子供にあまり大きなお金を渡すのは怖いんだけどなあ。仕方ないからもう一枚銅貨を追加した。
「あとは要相談で。あ、アウロさんはこれを持ってて下さいね」
アウロにはそれなりの金額が入った財布を渡しておく。
観光地だから日用雑貨とかは流石にないかな?出来ればシグラの服とか靴を追加で買っておきたいんだけどなあ。
そう思いつつシグラと手を繋ぐと、先に行ってしまったキララ達を追った。
■■■
「おしゃおおう!しゃおしゃおー」
街に着いて早々に変な人に絡まれた。
街は人でごった返していて、早々にキララ達を見失ってしまい慌てたが、アウロから【私が付いてますから大丈夫ですよ】という念話が飛んできたので、それは一安心だったんだけど。
……変な人に絡まれた。
身形がおかしいとかではない。白髪というよりはプラチナブロンドと言うのかな。そんな髪の毛を胸の辺りまで伸ばして、一つに括った青年。服装はルランと似ていて高級そうなコートを着ている。ルランの時も思っていたけど、ちょっとこの時期(日本でいう所の初夏くらいの暑さ)にそのコートは暑いんじゃなかろうか。歳は10代後半から20代前半くらいかな。そして身長はシグラより若干高い。
そこまでなら貴公子のような出で立ちなのだが、一番重要なのは怪我の有無だ。
頭にいくつものタンコブを作り、頬に大きな平手打ちの痕が際立っていた。……トラブル持ちかな?
そんなお知り合いになりたくない要素を持った青年は、あろうことかシグラを見ると気安く話しかけてきたのだ。
「知り合い?」
一応シグラに訊いてみる。彼は少し考える素振りを見せたが、首を横に振った。
「……きのう、はなしかけられた、だけ」
私の記憶には無いので、恐らくお酒で前後不覚になっている時に会ったのだろう。恥ずかしい場面を見られちゃったか…と少し居た堪れない。
「昨日は何て話しかけられたの?」
「……どらごんの、ちからのけはい、かんじたって」
どきっとしてシグラの腕にしがみ付く。
「だいじょうぶ。しぐらが、どらごんだって、ばれてない」
ほっと息を吐く。
「……それで、今はこの人は何を言ってるの?」
「はなしが、したいって」
変なトラブルに巻き込まれていそうな傷、ドラゴンの力を感知する能力。
関わっては駄目な要素が2つになり、とても話をする気にはなれない。
「行こう、シグラ」
シグラの腕を引いて、青年がいる逆方向へと歩こうとしたが……。
「ひえっ!」
行こうとした先にはタオル一枚を装備した半裸男性軍団が壁のように並んでいたので、咄嗟にシグラを盾にして隠れる。街に来るならきちんと服を着て来れば良いのに!
男性達は近くの出店を覗いているようで、中々その場から移動しようとしない。
「じゃ、じゃあこっちに……」
別の方向を向けば「しゃおおしゃお、おしゃおしゃ」と例の青年が話しかけてきた。
「うらら、あっちは、はだかのめすが、いっぱいいる、ばしょだって」
「ええ?」
つまり、所謂いかがわしいお店が集まった区画だと?
私には無縁だし、シグラを連れて行くなんて、もっての外だ。
「しゃおおしゃお、しゃわおしゃおん」
「……こいつ、うららが、あんしんして、たのしめられる、ばしょ、しってるって」
「……だ、駄目。何だかこの人に関わったら危ないって、私の第六感が言ってるの。人が少なそうな場所、何処でも良いからシグラが連れてって」
シグラは気配が探れる。それも可能だろう。
彼は「うーん、」と辺りをキョロキョロした後に「じゃあ、こっち」と私の手を引いた。
私の異性を弾く結界が発動しないよう、彼は慎重に進路をとり、やがて展望台のような所にやって来た。籠ったような独特の空気から解放され、大きく息を吐いた。
「見晴らし良いねー」
この保養地は標高が高い場所にあるので、フラウの街が一望できる。
「あの森ってもしかしてカントリーハウスかなー…って、え?」
シグラにひょいっと身体を攫われ、視界がぶれる。そして私の立っていた場所にはあの青年が居た。どうやら私達に付いて来たようだ。
「しゃお!」
シグラが短く、しかし強い口調で青年に何かを言う。だが、青年は怯むことなく堂々とした態度だ。
目が合うとにこりと微笑まれる。
私にはシグラがいるから何の感動も無いけど、多分この人、女性にモテる人種なんだろうなあ。
青年が口を開く。
結局話を聞く事になっちゃったか、と内心溜息を吐いていると、聞き覚えのあるメロディーが聞こえてきた。




